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2018年10月30日

地方創生現場を徹底取材「IT風土記」

愛知発 IT支える最先端技術がキャビアを産む!?

 愛知県豊根村が低温プラズマ技術を活用したチョウザメの養殖に取り組んでいる。低温プラズマ技術は半導体を製造する際に用いられる技術の1つだが、農産物や魚の成長を促す効果があるという。そこで最先端の研究を行っている名古屋大学と連携し、チョウザメ養殖への応用に挑戦。チョウザメやキャビアの生産を「新たな村おこしの起爆剤に」と期待をかけている。

新たな村の特産品に

 静岡、長野両県の県境に接する豊根村は人口1100人あまりの小さな山村だ。愛知県最高峰の茶臼山を抱え、村の総面積の93%が森林に囲まれている。県唯一のスキー場が整備されているほか、春は高原一面に咲く芝桜、夏は美しい星空、秋は紅葉と年間を通じて高原リゾートを満喫できる人気の観光スポットでもある。

 一方で、過疎化と高齢化は村の大きな悩みの種だ。1950年代前半には村の人口は5000人を上回っていたが、ダム建設による集落の消滅や都市部への流出によって減少。さらに高齢化も進行し、人口に占める高齢者の割合は50%に迫ろうとしている。

 そんな豊根村でチョウザメの養殖が始まったのは2012年のことだ。過疎化が進む村を何とか活性化させたいと、村で運送業を経営していた熊谷 仁志さんが養殖にチャレンジした。チョウザメの卵は世界三大珍味の一つであるキャビア。養殖が成功すれば、高級品のキャビアを村の特産品にすることができる。村の活性化の期待をかけ、村も熊谷さんの挑戦を積極的に支援している。

 「豊根村は愛知県の奥地にあって過疎化が進んでいます。『何か新しいことをやらないといけない』『話題のあることを取り込んでいこう』という意識を村は常に持っていました。熊谷さんのチャレンジが村に新たな産業を生み出す可能性にかけているのです」と豊根村地域振興課の青山 幸一課長は説明する。

村の新たなチャレンジについて語る
豊根村役場地域振興課の青山 幸一課長

 村では、起業のための補助金に加え、養殖のための地域おこし協力隊を募集し、東海大学海洋学部の秋山信彦教授から養殖技術の協力を受けるなど事業をサポート。さらに豊根村ならではの付加価値をつけようと低温プラズマ技術の活用に乗り出した。

低温プラズマ技術の医療や農水産業への応用に取り組む名古屋大学の堀 勝教授

 「きっかけは愛知県幸田町です。幸田町では低温プラズマ技術の拠点づくりを目指しているのですが、『低温プラズマには魚の成長を促進させる効果があるので、一緒に取り組まないか』という相談がありました」と青山課長。プラズマの医療分野での応用に取り組む名古屋大学プラズマ医療科学国際イノベーションセンター長の堀 勝教授が参加し、2015年に国の地方創生推進交付金事業として村が主導する形で実証実験がスタートした。

低温プラズマの可能性は無限大

 低温プラズマとはどんな技術なのだろうか。

 プラズマは分子をつくる原子核と電子が自由に飛び回っている状態(電離状態)で、固体、液体、気体とは異なる「第4の状態」と呼ばれている。「稲妻や太陽もプラズマです。溶接の時に出る光もそうです。宇宙の99.9%はプラズマでできています。人類も他の生き物もプラズマから生まれたといっても過言ではないのです」と堀教授は解説する。低温プラズマは常温から数百度程度の低い温度で生成できるプラズマだ。もともとは真空状態でしか生成できなかったが、研究開発が進み、今では常温常圧の中でも低温プラズマを生成できるようになったという。

オーロラのような色の光を放つ低温プラズマ発生装置

 微細な加工に優れた特性を持ち、シリコンウエハ上に精密な電気回路を刻み込む半導体製造には欠かせない技術だ。真空状態にしなくても安定したプラズマを生成する技術が確立されたことで半導体の製造コストが低下するなど、低温プラズマの技術の進歩は半導体製造の技術向上と密接に関係している。広く言えば、低温プラズマはIT(情報通信技術)やAI(人工知能)を支える技術でもあるのだ。

 一方で、常温常圧のプラズマ生成ができるようになり、半導体製造以外の分野での応用が広がった。特に注目されるのは医療の分野だ。殺菌や滅菌の効果はもとより、がんや傷の治療などに効果があるといった研究結果が、海外で相次いで報告されている。堀教授も名古屋大学医学部などと連携して、医療への応用研究に取り組んでおり、卵巣がん治療や手術の際の止血効果など世界が注目する成果を挙げている。日本における低温プラズマの医療研究の牽引役となっている。

 さらに堀教授は「医療で多くの成果が出ているのだから、農業や水産業への効果も期待できる」と、医療分野で得られた成果を、イネをはじめとする農産物や魚にも応用。こうした取り組みの中から魚の成長促進などのさまざまな効果があることを確認できたという。

 なぜ低温プラズマに生物の成長を促進する効果があるのか。その原理は解明されていないが、堀教授はプラズマによって活性化された分子や原子が細胞レベルで何らかの作用を与えているとみている。豊根村でのチョウザメ養殖への応用研究は、堀教授の研究が管理された研究室ではない養殖場で同様の効果があるのかを確認する場となる。

 「研究室での飼育とは違い、養殖の現場ではさまざまな問題や課題が発生します。現場で発生するさまざまな状況変化の中でどう作用するのか。研究室での研究と現場とをリアルタイムでつなぎながら成果を出していきたい」と意気込んでいる。今回の取り組みで堀教授が見つめる未来は陸上養殖で安全・安心な食が供給される世界だ。「低温プラズマに無限大の可能性があります」と堀教授は自信満々に語る。

 豊根村が研究フィールドとして提供している施設には、体長50センチほどのチョウザメの幼魚50匹が低温プラズマ処理した水をたたえた直径2.5メートルほどの水槽の中を悠々と泳いでいる。施設の奥まったところに低温プラズマの発生装置が設置され、この村の豊富な資源である沢から汲みだした水に、オーロラのような色の光を放った低温プラズマが照射されている。熊谷さんのほか、村が募集した地域おこし協力隊に応募し、都会からこの村に来た久保田智也さんと横山雄大さんが飼育を手伝っている。「今回の研究によって、どこにも負けない最高品質のチョウザメが育てられることを期待している」と熊谷さんは話す。

豊根村でチョウザメの養殖に取り組む熊谷 仁志さん(中央)と、この養殖のために地域おこし協力隊として飼育従事している久保田 智也さん(左)と横山 雄大さん(右)

 地域振興課の青山課長は「日本では、すでにキャビアの生産に成功している地域もあり、われわれは後発組。最先端の技術を積極的に取り入れて、先発組に負けないブランド価値をつくりだしていく」と力を込めた。

粘り強い支援が生むイノベーション

 2012年、熊谷さんが最初に養殖した1000匹のチョウザメのうち、生き残ったのはわずか300匹だった。試行錯誤を重ねながら村の環境にあった養殖技術を確立し、今では生存率7割を維持できるようになった。現在、養殖しているチョウザメの数は4000匹に上り、水槽の数は20基に増えた。2人の協力隊の若い力を借りながら、養殖事業は何とか軌道に乗り始めた。2016年にはオスのチョウザメの出荷をスタート。村内の飲食店や宿泊施設での提供も始まった。

 地元の道の駅、豊根グリーンポート宮嶋では、チョウザメの肉団子を野菜と一緒に炒めた「チョウザメだんごの香酢定食」を提供。道の駅を運営する茶臼の里合同会社の石田 いま副社長は「村を訪れた多くの観光客に食べてもらおうと、それまで予約制だった料理を常時提供できるようにしました。リピーターも増え、人気は上々です」と話す。また、旅館清水館では予約制でチョウザメ料理のフルコースを提供している。館主の石田 喜章さんによると、肉質に弾力があり、コラーゲンが豊富だという。薄造りや洗いにしたり、湯引きにして酢味噌で和えたりしているほか、かば焼きやてんぷらなども楽しめる。「フルコースとうたっていますが、まだキャビアがありません。キャビアもそろったコース料理を出すのが待ち遠しいですね」と石田さん。熊谷さんによると、キャビアの出荷は2020年になる予定で、村民の期待も膨らんでいる。

道の駅「豊根グリーンポート宮嶋」で提供しているチョウザメ料理「チョウザメだんごの香酢定食」と石田 いまさん
宿泊客にフルコースのチョウザメ料理を提供する清水館の石田 喜章さん。
豊根産キャビアの登場を心待ちにしているという

 低温プラズマによるチョウザメ養殖の研究は5年計画の3年目を迎えている。チョウザメは成長が遅いため、まだ目立った変化が表れていないが、堀教授によると、さらに低温プラズマを強くした水での飼育を試みてチョウザメの成長の変化を探るほか、医療分野で研究が進められているプラズマ活性化溶液での飼育にも着手するという。

 豊根村の伊藤 実村長はこう訴える。

 「国や県もそうだが、役所の場合、1回やって終わりという事業も少なくない。しかし、民間企業は3年、5年と研究を粘り強く続けて、成功にこぎつけている。そういった手法が行政にも必要なのです」。

 豊根産のキャビアが世に出るのはおよそ2年先。低温プラズマの養殖研究が実用化されるのもこれからだ。一人の村民のチャレンジから始まった村の活性化対策はまだ緒についたばかりともいえる。だが、この粘り強い支援が想像を超えるイノベーションを生み出すという期待は高まるばかりだ。

「村おこしも長期的な取り組みが必要だ」と訴える豊根村の伊藤 実村長

(産経デジタル SankeiBiz編集部)

産経デジタル SankeiBiz編集部
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