地方創生現場を徹底取材「IT風土記」
三重発 アコヤ貝の”会話”を読み解き海の異変を察知する「貝リンガル」
真珠養殖発祥の地として知られる三重県の英虞(あご)湾では、真珠をつくるアコヤ貝の反応から海の異変を読み解く「貝リンガル」というITが実用化されている。海の状況変化によるアコヤ貝の反応を10種類以上も判別する、貝の“会話”を通訳する装置だ。真珠養殖に深刻な被害を与える赤潮の発生などを早期に察知し、良質な真珠づくりに大きな効果を上げている。
SUMMARY サマリー
赤潮との闘い
志摩半島南部にある英虞湾は、島や岬が複雑に入り組んだリアス式海岸の美しい風景が広がる。青い海と緑の島のコントラストはリアス式海岸特有の幻想的な雰囲気を醸し出している。宝飾品大手ミキモトの創業者、御木本幸吉が1893(明治26)年、真珠の養殖に世界で初めて成功し、この地に養殖場を開設して以来、世界有数の真珠の産地となった。真珠を養殖するための筏やブイが湾内に点々と浮かぶ。地元の人によると、「かつては航路以外ほぼ真珠の養殖場」というほどで、英虞湾の景観を構成する重要な要素になっている。
英虞湾の真珠の特徴は6~7ミリサイズの真珠が多いことだ。5月頃から真珠のもととなる核とピース(外套膜小片)をアコヤ貝に入れ、12月ごろに浜揚げして真珠を取り出す「当年物」の真珠が主流だという。また、厘珠(りんだま)と呼ばれる5ミリ未満の小さな真珠もこの地域の特産だ。県内の限られた養殖業者が手掛ける技術で、2016年に開催された伊勢志摩サミットでは、厘珠をあしらったラペルピンを各国首脳らが身に着け、大きな注目を集めた。
「英虞湾は栄養が豊富な海なので、当年物でも質の高い真珠をつくることができるんです。しかし、赤潮が発生しやすいということでもあります。そこが英虞湾の真珠づくりの難しさでもあります」。こう語るのは、50年以上にわたって真珠養殖を手掛けてきた中井 義久さん。毎年5万匹ものアコヤ貝を英虞湾で養殖しているが、養殖の期間は毎日のように海に出てはその養殖場の海水に変化がないかを監視する日々だという。
「貝リンガル」を共同開発したのは英虞湾で真珠及び養殖の現場に則った新技術の開発を中心とした研究を行っているミキモト真珠研究所だ。アコヤ貝の生体反応をもとに水質変化を観測する世界初の水質環境監視システムで、突発的に発生して養殖に被害をもたらす赤潮や海水の貧酸素化、硫化水素の発生などを観測することができる。
「アコヤ貝の貝殻にセンサーを取り付け、貝の開閉の動きを計測します。赤潮が発生したり、海中の酸素が欠乏したりすると、アコヤ貝の開閉の回数や間隔が変動します。その動きをとらえることで、海中の異変を早期に察知することが出来るようになりました」。ミキモト真珠研究所の岩橋 徳典(やすのり)副所長は「貝リンガル」の仕組みをこう説明する。
アコヤ貝の貝殻の片方に磁力を検出する「ホール素子センサー」、もう片方に「小型磁石」を取り付けて海に沈める。磁力の変化によって貝殻が開く大きさや開いている時間などを計測するのだ。貝の動きを海上のブイに取り付けたデータ収集装置に集め、通信回線で研究所のパソコンに送信。ミキモト真珠研究所では湾内の数カ所に設置された「貝リンガル」の情報を24時間態勢で監視している。海面から海底まで貝リンガルのセンサーがついた貝を配置し、どの水深で異常が発生しているのかといったこともチェックしているという。
天敵「ヘテロカプサ」
英虞湾の真珠養殖で最も警戒しなくてはならないのは「ヘテロカプササーキュラリスカーマ(以下、ヘテロカプサ)」と呼ばれるプランクトンが引き起こす赤潮だ。ヘテロカプサはアコヤ貝のような二枚貝を直接攻撃して、死に追いやる。1990年代前半に英虞湾で発生して以降、幾度となく養殖業者に大きな打撃を与えてきた。当初、この被害の原因が分からなかったが、ミキモト真珠研究所及び、関連研究機関が新種のプランクトンであるヘテロカプサが原因であることを突き止めた。
「通常の赤潮による被害は、プランクトンの大量発生による海水の貧酸素化などが影響していたのですが、ヘテロカプサはアコヤ貝に直接悪さをする。これまでそんなプランクトンの存在は確認されていませんでした。われわれにとっては大きな脅威でした」と岩橋副所長は語る。
ヘテロカプサからどうやってアコヤ貝を守るか。当時、ミキモト真珠研究所所長だった永井 清仁シニアフェローは、九州大学で赤潮の研究をしていた本城凡夫(つねお)教授(現香川大教授)と連携し、アコヤ貝の生体反応を活用した検知装置の開発に取り組むことになった。「海の中のことは海にいる生き物に教えてもらおう」という発想だったという。
しかし、開発は一筋縄ではいかなかった。「アコヤ貝の反応を調べるために心電図や筋電計などを試したそうです。しかし、貝殻に穴をあけるなど貝に負担をかけなくてはならず、うまくいきませんでした。センサー探しに苦労する中、見つけ出したのが貝の開閉時の磁力変化を計測する現在の仕組みでした」と岩橋副所長は当時の開発の経緯を話す。ホール素子センサーの計測技術を持つ東京測器研究所の協力を受けながら、2004年、「貝リンガル」の実用化にこぎつけた。
研究を進める中で、海中の状況によって、アコヤ貝の反応に、まるで言葉を話しているような違いがあることが分かってきた。アコヤ貝は正常な状態で1時間に数回開閉するだけ。ところが、ヘテロカプサがいるだけで何度も激しく開閉を繰り返す。一方、貧酸素の状況では、一定間隔で開閉する。赤潮の種類によっても開閉の仕方に違いがあることがわかった。現在、研究所が解析した貝の“声”は10種類超。24時間、貝の様子をモニターすることで、海中がどんな状態にあるのかをかなりの精度で読み取ることができるようになった。
「今でこそ情報通信技術の進展で通信費が安くなりましたが、実用化当初は1カ月に50万円もの通信費用がかかっていました。ヘテロカプサ赤潮による被害のことを考えれば、それだけの費用をかけてでもやる意義がある取り組みだったのです」と岩橋副所長は振り返った。
貝リンガルの驚異的な感度
「環境監視は古くからITが活用されてきました。今や当たり前のように使っていますが、人工衛星で得られた海面の温度を参考に魚群を探すこともその1つです」と三重県水産研究所企画・資源利用研究課の津本欣吾課長兼研究管理監。「県のさかな」でもあるイセエビの人工生産に、世界で初めて成功した実績もある。こうして海の恵みと生活が密着している三重県では、三重県水産研究所のホームページで海の仕事をしている人たちに向け、様々な情報を発信している。貝リンガルの情報もその1つだ。週に1度、ミキモトから貝リンガルの反応結果の提供を受け、見やすくグラフ化して三重県内の真珠養殖業者向けに公開している。
情報発信元となる貝リンガルは、英虞湾で最も早くへテロカプサが発生するポイントと考えられる、湾奥に設置されており、その感度の高さに評価も高い。津本欣吾課長兼研究管理監は「ヘテロカプサは、海水が着色しない少ない細胞数で二枚貝に悪影響を与えるため、赤潮になって初めてわかるようでは手遅れになります。われわれも週に一度、定期的に船を出して海水を採取し、プランクトン調査をしていますが、ヘテロカプサ等の有害プランクトンは、採取した海水を顕微鏡で見て初めてその存在が分かります。また、その時は検出されなくても、次の調査までの間に増殖してしまうことも考えられます。一方で、貝リンガルはリアルタイムでヘテロカプサの存在を把握できるため、非常に有効な情報だと思います。三重県水産研究所では、ヘテロカプサが確認された場合には、監視を強化し、被害を及ぼしそうな気配を察知した場合には、真珠養殖業者に対し「赤潮情報」を発行し、注意喚起をしています」と話す。
英虞湾には、ミキモト以外にも約300を超す養殖業者が真珠養殖を手掛けている。三重県の真珠生産量は愛媛県、長崎県に次ぐ3位の規模だが、養殖業者の数は全国で最も多いという。三重県は年間約4200キロの真珠を生産しており、三重県の経済を支える重要な産業だ。対処が取れるうちに情報を発信し、速やかに真珠養殖家の初動が取れるようにすることが重要な任務と真珠養殖産業の成長を支援している。
「貝リンガルのすごいところは、海中に2~3細胞のヘテロカプサが存在するだけですぐに反応するところ。最近では途中から形を変える新種のヘテロカプサもでてきたので、殊更厄介です。それが貝リンガルの反応を見ることで、アコヤ貝が被害を受ける前に対策を講じることができるようになりました」と、ヘテロカプサが英虞湾で最も早く発生するポイントに養殖場があり、貝リンガルを設置している、真珠養殖家の中井さんも高く評価する。ヘテロカプサが発生した場合の対処法は2つ。アコヤ貝を別の安全な海域に貝を避難させるか、アコヤ貝を沈める水深を調整するかだ。しかし、それも避難場所の確保だけでなく、台風が来ていたら船は出せない。どちらも手間がかかる作業であり、ヘテロカプサが増殖するまでに対処できるかどうか、時間との勝負になる。貝リンガルの情報からは目が離せない。
生き物たちの力を活かすIT
ミキモト真珠研究所は、「貝語」の判読を、より質の高い真珠養殖につなげる新たな取り組みに活かしはじめている。
「良質の真珠を収穫するには、貝に可能な限りストレスを与えずに育てることが大切です。貝に付着したフジツボや海藻は、貝のエサになるプランクトンを横取りするので、定期的に除去する必要があるのですが、貝にとってはその除去作業がストレスの一因になります。『貝語』を読み解くことで、もっと沢山の海の状況を知ることができるのではないかと考えています」と岩橋副所長。
貝リンガルは、アコヤ貝以外のカキやホタテといった二枚貝への応用が進められている。国内だけでなく、韓国においてもカキ養殖での実用化がはじまっている。貝リンガルの開発を手掛けた本城教授は現在香川大学に籍を移して研究を継続中だ。「将来はシャコ貝に貝リンガルを取り付けたい。シャコ貝の反応から、地球規模の環境変化を探れるのではないかと考えています」と構想を語る。
津本欣吾課長兼研究管理監は「今年はテロカプサが発生するのか、といった発生予測も研究を進めています。他にも、三重県の重要な漁業資源で、近年減少傾向が著しいものがいくつかあります。海の中で今何が起きているのか、そういった原因究明にも努めたいですね」と日本を囲む海の生態にも視野を広げている。
人は古(いにしえ)から、さまざまな生き物たちの優れた能力を活用してきた。帰巣本能を利用した伝書鳩、するどい嗅覚を犯罪捜査に活かす警察犬はその代表的な例だ。「ナマズが暴れると地震が起きる」といったような言い伝えもある。言葉を発しない生き物たちの声なき声をIT(情報技術)やAI(人工知能)などの先端技術で読み解くことによって、新たなイノベーションを生み出すことができるかもしれない。「貝リンガル」の取り組みはそんな可能性を感じさせてくれる。
(産経デジタル SankeiBiz編集部)
IT風土記 おすすめITソリューション|三重篇
真珠は、その美しさと希少性から古来より珍重されてきました。
楊貴妃やクレオパトラは、美容のために真珠を粉にして飲んでいたとか。
ギリシャ神話では、美の女神アフロディーテの身体から滴った水滴が真珠になったとされます。
日本では、古事記や日本書紀にはすでに真珠についての記述がみられます。
高品質の真珠をつくるには、高水準の養殖技術が欠かせません。
ベテラン養殖家の手にかかると、出荷できる品質に達するのが8割、うち3割が極めて高品質の真珠に。
しかし、駆け出しの養殖家では、出荷できるのは半分以下になってしまうといいます。
真珠の核入れ、浜上げのタイミング……等々、匠の熟練の技が必要なんですね。
NECでは、そうした匠の技を伝承するためのソリューションを提供しています。
これまでマニュアル化が困難とされてきた熟練者の技術をICTで「見える化」し、学習を支援する仕組みです。
熟練者が模範指導時に”気づきポイント”をカメラで記録し、簡単なQ&Aを書き留めることで一問一答型の学習コンテンツを作成。これを学習者がスマートフォンやタブレットなどで繰り返し学習することで、技術習得を早めます。
現在、主に農業技術の伝承に活用されていますが、真珠養殖をはじめ、様々な領域での技術伝承に応用できます。
そして今回は、もうひとつ、海にまつわるITのお話を。
◆海底ケーブルのヒミツ
NECは、過去40年以上にわたり海底ケーブルシステム事業を手掛け、地球6周分のべ25万kmを超える敷設実績があるトップベンダーで、光海底ケーブルだけでなく、陸上に設置する光伝送端局装置や敷設するための海洋調査とルート設計、工事、試験と全てを提供しています。この光海底ケーブルに「震度計」を取り付け、震源に近い震度計が強い揺れを検知すると、光海底ケーブルを通じて、光の速さでデータが伝えられます。
強い揺れや津波が陸地に到達するよりも前に警報が出せる仕組みです。
美しい真珠、そして真珠を育む青い海。
自然の力って、とても神秘的で、とても偉大です。
そうした自然と調和して、新たな価値を生み出すこと。
これからのITの進化発展を考える上で、重要な視点になりそうです。
(By NEC IT風土記編纂室 R)
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