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非合理な意思決定を実験で分析
最善の選択を促す、行動経済学的「ナッジ」とは?

2017年12月22日

 2017年、シカゴ大学のリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞したことで、行動経済学への注目が高まっている。一橋大学大学院経済学研究科 准教授 竹内 幹氏は、セイラー教授の受賞理由に「ナッジの活用」を挙げる。行動経済学はなぜ注目されるに至ったのか。ナッジとはどんなもので、ビジネスパーソンはどのように活用できるのか。また、企業が採用すべき「リスクの取り方」とはどのようなものなのか。同氏が行動経済学、実験経済学の考え方を示しながら解説する。

一橋大学大学院経済学研究科 准教授 竹内 幹氏

行動経済学、実験経済学が注目されるまで

──最初に先生の今の研究分野について教えてください。

竹内氏:
 実験経済学を研究分野としています。実験を通していろんな人たちの意思決定や行動のデータを収集し、意思決定の背後にある理由やロジックを分析します。「実験でデータを集めて考える経済学」です。

──実験経済学は新しい分野になるのでしょうか。

竹内氏:
 マクロ経済学や国際経済学などに比べれば比較的新しい分野になります。始まりは1960年代にはなりますが、盛んになってきたのは1990年代です。特に、実験経済学を立ち上げたバーノン・スミス博士が行動経済学のダニエル・カーネマン博士とともに2002年にノーベル経済学賞を受賞されてからは、実験経済学も行動経済学もメジャーになってきました。

 その後、2008年にはマッテオ・モッテルリーニ『経済は感情で動く』、2010年にはダン・アリエリー『予想どおりに不合理』といった行動経済学に関する一般書籍の人気が出て、行動経済学ブームがやってきました。

 2013年には、サブプライムローン危機に警鐘を鳴らし『根拠なき熱狂』という本でも知られるロバート・シラー博士がノーベル経済学賞を受賞しています。こうしてみると、行動経済学は10年以上前から徐々に受け入れられてきたことがわかります。

 今年のセイラー教授の受賞は、行動経済学の知見を「ナッジ」(nudge=「肘で軽く突く」という意味の英語)という形で公共政策などに活かすと有効である、という考え方が注目を浴びた結果でもあります。

──実験経済学と行動経済学はどう違うのでしょうか。

竹内氏:
 実験経済学は人の意思決定について実験してデータをとり、それを分析します。一方、行動経済学は心理学と経済学の融合に近いものです。心理学は感情に流された結果としての判断ミスのような、人間らしい行動も分析してきました。しかし、そういった判断ミスは、それを数理的にモデル化することが難しいこともあって、経済学ではほとんど分析されてきませんでした。行動経済学は、モデル化しづらかった心理学的要素も経済学に組み込むことで、豊かな知見を手に入れようとしている点が新しいですね。

 実験経済学の研究者が、人間らしい行動に満ちた実験結果を得た場合には、行動経済学モデルを使うこともあります。また行動経済学の研究者もデータを見る必要があるので実験経済学のこともよく知っています。両者はアプローチが違うものの、オーバーラップする面も多々あります。

合理的な選択を促す「ナッジ」

──先ほどお話に出た「ナッジ」というのは、どういったものなのでしょうか。

竹内氏:
 「ナッジ」は「肘で軽く突く」という意味の英語です。主に金銭的なインセンティブを大きく変えるとか、ルールによってある行動を強制するのではなく、ものの伝え方などを工夫することで人の行動を変える戦略を指します。

 もし既存の経済学が前提にしているように、人が常に自分にとって最大の利益になる選択をしたり、より良い選択をできるのなら「ナッジ」など不要です。しかし、人は常に最善の選択をするとは限りませんし、意外と非合理的に意思決定をすることがよくあります。そこに「ナッジ」の出番があります。

 セイラー博士が「貯蓄ができない人」に対して行った「ナッジ」を紹介しましょう。セイラー博士は、貯蓄ができない人に、「将来賃金が上がったら、給与からの自動引き落としなどで上がった分のいくらかを貯蓄に回す」とあらかじめ決めさせました。すると、貯蓄ができない人は特に将来のことはあまり考えませんから、「賃金が上がったら貯蓄してもいい」と約束します。すると、数年先に実際に賃金が上がりますが、今度は一旦決めたことを「変える」のが面倒なのでその約束を守ることになります。このように、意思決定のフレームをすこし変えてあげることで、良い行動を引き出すのが「ナッジ」です。

 ナッジは、人がある望ましい行動をとるように導くときに、その伝え方や、行動する当人が決断するタイミングを変えることで、その行動が「できる」ようにします。これが、税金滞納を減らすといった公共政策で活用される際のインパクトが評価され、セイラー博士のノーベル経済学賞受賞につながりました。人が常に合理的なら「ナッジ」は必要ありませんが、言わば合理的な判断ができない人への介添えということです。

──ビジネスパーソンが「ナッジ」を活かせる場面があれば教えください。

竹内氏:
 たとえば人には損失を嫌う「損失回避性」や、現在の状況に固執する「現状維持バイアス」があります。

 今ここに、従来プロジェクトと新規プロジェクトがあるとします。従来プロジェクトを続けると、利益は徐々に下がっていきますが、今の段階では100の利益が手に入ります。一方、新規プロジェクトだと成功確率は50%で、成功すると利益は300、失敗すると利益は-50になるとしましょう。

 この状態で各社員に従来プロジェクトと新規プロジェクトのどちらを選ぶかと聞くと、新規プロジェクトをやる人はほとんどいないでしょう。損失を嫌い現状に固執するからです。

 しかし、彼らを統括する部長に「何人に新規プロジェクトをやって欲しいか」と聞くと、「全員にやって欲しい」という答えが返ってくるはずです。

 100人が新規プロジェクトをやって50人が失敗すると、利益は「-50×50人=-2500」です。しかしあとの50人は成功して「300×50人=15000」の利益をあげますから、合わせて「12500」が平均的に得られます。これは現状の「100×100人=10000」より得るものは大きいので、現状維持を好む現場レベルの判断と違って、彼らを統括する部長が「全員にやって欲しい」というのは当然の判断になります(100人全員が新規プロジェクトをやっても、失敗が極端に続き総利益が10000を下回ることもありえますが、その確率は1億分の1以下になります)。このように、部長、マネージャー、一般社員などそれぞれの立場でリスクや損失への考え方は大きく違います。ここでは、全員を新規プロジェクトに向かわせる「ナッジ」があると効果が出ます。

──具体的には何をすればよいのでしょうか。

竹内氏:
 新規プロジェクトの論功行賞で、成功を評価し、失敗の責任をとらせるのでは、損失回避が強くきいてしまいます。それよりも、新規プロジェクト全体での平均的な利益を「参照点」に定め、従来プロジェクトを惰性で続けることによる機会損失を「損失」として明示化するという方向がありえます。

 ただ、こうしたナッジはあくまで、正攻法のあとに補完的に導入するべきです。この例でいえば、そもそもプロジェクトの成功確率や得失を計測するのが先ですよね。

「優秀なあの人」はただの「自信過剰で無謀な人」かもしれない

──ビジネスパーソンの場合、どうしてもマイナスが怖くて挑戦をためらいますね。

竹内氏:
 出世するのは新規プロジェクトを成功させた人や、マイナスを上手に避ける人になりがちです。人々が合理的に振る舞っているのであれば、新規プロジェクトを成功させた人というのは、なにかの能力に長けているといえそうです。

 ただし、リスクをとって新規プロジェクトをガンガンやる人の中には本当に優秀な人もいる一方、自信過剰でリスクを平気でとり、たまたま成功したような人もいます。ギャンブルなどで高いリスクを平気でとる人がいますが、彼らはなぜか「私は絶対に負けない」と信じ込んでいます。合理的に考えたら避けるべきリスクなのに、その判断ができない人がリスクをとり、ほとんどは失敗に終わっても、偶然成功する人も一部にはいます。つまり、結果的には「新規プロジェクトを成功させた優秀な人」と見えても、実は本当に「自信過剰で無謀な人」であるかもしれないのです。そういう人が出世して大きな意思決定権限を握っていることもあるかもしれません。組織にとって不幸なことです。

──なるほど、こうした見方は人事などでも使えそうですね。

竹内氏:
 大切なのは、一つ一つの選択がどのような結果につながったのかデータ化して分析することです。たとえば大学の入学試験の社会は、日本史、世界史、地理などを選択しますが、どの問題に正解した人がその後どうなるのかというのはデータ化できるのに、なかなかやっていません。

 企業の採用試験でもSPIの点数くらいは追っているかもしれませんが、どの面接官がどんな質問をしたのか、どのリクルーターが何の話をしたのか、その後、採用した社員はどのように成長したのか、あるいはしなかったのか、といったことも、なかなかデータ化されていないんじゃないでしょうか。いかがでしょうか。

 あるいは、ビジネスの世界にはたくさんの「常識」や「定説」がありますが、その中には「思い込み」もあることでしょう。たとえば、「こうしなければ売れない」と信じ込んでいたとして、それを実験で確かめたことはあるのでしょうか。頭で「こうに違いない」と決め込むのではなく、常に実験し、数字で確かめることも大切なのです。

──なるほど、実験し、確かめるという姿勢ですね。

竹内氏:
 なによりも大事なのは、最適化問題の三要素である、手段、目的、制約をしっかり明示化することでしょう。自分に手持ちの「コマ」は何があるのか、手持ちのコマを動かすことで何を達成しようとしているのか、そして手持ちのコマを実際にどこまで本当に動かせるのかという三つを日々ちゃんと洗い出すことが大切です。そうすることで日々より良い選択ができるのではないでしょうか。

──本日はお忙しいところ誠にありがとうございました。

(聞き手:ビジネス+IT編集部 佐藤友理、執筆:桑原 晃弥)

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