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【激震する業界地図】Vol.3
伝統と革新の狭間で揺れる日本の金融DX
その未来像を読み解く

 破壊的なテクノロジーの登場などにより、金融機関を取り巻く環境は急速に変化している。金融サービスのデジタル化も進み、ユーザの体験や満足度向上を考えたサービスを柔軟かつスピーディに提供することが求められている。こうした観点から世界的なフィンテック・ブームが続く一方で、日本では金融DXへの取り組みが遅れているといわれている。その理由はどこにあるのか――。「激変する業界地図」シリーズ第3弾のテーマは、「金融DXが目指す先」。2016年に設立された日本銀行Fin Tech センターで初代センター長を務めた、京都大学公共政策大学院の岩下 直行教授とビービット日本リージョン代表の藤井 保文氏が語り合い、金融DXの未来像を明らかにしていく。

SPEAKER 話し手

岩下 直行氏

京都大学公共政策大学院
教授

藤井 保文(ふじい やすふみ)氏

株式会社ビービット
日本リージョン代表

世界に冠たる新システムがもたらした意外な影響とは

藤井氏:グローバルレベルで比較した時に、日本は金融DXが思ったように進んでいないという論調を耳にします。その原因はどこにあるのでしょうか。

岩下氏:このお話をするには時間を少しさかのぼる必要があります。1990年前後のバブル期のころ、IBMの米国本社工場でつくられる当時最先端のメインフレーム・コンピュータ、IBM 3090の約半数が日本の銀行に出荷されていました。

 当時は日本の都市銀行が、世界の銀行トップ10に3つほどランクインしていた時代です。彼らは、世界のトップバンクにふさわしいシステムをつくろうと、命がけで新しい勘定系システムを開発し、世界に冠たるシステムができたと誰もが思った。確かにできた当初はその通りだったし、長年にわたり金融の屋台骨を支えてきたのも事実です。しかし、今ではコストをかけてメンテナンスし続けなくてはならないレガシー資産となりつつある。これをどうモダナイズするかが今後の金融DXを進めるカギとなるでしょう。

京都大学公共政策大学院
教授
岩下 直行氏

1984年3月、慶應義塾大学経済学部卒業。同年4月、日本銀行入行。1994年7月、日本銀行金融研究所に異動し、以後約 15年間、金融分野における情報セキュリティ技術の研究に従事。同研究所・情報技術研究センター長、下関支店長を経て、2011年7月、日立製作所に出向。2013年7月、日本銀行決済機構局参事役。2014年5月、同金融機構局審議役・金融高度化センター長。2016年4月、新設されたFinTechセンターの初代センター長に就任。2017年3月、日本銀行退職。同年4月、京都大学・公共政策大学院の教授に就任。同年8月、金融庁参与を兼務。2019年1月、金融審議会委員を兼務。2020年11月、国立情報学研究所・研究開発機構客員教授を兼務。

「インターネットは邪道」という意識がDXを阻害した

藤井氏:なるほど。数十年前は最先端かつ高度だった勘定系システムが、今では足かせとなっている部分があるというわけですね。

株式会社ビービット
日本リージョン代表
藤井 保文(ふじい やすふみ)氏

東京大学大学院修了。上海・台北・東京を拠点に活動。国内外のUX思想を探究し、実践者として企業・政府へのアドバイザリーに取り組む。AIやスマートシティ、メディアや文化の専門家とも意見を交わし、人と社会の新しい在り方を模索し続けている。著作『アフターデジタル』シリーズ(日経BP)は累計22万部。最新作『ジャーニーシフト』では、東南アジアのOMO、地方創生、Web3など最新事例を紐解き、アフターデジタル以降の「提供価値」の変質について解説している。ニュースレター「After Digital Inspiration Letter」では、UXやビジネス、マーケティング、カルチャーの最新情報を発信中。
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岩下氏:そうした面は大きいと思います。ただ 彼らの名誉のために言うと、金融業界や政府の方も決してITトレンドに疎かったわけではない。ただ、その当時はインターネットの黎明期で金融インフラとして使うには、まだまだ脆弱だったのです。

 バブル崩壊の影響もあって、1990年~2000年に日本のITイノベーションは停滞します。ところが、当時の金融業界の主流派は「メインフレームとクローズドな環境で仕事をすること」が正しいと考えていた。彼らは「インターネットは、個人が趣味で使うもので、仕事には大型コンピュータを使うべきだ」と思い込んでいたわけです。一方で、アジア諸国ではDXがどんどん進み、このままでは日本が置き去りになってしまうという危機感が芽生えた。この状況を変えるべく、政府がDXを打ち出したというのが僕の理解です。

藤井氏:当時の金融の大手企業にとっては、長らくIT活用の主流はメインフレームで、インターネットは副次的なものととらえられてきたわけですね。そのためインターネットやモバイルの時代が到来すると、クラウド化やネットワーク化への対応が遅れた。ただ近年は、世の中の認識が大きく変わってきています。金融のIT活用においてもそうした兆候は見られるのでしょうか。

岩下氏:多くの伝統的な企業ではいまだにインターネットをサブカルチャーととらえている気がします。インターネットのようなサブカルチャーと、メインストリームとの間に意味的な差を設けてしまっていることが、今のDXが「形だけDX」になってしまっている一因だと思います。

 例えば、日本は欧米と比べると、外回りの営業のスケジュールを未だにホワイトボードで管理している企業が多い。スケジュール管理のモバイル化を進めたくても、スマホが得意でない人たちが「パフォーマンスが下がる」といって抵抗するわけです。

 日本企業には、デジタルによる下克上を嫌う風潮がある。どうしても必要なときはインターネットを使うけれども、自分の周りは昔ながらの姿に保っておきたい。そんな力が働いてしまうことも、金融DXが進まない理由の1つだと思います。

企業をデジタル化へと駆り立てた「インボイス制度」

藤井氏:その流れで、1つお聞きします。2023年10月に導入されたインボイス制度は、デジタル化やその先のDXを進める上で、どんな役割を果たしたと思われますか。

岩下氏:昔から経理部門の人には、「ネットワーク経由で電子データをやり取りすること自体が邪道」という意識がありました。ところがインボイス制度が義務化されたことで、発行したインボイスも受け取ったインボイスも、7年間は保存しなければならなくなった。これを紙でやろうとすれば、書式がバラバラなインボイスを台紙に貼り、分厚いファイルにまとめて、賃料の高い都心のオフィスに保管しなければならない。

 事務量が多い会社にとっては死活問題ですから、「これはいよいよ電子化しないとまずい」ということになり、書類の電子化が一気に進んだ。その結果、伝統を堅持していた経理の人たちも、インターネットを使わざるを得なくなった。その意味で、インボイス制度は非常に大きな変革をもたらしたと僕は思います。

藤井氏:なるほど。インボイス制度の導入を機に、「インボイスを電子化して7年間保存したほうがいい」と考え、デジタル化に踏み切る企業が増えた。結果として、インボイス制度の施行は企業のDXに寄与したといえるわけですね。

岩下氏:とはいえ、他国と比べて日本はまだまだデジタル化に時間がかかっているのも事実です。

 実は、日本でマイナンバーカードの仕組みが導入されたのとほぼ同時期に、インドでも同じような制度が導入されています。NECの生体認証技術を活用して、顔と両目の虹彩、両手指の指紋を登録し、国民一人ひとりに固有のIDを発行する「アドハー」と呼ばれるシステムです。

 このシステムが導入された結果、インドの国内ではデジタル金融がすさまじい勢いで成長しています。本人認証をしながら電子決済できるようになり、スマホの急速な普及も相まって、一般の人たちが金融取引に参加できるチャンスが飛躍的に広がったのです。一方、日本では、政府が補助金をつけてマイナンバーカードの普及に努めているにもかかわらず、まだまだ一般化しているとは言い難い。

 その理由は簡単で、金融機関や自治体のサービスが、既に日本国中、至る所に張り巡らされているから。人手と古いシステムで手続きが事足りてしまうので、キャッシュレス決済が普及せず、行政のデジタル化も進まない。それは日本に限った話ではなく、先進国はどこも同じような問題を抱えています。

 中国やインド、ケニアなどはデジタル化が非常に進んでいるといわれますが、従来できなかったことができるようになったわけなので、国民が飛びつくのもいわば当たり前のことなのです。

日本ではフィンテックが主流となっていない

藤井氏:いわゆるリープフロッグ(カエルが跳躍するように、既存の技術やインフラを飛び越して、一気に発展すること)的な話ですよね。

 私は中国に住んでいたことがありますが、モバイル決済の普及において中心的な役割を果たしたのが、テクノロジー企業のテンセントとEC企業のアリババでした。2015年のインターネット・プラス政策による規制緩和の影響も大きいとは思いますが、まさに異業種の民間からモバイル決済導入の動きが広がっていったのです。一方、多言語・多宗教のインドでは、アドハーのような仕組みを整備したことが、多種多様なサービスを生み出す起点になったという印象です。

 それでは、金融の先進国であるアメリカはどのように金融DXが進んでいったのでしょうか。

岩下氏:アメリカにおいて重要な出来事となったのが、1999年のPayPal誕生です。PayPalは、インターネット上で誰もが銀行の機能を使える仕組みをつくった先駆的なフィンテック企業で、ピーター・ティールはPayPal創立時に「我々は金融をdemocratize(民主化)するのだ」と語っています。

 その後、アメリカでは多くのフィンテック企業が台頭しましたが、一方ではウォール街にも巨大な金融資本がひしめき、今も全世界の株式の時価総額の約7割をニューヨーク証券取引所が握っています。ニューヨーク証券取引所で株価が上がれば、シリコンバレーでは暗号資産の価値が上昇するというように、新旧のプレイヤーがどちらも勝っているような状況です。

 一方で、日本の状況はどうかというと、日本ではPayPalのように、伝統的な金融に真っ向から歯向かうような企業は生まれていない。なぜなら、日本のベンチャーキャピタルの市場規模はアメリカの100分の1程度なので、社会を大きく変えるような事業がしにくいということもありますし、大風呂敷を広げる人を「心意気や良し」として受け入れるカルチャーも日本にはあまりない。だから、日本のベンチャーの事業自体、銀行や既存の金融サービスに寄り添うスタイルのものが多いわけです。

 英語の“FinTech”でGoogle検索すると、検索件数は右肩上がりで増えていますが、日本語で「フィンテック」と検索すると、2020年ごろをピークに減衰しているんです。つまり、世界的なフィンテック・ブームは続いているが、日本ではフィンテックは金融の主流派にはなっていない。日本には数百社のフィンテック企業がありますが、必ずしも善戦しているとはいえない状況です。

「銀行機能の卸売業化」は今後の日本の勝ちパターンとなるか

藤井氏:確かに日本では大きな企業が「○○ペイ」のようなサービスを提供していることもあって、「元気なスタートアップがフィンテックをやる」という構造にはなっていないかもしれません。

 その中で気になるのが、業界外との協業の動きです。業界の垣根を超えた連携による「日本ならではの面白い事例」や「日本らしい勝ちパターン」と思われるものはありますか。

岩下氏:最近はヤマダ電機の事例のように、「銀行の機能を一般の企業に貸し出す」取り組みが増えています。いわゆるBaaS(Banking as a Service)ですね。ビル・ゲイツは1994年に、「Banking is necessary, banks are not.」と言っています。バンキングすなわち銀行機能のインターフェースは、誰でも持つことができる。例えば、ヤマダ電機が提供する「ヤマダアプリ」にはBaaSが組み込まれていて、ATMでの入出金や振込、住宅ローンなど、さまざまな銀行機能を利用することができます。

 こうしたサービスは、ヤマダ電機だけではなく、不動産会社のオープンハウスでも提供しています。住宅ローンを組むときは、以前は銀行に行って手続きをしていたと思いますが、今はオープンハウスのWebサイトに銀行のサービスが組み込まれていて、マイナンバーカードをスマホで読み込ませるだけで、住宅ローンを組むのに必要な書類を取得・送信して手続きすることができます。要は、顧客ベースを持つ企業向けに、銀行が銀行機能を卸売りしているわけです。

 従来、銀行の支店に足を運ぶか、ネット銀行に口座をつくるかしないと受けられなかった銀行のサービスが、BaaSの活用により、さまざまな企業のスマホアプリ上で受けられるようになりつつある。伝統的な企業と銀行が連動して、新しい金融サービスを生み出したという意味では、きわめて面白い事例だと思います。

藤井氏:2018年に経済産業省が「2025年の崖」を提唱し、DXが進められてきた中で、伝統的な企業と金融とが連携しながらデジタルを装備することによって、新しい日本の金融サービスが生まれつつあるということですね。こうした連携はもっと広がっていくとお考えですか。

岩下氏:顧客を持つ企業が、サービスの一環としてバンキングを提供する。こうした事例は今後も増えていく可能性があると思います。ただし、そのメリットはやや限定的です。人間は一生の間にそう何度も家を買うわけではないし、大きな家電の買い替えも頻繁にあるわけではないからです。

 むしろメリットが大きいのは、企業間決済です。企業の経理部は取引先ごとに1カ月分の売上金額や仕入金額を集計し、大変な手間をかけて銀行に送金を依頼している。これもインボイス制度で電子化が進んだわけですから、ネット決済してしまえばいいわけです。

 ただし、そのためには金融機関がDXで顧客接点を改良し、顧客のニーズにフレキシブルに対応できるようにシステムをモダナイズしておく必要がある。この部分をどうデザインするかが、今後の課題になってくると思います。

藤井氏:僕は「アフターデジタル」という著書の中で、オンラインとオフラインを分けて考えるのではなく、それらを等価のもの、融合したものとして扱うことを提唱してきました。しかし、金融も一般企業も、まだまだベースのところは、デジタルとリアルを明確に線引きしてやっているケースが多い。

 一方で、インボイス制度の導入を好機ととらえ、考え方を変えていくことができれば、もっと日本全体のDXが進むのではないかと感じています。本日はありがとうございました。