2017年10月24日
「医療IoT」によって社会保障費の抑制を目指す!
──世界初の「服薬支援システム」を開発
国家的な問題となっている医療費や介護費増大をどう解決していくか──。その一つの方法として、IoTを活用した「服薬支援」の仕組みを実現させたのが大塚製薬である。患者の服薬を支援することが、なぜ医療費や介護費の削減につながるのか。このプロジェクトがもつ社会的意義とこれからのビジョンについて開発担当者に聞いた。
薬の「飲み忘れ」をいかに防ぐか
「2025年問題」という言葉を耳にする機会が増えている。2025年には団塊の世代が75歳を超え、全人口に占める75歳以上の割合が20%を上回る──。それが2025年問題である。では、その何が「問題」なのか。最も危惧されているのは、高齢人口の増加にともなって、医療費や介護費を含む社会保障費が増大していくことである。若年人口が減少し税収が減っていく中で、公費によって賄われる社会保障費をいかに抑制していくか。それが今後、深刻な国家的課題となっていくと見られている。
その課題に「服薬支援」という視点で解決法を提示しようとしているのが大塚製薬だ。日々の健康の維持・増進をサポートする「ニュートラシューティカルズ関連事業」と、創薬・製薬などの「医療関連事業」を両輪とする同社は、医療関連事業において「ものまねをしない」独自の創薬を目指し、他社とは異なるアプローチで新しいチャレンジを続けている。5年ほど前から「服薬支援システム」の開発に着手したのも、その先駆的姿勢のあらわれだった。
「いかによい薬が開発されても、それが処方どおり服薬されなければ十分な効果は望めません。しかし、日本における処方薬の完全服用率は60%程度と見られています。いわゆる”飲み忘れ”が非常に多いのです。また、慢性疾患など長期にわたる服薬が必要とされるケースでは、自己判断で服用をやめてしまう人も少なくありません」
そう話すのは、大塚製薬医薬営業本部の大野啓氏だ。処方されているのに服薬されていない薬は、実に600億円にのぼるという試算もある。その製造費や材料費などのロスもさることながら、さらに重大なのは、処方どおりの服薬が実行されないことによって患者の病状が悪化してしまうことだ。
「薬を飲めば健康になるはずの患者さんが、服薬を忘れたりやめてしまったりすることで、病状が悪化し、場合によっては寝たきりになってしまったりすれば、それだけ医療費、介護費がかさむことになります。服薬を支援し、飲み忘れを防止することは、患者さんの健康を増進することとなり、それがひいては社会保障費の削減につながると考えています」(大野氏)
通信機能やメモリー機能を搭載した薬剤容器
大塚製薬は以前から、高齢者でも飲みやすい散剤(粉末薬)や、水なしでも飲める口腔内崩壊錠(OD錠)の生産、さらに薬の飲み間違いを防ぐために表面に印字を施した世界初のOD錠の開発など、患者が服薬しやすい薬づくりに積極的に取り組んできた。その流れの中で5年前に着手したのが服薬支援システムの開発だった。
このシステムは、脳梗塞の再発を抑える抗血小板剤を対象にしたもので、錠剤を収納するプラスチックケースと服薬アシストモジュール、スマートフォンのアプリから構成される一種の「医療IoTサービス」である。大野氏とともに開発プロジェクトを進めてきた深谷志保氏は説明する。
「従来の抗血小板剤は、プラスチックとアルミで錠剤をパックしたPTP包装で患者さんに渡されるケースがほとんどでした。この服薬支援システムでは、錠剤を一錠ずつ取り出せるプラスチックケースに入れ、そこにLED搭載のモジュールを付けることで、薬を飲むタイミングを光の点滅で患者さんにお知らせする機能を実現しています。モジュールには通信機能やメモリー機能もあるので、患者さんのスマートフォンのアプリに服薬情報を通知したり、アプリから薬を飲んだことを家族にメールで知らせたり、担当の薬剤師が服薬履歴を見て服薬指導に役立てたりすることも可能です。患者さん本人の飲み忘れの心配がなくなるだけでなく、家族や医療関係者が服薬状況を見守ることができて、結果として病気の再発・悪化を防止できる。それが、このシステムの大きなメリットです」(深谷氏)
脳梗塞用の薬にフォーカスしたのは、現在の介護費の約25%が脳梗塞による寝たきり患者に支給されているという事実があるからだ。脳梗塞は高齢で発症するケースが多い病で、薬の飲み忘れも多いと言われる。脳梗塞患者の服薬を支援することによって、再発・悪化を防ぎ、結果、社会保障費の抑制に好影響を与えることが期待できるのである。
100人を超える薬剤師の意見をヒアリング
世界初となるこのシステムの実現は簡単なものではなかった。大野氏や深谷氏らのプロジェクトチームと、システム開発のパートナーだったNECとの間では、開発の過程でさまざまな議論が交わされたという。
「ビジネスの分野がまったく異なる会社同士ですから、まずは相互理解を深めることが重要でした。私たちは医療分野の現状についてNECのご担当者にお伝えし、NECからは人間工学に基づいたより使いやすい容器のデザインなどについて教えていただきました。他の業界の方と話すことで新たな発見が多く、議論が大いに盛り上がりました。最終的には、それぞれの力を合わせて社会課題を解決していくという方向でうまくまとまっていくことができました」(大野氏)
仕様を決める際には、100人を超える薬剤師の意見をヒアリングし、問題点を一つ一つクリアしていった。
「この取り組みには、医師や薬剤師の皆さんとの連携が欠かせません。患者さんに対する細かな説明などのお手間をかける場面があるからです」(深谷氏)
調剤薬局における服薬アシストモジュール付きケースの提供はこの9月にすでにスタートしている。「現場の薬剤師さんらの意見を引き続きお聞きしながら、服薬支援などにさらに役立てていただけるよう、密な連携を続けていきたい」と深谷氏は言う。
一方、NEC側でこのシステムの開発を担当した宮澤和秀は、「まずはシステムの運用をしっかりサポートしながら、大塚製薬様と医療現場のご意見をお聞きして、改良強化に注力していきたい」と話す。
データを「価値」に変えていく継続的な取り組み
このシステムの利用者が増え、正しい服薬によって人々の健康寿命が延びて、社会保障費が抑制される──。それが大塚製薬のビジョンだが、一足飛びにその目標が達成できると考えているわけではもちろんない。大野氏は話す。
「このシステムによって、患者さんの服薬に関する詳細なデータを収集することが事実上初めて可能になります。データを収集、分析し、その知見を学会やセミナーなどで発表し、服薬支援の取り組みの重要性を社会に向けて広く発信していくことが非常に重要であると考えています」
そうして服薬支援が医療問題の解決に向けた一種のムーブメントになり、医薬品に関わるさまざまなプレーヤーが服薬支援に取り組み、医療費削減に対する具体的な効果が現れること。それが、大塚製薬が掲げる長期的な目標だ。今回開発したシステムが、その動きを先導するソリューションになればいい。そう大野氏は言う。
大野氏と深谷氏は、今後のデータ収集および分析・活用に関してNECが果たすべき役割は大きいと口を揃える。
「データを効果的に活用していくためには、クラウド利用が欠かせません。しかし、病気に関するデータは極めてデリケートな個人情報なので、クラウド上にいかにセキュアな環境をつくれるかが勝負になります。NECの技術に大いに期待しています」(大野氏)
さらにそのデータを、AIを活用することで新しい価値に変えていくことができれば、医療費抑制だけではなく、新しい医療サービスが実現していく可能性もある。宮澤は話す。
「AI活用において重要なのは、AIが学習する元となるデータです。将来、服薬支援システムによって患者さんの服用データに加え生活行動データなども収集できれば、これまでにはなかった新しい学習元データとなります。それをAIに学習させることによって、さまざまな知見が得られることになると私たちは考えています」
現在、日本の医療の課題としてしばしば挙げられるのが、「健康寿命の延伸」、「在宅医療の促進」、そして医療、介護、予防、生活支援などが一体となって高齢者を地域で支える「地域包括ケアシステムの実現」である。それらの課題を一つ一つ解決していくには、さまざまなプレーヤーが力を合わせて価値を生み出す「共創」が欠かせない。先端的な医療IoTであるこの服薬支援システムも、そのような「共創」が生み出したソリューションの一つだ。
「ICTは今や医療になくてはならないテクノロジーであり、課題解決の切り札です。今後、さまざまな事業者が連携して、IoT、クラウド、AIなどを上手に活用していくことができれば、日本の医療の質はさらに向上していくことになるはずです」(大野氏)
服薬支援システムの開発はゴールではない。このシステムによって、日本の医療の課題を解決していくための新しい動きが始まった。そう言っていいのではないだろうか。