先駆者たちが見据える2050年の景色 Vol.3
~AIと生命科学の進化がもたらす「人生120年時代」~
ジーンクエスト創業者 高橋 祥子氏/NEC 生成AI事業 テクノロジー責任者 本橋 洋介
インターネットの台頭により、わずか30年で、社会やビジネスは劇的に変化を遂げた。今から30年後の2050年には、よりテクノロジーと分かちがたく結びついた社会が到来するだろう。wisdomでは「2050年の景色:テクノロジーが、私たちの社会を豊かにするために」と銘打ち、ビービットCCOの藤井 保文氏をモデレーターとする3回にわたる連載対談を企画。最終回となる第3弾は、「不老長寿テックスタートアップ」を立ち上げた起業家 兼 ゲノム研究者の高橋 祥子氏と、NECで生成AIの研究開発に取り組む本橋 洋介をゲストに迎えて行われた。人生120年時代の到来が予想される中、最先端の生命科学とAI は2050年の未来をどう変えるのか。それぞれの領域の専門家たちが熱い議論を交わした。
SPEAKER 話し手
高橋 祥子氏
TAZ Inc. 代表取締役社長
ジーンクエスト 取締役ファウンダー
本橋 洋介
NEC
デジタルプラットフォームビジネスユニット
NEC Generative AI Hub
テクノロジーリード
藤井 保文氏
株式会社ビービット
執行役員CCO(Chief Communication Officer)
AIのゴールの1つは「死と向き合うこと」
藤井氏:今回は「AIと生命科学」という切り口から、2050年の世界について考えてみたいと思います。まずは「2050年には生命の倫理や価値観がどう変わっているのか」というテーマでお考えをお聞かせください。
本橋:私は、NECで生成AI事業のテクノロジーの責任者を務めています。AIのゴールの1つは、「人間の死と向き合うこと」だと考えています。例えば、今、無人店舗で接客するAIをつくっていますが、AIで自分の分身をつくれば、数カ所で同時に会議ができるようになる。2050年には、AIに織田 信長の思考パターンをインプットし、織田 信長が総理大臣に立候補するといったことも、ありえない話ではないと思います。
近未来には、死ぬ前に自分の記憶と思想を注入したAIをつくり、仮想的に生き続けることも可能になるのではないか。もちろん倫理的な問題もあるとは思いますが、そういうチャレンジもしてみたいと思っています。
高橋氏:1つお聞きしたいのですが、AIの身体性についてはどう思われますか。「人間の意志」について研究している研究者の間では、例えば「寒いから上着を着たい」というように、環境からの身体的な刺激に対してホメオスタシス(生体活動を安定した状態に保つ働きのこと)の反応を高次化したものが「意志」である、という認識が共有されつつあります。ところが、今のAIには身体性が追いついていない。その点についてはどうお考えですか。
本橋:その質問は本質を突いていると思います。例えば、自分がAIカウンセラーと人間カウンセラーのカウンセリングを受けたとして、どちらの話を参考にするかというと、おそらく後者だと思うんです。なぜなら、人間カウンセラーとの間には、何か物理的な交流というか、空気感のようなものを感じるからです。
その身体性は、今のところAIにはない。ただ、それに対する1つの答えとして、ロボット工学でそれに近い「器」をつくり出せば、AIが人間に近い身体性を獲得することはできるのではないかと考えています。
もう1つの答えは「身体性に対する価値観が、部分的に変わっていく可能性がある」ということ。例えば、会ったことも会話したこともないYouTuberとの結婚はあまり想像できませんが、会社の同僚や学校の先生なら、オンラインでしか知らないものの、いいなと思う人がいるかもしれない。その辺りの価値観は変わるかもしれないな、と思っています。
ヒューマノイド(人型ロボット)は人間と結婚できるか
藤井氏:先日、「ザ・クリエイター/創造者」というSF映画を観たのですが、今の議論の延長線上にある話だな、と思いました。近未来におけるAIと人類の戦いを描いた映画ですが、ある世界ではAIが人間を脅かすというのでAIを規制し、一方の世界ではヒューマノイド(人型ロボット)の人権を認めながらAIと共存している。後者の世界では、ヒューマノイドが人間と結婚することもできるんです。それって、ありだと思いますか。
本橋:人間の認知能力を超えて、ヒューマノイドを「人間」だと認知したら、結婚すると思います。認知には論理的なものだけでなく、触覚も含めた感覚的なものも混じっている。それが人間のセンサーを超えてしまったら、ヒューマノイドとの結婚はありうると思います。
高橋氏:私は基本的に「全部ありうる」と思っています。1980年代は8割の人が体外受精に反対していましたが、今では毎年、何万人もの赤ちゃんが体外受精で生まれています。まずテクノロジーが先行して、それを「使っていいかどうか」は、人間が集団の合意によって後から決めるという構造なので、「ヒューマノイドとの結婚を許容するか」という倫理的な答えは、集団や国、時代によって異なる。だから、私はニュートラルに考えています。
本橋:先ほどの身体性にもそれほどこだわらない、ということですか。
高橋氏:今のところ、AIに身体性が追いつく目処は立っていませんが、私は「AIの発展には身体性が必須」という仮説を持っています。例えば、英語教師だった夏目 漱石が、「I love you」を「月がきれいですね」と翻訳したという話がありますが、仮に夏目 漱石のAIをつくったとして、そのAIが「月を見ながら夜風を感じる、隣にいる人の息遣いを感じる」といった身体感覚を持たない限り、その訳は出てこないと思うんです。
藤井氏:人間と同等の知能を持った「汎用人工知能」を目指すのであれば、身体性は必要ですよね。
本橋:AIは、「思考」については一定レベルを超えましたが、触覚などはあまり発達してこなかった。五感の中で、テクノロジーが一番発達したのが「視覚」の領域だと思います。百聞は一見にしかずで、視覚以外の感覚がなくとも、人間は見ただけでそれを信じる傾向がある。夏目 漱石の姿が立体投影されて、生けるがごとき姿で目の前に現れたら、ちょっと感動しますよね。視覚を活用すれば、AIはもっと人間に近くなるのではないかと思います。
藤井氏:2050年には、人工知能も一定の認知感覚にもとづく身体性を持ちうるということですね。
AIの進化で生まれる膨大な余暇をどう生きるのか
藤井氏:高橋さんはゲノム研究の専門家として、2050年にはどんな景色が広がっていると思われますか。
高橋氏:私はジーンクエストをいう企業を立ち上げ、ヒトゲノムの解析を通じて、どんな病気になりやすいかを調べ、その病気を未然に防ぐための個人向け遺伝子解析サービスを提供しています。2024年1月には不老長寿テックのスタートアップ、TAZ(たづ)を設立し、病気を予防して「病気にならない期間を延ばす」、エイジングテックの領域に取り組んでいます。
2050年には私は60歳ですが、おそらく120歳まで生きると思っているので、まだ人生半ばといったところです。そうなると時間の感覚も変わっていくはずで、今は「40過ぎたらおじさんだ」というような、暦年齢にもとづく解像度の低いやり方で年齢をとらえていますが、同じ40歳でも、身体的年齢は20代の人もいれば60代の人もいる。当然、死に至るまでの時間も人によって違うわけで、時間軸のアップデートが起こると思います。
例えば、122歳まで生きた世界最高齢の女性は、85歳からフェンシングを始め、100歳まで自転車に乗っていたといわれます。今、死因のトップは病気ですが、病気がコントロールできるようになれば、「死を自分でデザインする」ことが可能になる。AIの進化で労働時間も減るはずなので、死生観や人生設計は大きく変わっていくと思います。
藤井氏:難しいのは、AIの登場によって余暇が増えたときに「どんな生き方を選ぶのか」という問題です。「働かなくてもいい」といわれたら、「そんなこといわないでよ。特にやりたいこともないし、何をすればいいの」という人も多いんですよね。「別に長生きなんかしなくていい」という人が出てくる可能性だってある。AIで生き方が変わることによって、長寿や人生の選択に対する考えも変わるのではないか、と感じています。
「AIでよみがえる美空 ひばり」というテレビの番組がありましたが、そこでは戦後日本を代表する歌手の美空ひばり(1937~89)がAI技術でよみがえりステージで歌声を披露しました。例え、自分がいなくなったとしても、「AIで複製を残せるのだから、自分は好き勝手に生きるのだ」と思うのか。それとも、健康長寿によって「100歳でも全員働いています」という生き方を選ぶのか。ある意味、倫理の分岐点が来るのではないでしょうか。
高橋氏:人は最もハッピーな方向に向かっていく生物なので、自覚的に選択するというより、選んだ感覚がないまま、気がついたら生きていた、という感じになるのでは。それから、「余暇が増えたら何をするか」という点については、古代ギリシアのアテネ時代のように文化的な活動が増えるのかもしれません。
藤井氏:なるほど。ただ、所得や学歴が上位10%の人たちにとっては選択肢が増えるけれども、資産や知識、リテラシーを持たない50%の人は、2050年になっても2100年になってもあまり生き方が変わらない――。例えば、そういうことは起きないでしょうか。
高橋氏:寿命に関していえば、既に経済格差と寿命格差はリンクしています。最先端の遺伝子治療薬などは、売価が1億円を超えるものが多いので、薬を買える/買えないが寿命につながっている。ただ、収束していけば、コストがどんどん下がり、「知らぬ間に使っていた」という感じになるとは思います。
2050年には「若返りの薬」も実現可能に?
藤井氏:「自分で選択しなくても、勝手に寿命が延びていく」というのは、どういうプロセスをたどるのでしょうか。
高橋氏:例えば、昔の貧困層は炭水化物や糖質をなかなか摂れなかったのですが、技術の進展で食料が行き渡るようになったことで、アメリカでは貧困層の方がパンを食べるようになった。このため、今はむしろ貧困層の方が糖尿病にかかりやすくなっている。そんなかたちで、いつのまにか社会全体が変わっていくんですね。
それから、「今の人は昔の人より肌の状態が圧倒的にいい」というデータもあります。それは「紫外線が体に悪い」という知識が広まったからです。そういう知識が知らず知らずのうちに広まって、社会全体が底上げされていくと考えています。
藤井氏:それでは、生命科学から見た場合、2050年はどのような世界になっているんでしょうか。
高橋氏:エイジングテックに関していえば、来年あたりに“犬の長寿薬”が承認されるかもしれないという報道があります。これは若返りというより病気予防ですが、あと数年で実用化されるといわれています。
一方、細胞に介入してエピジェネティクスを変化させる「若返りの薬」は、おそらく実用化までにあと30年はかかるのではないでしょうか。それは一部の人しかアクセスできない高価な薬になると思うので、2050年の段階では「病気予防がより拡張した状態」になるのではないかと思います。
AIで仕事率が変わらなければ人生の「総仕事量」は8倍になる
本橋:今、お話を聞きながら考えていたのですが、寿命が延びると、人間は「飽きる」のではないかと思うんです。というのは、ITの発達によって、単位時間当たりにできることは増えていますよね。人間の寿命は倍になり、同じ時間でできることが4倍に増えるとすれば、2050年には、人生を8周できることになる。さすがに飽きそうだな、と思うわけです。
特に気になるのが、「健康寿命が120歳まで延びました。では、120歳まで仕事をやりますか」という議論です。先ほど、古代ギリシアのアテネのように芸術に興じるという話がありましたが、これは、「衣食住に困らない人が余暇をどう過ごすか」ということに対する比喩として語られている。
それでは、衣食住を保つためのお金はどうやって得るのか。結局、お金のデザインが必要で、それがないと、結局、仕事をする羽目になる。単位時間にできる仕事が増えて、そのくせ寿命も伸びているから、人間の総仕事量が8倍になろうとしているわけです。「人生の時間が8倍になる」というのは、そういうことだと思うんですよ。仕事率が変わらなければ、仕事量もそのまま8倍になる。
藤井氏:その仕事率というのは、AIを使っても下がらないんでしょうか。
本橋:そうなんです。「なぜ、人間はAIで仕事率を変えられないのか」とずっと考えていたのですが、その原因は、人間の「心」にあるのかもしれない。僕は「120歳まで生きている人は、心が疲れそうだな」と思うんです。心の体力が伸びきらないまま肉体の体力だけが伸びて、「すべからく、つらい」というダメージが蓄積され、120歳まで生きることができない。
例えば、つらい仕事は「10年続く」と思えば絶対にやりたくないが、「明日までなら頑張れる」という人は多いと思います。やはり時間の問題は非常に大事で、120歳まで生きることに耐えられる人は少ないのではないか。その点はどう思われますか。
高橋氏:今は、メンタルヘルスや心に対する解像度は極めて低い状況ですが、それも研究が進んでいくはずです。例えば、やる気や意欲を支えるドーパミン・ドリブンの活動は、歳をとるにつれて減っていきますが、これはドーパミンの自己受容体に負のフィードバックが働いて、ドーパミンを摂取すればするほど反応が鈍くなるためです。
一方、オキシトシンが増加すると正のフィードバックが起こるので、赤ちゃんを抱っこしたり、恋人とハグしたりすればするほど、幸福度が上がっていく。そういう活動を意識して増やすようにすれば、歳を重ねるほど幸福度が増していくような設計ができるはずです。
人生の時間のほとんどを仕事に費やしているようでは、人間らしい生活とはいえないですよね。でも、AIが進化して寿命が延びれば、「人間らしさとは何か」という解像度も上がり、それをきちんと設計できるような社会制度になるはず、と考えています。
本橋:そうなってほしいですね。でも実際のところ、情報化社会で単位時間の処理量が上がり、僕らの仕事時間は今のところ減っていない。
藤井氏:人間は仕事をつくり続けるんじゃないか、ということですよね。
本橋:飽くなき欲望を持つ人間は、富を持つと、さらに生活水準を上げようとする。1000円あれば1日に必要な栄養素は賄えるのに、やっぱり1万円のご飯を食べたいという人間がいて、さらに仕事をしたくなる。人間が仕事をし続ける、謎のループが存在しているわけです。
高橋氏:それは生物学的なものというより、資本主義がつくり出したものではないでしょうか。
日本的なAIとは「困っている人を支える」ためのもの
本橋:では、「人間は富を永久に持っていた方が幸せだ」という資本主義的な価値観は今後、壊れていくのでしょうか。
高橋氏:壊れるというか、変わっていくとは思います。この100年は、人類が資本主義に翻弄された時代だと思うんです。人間は欲求に対してなかなか抗えない。例えば食欲にしても、人間は、最も健康的な量より少し多目に摂取するようにできている。それは、食料へのアクセスが常にあるとは限らないからです。
ただ、その欲望だけに囚われて行動すると、世界中に肥満の人があふれることになる。それでも、「腹八分にとどめるのが最も健康的だ」という知識と意志を持って抗えば、進んでいけると思うんです。
本橋:それを支えるAIをつくりたいですね。
高橋氏:資本主義は大きな経済格差を生み出し、地球環境を破壊してきたわけですが、少しずつ修正していくことは可能だと思っています。でも、今のビッグITプレイヤーを中心とした経済圏は、人々の瞬間的な欲望をブーストして利益を上げる構造になっている。AIもその方向に行くと嫌だな、と懸念しているところです。
本橋:同感です。海外に1カ月ほど滞在して帰国すると、「やっぱり日本、いいな」と思うんです。日本は安全で、ホスピタリティにあふれているし、他人を思いやる気持ちもある。でも、それは資本主義が大事にしていることとはちょっと違うのではないか、と思っています。
そんな日本に生まれたからこそ、僕は生成AIを使って、医療システムや物流を改善して、困っている人を支えるような仕事がしたい。日本人的なAIとはそういうものではないかと思っています。
藤井氏:AIに日本の発想を吹き込むことに期待しています。まだまだ議論がし足りない気持ちでいっぱいですが、本日は終わりにしたいと思います。ありがとうございました。