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2018年12月12日

わたしたちは何を/いかに「ファイナンシャル・インクルージョン」するのか?

 2018年9月25日~28日に開催された、フィンテックとレグテックをテーマとしたカンファレンス「FIN/SUM 2019 x REG/SUM」。NECは本カンファレンスにおいてワークショップ「来るべきデジタル社会におけるファイナンシャル・インクルージョン」を実施した。

 ワークショップに参加したのはメディア美学者・武邑 光裕と黒鳥社コンテンツディレクター・若林 恵、ロフトワーク代表取締役・林 千晶、NECのFinTech事業開発室長・岩田 太地の4名。タイトルにある「ファイナンシャル・インクルージョン」(金融包摂)はあらゆる人々が金融サービスを享受できる状態を意味するもので、今後フリーランサーが増加し「個」の経済が加速するにつれますますその重要性は高まっていくと考えられている。「フィンテック」というとブロックチェーンや人工知能(AI)などテクノロジーの可能性について論じられたり新たなサービス開発やビジネスモデルの創出について議論されたりすることが多いなか、本ワークショップは異色のものだったといえるだろう。

 この日FIN/SUMでは、本ワークショップに先駆けた「導入」ともいえるシンポジウムがふたつ開催された。ひとつは武邑と若林による「GDPRの衝撃 データ・アイデンティティ・通貨」、もうひとつが林と岩田に加え三井住友海上火災保険取締役・舩曵 真一郎とdotData・藤巻 遼平が参加して議論する「デジタル実装と信用・信頼のこれから」。前者は現在もベルリン在住の武邑が2018年5月にEUで施行されたGDPR(一般データ保護規則)の影響や背景について論じ、金融・医療・保険を中心に欧州では個人主権(自己主権)的なサービスが支持を得ていることを明らかにした。他方の後者はAIのブラックボックス化を防ぎながら民主化を進めようとするdotDataの藤巻を中心に、企業と市民の間の信頼をいかにつくっていくことが可能なのか論じていくものとなった。

変わりゆく企業と個人の関係性

 これらのシンポジウムを経て行われたワークショップは、武邑による現在欧州で注目されているふたつの銀行の紹介から始まった。まず最初に武邑が紹介したのは、ベルリン発のオンラインバンク「N26」。2013年に設立されたこの銀行は現在100万人以上のユーザーを擁しており、8分で口座が開設できるほか自身でカードの停止・再発行ができるなど自己主権的なサービスを提供している。弱冠28歳のビジュアルデザイナーによってつくられたインターフェースはシンプルで使いやすく、武邑は「これを一度使うと日本の銀行は銀行だと思えなくなりますね」と苦笑する。

 続けて武邑が紹介した銀行は「トリオドス」。1980年にアムステルダムで設立されたこの銀行はかなりのスタートアップやアントレプレナーに投資しており、なかでも再生可能エネルギーやフェアトレードなどサステナブルな社会をつくる企業を手厚く支援していることで知られている。

 「トリオドスはこうした投資を通じてコミュニティづくりを行っていて、自身のアイデンティティを明確に示している。自分たちの活動をメッセージにしているわけです」と武邑は語り、現在はトリオドスのメッセージに共感し同銀行で口座を開設する人々が増えているのだと続ける。「従来、銀行は安定や安心を与える中央集権的な存在でしたが、いまは顧客の支持に基づく対等な関係性をつくらなければいけなくなってきている。だから、銀行にもメッセージが求められているんです」

 武邑が紹介したふたつの銀行は単に銀行の新たな可能性を示しているだけではない。GDPRのような動きによって自己主権化が加速したことで、経済活動における企業と個人の関係性も変化しつつあることを示唆しているのだ。若林は「高度経済成長期のように、企業の成長が社会に豊かさをもたらす時代はたしかにありましたよね」と前置きしつつ、次のように述べた。「1980年代以降はマーケティングと広告で企業と人をつなげていただけれど、もはや機能しなくなりつつある。企業だけじゃなく行政や市民の役割も変わってきているのかなと。企業はこれまでのように雇用が産めない状態でどうやって社会に影響を及ぼしていくのか問われていくのだと思います」

「カウンターカルチャー」の死

 欧州では2019年にクッキーの使用に制限をかける「eプライバシー規則」が施行されることが決定しており、今後もパーソナルデータの取り扱いを中心に自己主権化が進んでいくことが予想されている。しかし、林が「GDPRやeプライバシー規則の議論を聞いて欧州はすごいねと言われたりするけれども、日本にいるとこうした動きの主体が目に見えづらい」と指摘するように、しばしばGDPRの議論においては欧州と日本が切り離されて語られるのも事実だ。

 若林はこうした状況に対し「日本も無関係ではないと思う」と述べ、インターネットの変化を受けて欧米で起きている問題が日本ともリンクしていることを指摘する。「本来インターネットはカウンターカルチャー的な理念だったけれど、いつの間にかプラットフォーム独占が起きエンパワーされるはずの個人が搾取されてしまった。欧州においてはテロリズムにFacebookが及ぼした影響が論じられているし、米国でもSXSWのような場で厳しく大手プラットフォーム企業は批判されています。WELQ的なフェイクニュースの問題や杉田 水脈議員が引き起こしたLGBTの議論など、日本で起きていることも欧米で生じているオルタナ右翼のような問題とパラレルなのだと思います」

 若林が指摘しているように、もともとインターネットは国家や産業のように巨大な権力の支配から逃れるためのカウンターカルチャーから生まれたものだった。しかし、いまやGAFAと呼ばれるテックジャイアントを筆頭に、かつてのカウンターカルチャーこそが主流経済となってしまったのだ。武邑はこの逆転について次のように語る。

 「カウンターカルチャーは成功しすぎてしまったんですよ。無料でサービスを提供するために生まれたアドテックのアイデアがあまりにも成功しすぎたせいで、監視資本主義へと変貌してしまった。結果として、いま欧米ではコンサバティズムこそが新しいカウンターカルチャーになっている。『スノーフレーク』と呼ばれる若い世代の37%は軍事政権を望んでいるとも言われていて、全体主義に向かう若者も少なくない。GDPRやeプライバシー規則の背景にはこうした流れに対する危機感もあるのだと思います」

 インターネットがもっていた理念はもはや失われてしまったのかもしれない。事実、ワールドワイドウェブ(WWW)の父、ティム・バーナーズ=リーは「インターネットは失敗に終わった」と述べていると若林は指摘する。「インターネットはこれからつくりなおされなければいけないと言われるようになって、再び議論が振り出しに戻っている感じがします。GDPRのような動きを経て、個人を主権化するためにそれがどう使えるのか考えなければいけなくなっているのではないでしょうか」

会社のプラットフォーム化

 インターネットを通じて再び個人をエンパワーするために、欧米ではさまざまな議論が行われ、GDPRやeプライバシー規則のように具体的なルールも設けられている。しかし、日本はどうだろう。岩田が「日本の人々にも課題意識はあると思うんですが、日本ではまだ何も起きていない。私自身放っておくとまずいことになるとは思うんですが、なぜ日本では変化が生じないんでしょうか」と疑問を呈したことで、議論は日本の文化がもつ特殊性へと展開してゆく。

 まず、林は日本では「個」が確立されてこなかったのではないかと語る。「欧米では、革命や戦争を通じて個にこそ精神としての主体性があるべきだと考えられるようになったけれど、日本では欧米が体験してきた大きな変革が起きていませんよね。ただ、日本は村や生協、互助のようなかたちで個のつながりを生むのがうまい。その単位で社会を変えていくことならできるのかもしれません」

 続く武邑も林に同調する。「福沢 諭吉はlibertyという単語を自由と翻訳しました。これは『自らに由る』と書くわけで、つまり個人主権のことなんです。自由であるためには個人である必要がある、と。だから日本のように共同体の一員として個を捉えようとすると、分離が生じてしまうのだと思います」

 一方で若林は、個人ではなく企業へと目を向ける。若林によれば、現在は「社会」と訳されることの多い「society」という単語はかつて「会社」とも訳されており、社会と会社は混同され続けていたのだという。「だからこそ、会社のスコープが社会のスコープだという構造をメンタリティとして日本の人々はもっているのかもしれません」と若林は語る。

 ただし、林が「最近はSDGsのような考え方が重視されるように、会社も社会のためのものになっている」と指摘するように、近年会社と社会の関係性が再び問い直されているのも事実だろう。「会社の有りようは今後変わっていくんだと思います。正規雇用は今後減っていくし、フリーランサーが協働するためのモデレーションを行うことが会社の役割になっていくかもしれません。それはプラットフォームのようなもので、ある種の社会だともいえる」。そう若林が語るように、これからの会社はプラットフォームのような存在になることで個人と新たな関係性を結んでいくのかもしれない。

「インクルージョン」が意味するもの

 ここで議論はいよいよ「インクルージョン」の問題へと移っていく。これからの企業は自身の役割を更新する必要があるとして、彼らはどのように異なる人々と共生していくことができるのか。

 たとえば西洋・東洋・デジタルのように現代では異なる世界が拮抗していることを考えるだけでも、その共生の難しさがわかるだろう。この3つの世界の関係は天体力学になぞらえて「三体問題」と呼ばれ、今後はこの「三体」がどう共生していくかが問われていく。

 武邑によれば、GDPRやeプライバシーはテクノロジーに反旗を翻すものではなく、むしろEUが三体のひとつであるデジタル世界とパートナーシップを組むためのものなのだという。「GDPRを通じてEUはAIやロボットにもプライバシーを認めようとしている。それはe-personalityと呼ばれていて、AIやロボットをひとつの人格として認めているわけです」。林はEUのこうした考え方に賛同し、「企業にも『法人』というかたちで人格を与えたからこそ、できることが増えていきましたよね。人格を与えることで責任や可能性において平等が生まれるとすれば、AIやロボットに人格を認めるのもリアルなことだと思います」と語る。

 日常的に多様化が進み異質な民族とのかかわりを経験し、何世代にも渡って移民問題と向き合ってきた欧州の人々にとって、ロボットやAIにも人格が認められるならばそれは一種の「移民」だといえるのかもしれない。武邑も次のように欧州のスタンスについて解説する。「これからやってくるのが外国からの難民でもロボットでも、新しい人格という意味では同じですよね。どうすれば彼らを対等なものとして迎え入れ、共生できる社会をつくっていくのか、欧州の社会は常に考えているのだと思います」

 武邑の発言を受け、「インクルージョンというとインドやアフリカの人々のことを想像する人がいますが、そうではないんですよね」と岩田は語る。わたしたちが「インクルージョン」と言うとき、そこで想定されている対象はいったい何なのだろうか。しばしばわたしたちは外国からの移民を想定しがちだが、そこにはAIやロボットが含まれることも忘れてはいけないだろう。

 さらには若林が「欧州は移民を受け入れててすごいねとよく言われるけれど、日本も外国人はすごく多いし、ビジネスについて言えば女性の就業率は高まっているのに不満がすごくあると言われている」と語るように、「インクルージョン」とはこれからわたしたちが直面する問題ではない。日本で暮らすわたしたちはすでにその渦中にいるのだし、すでに社会からこぼれ落ちてしまっている人々も少なくないのだから。新たなビジネスをつくり出しそうした人々とつながりを生むことで、企業と社会の新たな関係性も生まれてくるはずだ。

 来るべきデジタル社会において、ファイナンシャル・インクルージョンはどうあるべきなのか。当たり前ながら、そう簡単に結論が出る問題ではない。「インクルージョン」が意味する対象をいまいちど考えなおすこと、そして自らが置かれている環境をきちんと把握することからしか、それは実現しないものなのかもしれない。

PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA
TEXT BY SHUNTA ISHIGAMI

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