「C&Cユーザーフォーラム&iEXPO2019」レポート
デンマークに学ぶ行政デジタル化と、「幸せな国づくり」への指針
国連が毎年発表している「世界幸福度ランキング」。日本が58位という結果だった2019年版で、2位となったのがデンマークである※1。もちろん、あくまで1つの指標ではあるが、デンマークと日本を比較したとき、社会システムに差があるのは事実。特に、社会のデジタル化の進み具合と、それによりもたらされる国民の暮らしの満足度には大きな隔たりがあるといえるだろう。デンマークにあって、日本にないものとは何か。社会とデジタル技術のかかわりを中心に、幸せな国になる方法を考える。
高度な住民サービスをデジタル技術で具現化するデンマーク
なぜデンマーク国民の「幸福度」は高いのか――。これを考える上では、いくつかのファンダメンタルズに注目することがポイントになる。例えば、エネルギー自給率は81%、食糧自給率は300%で、いずれも日本を大きく上回っている。医療費、介護費は無料。年金の所得代替率は約9割※2となっており、老後への不安がない。さらに出産と教育にかかわる料金も無料で待機児童はゼロ。安心して子育てできる環境がある。
「加えて、デンマークのビジネスパーソンは基本的に残業をしないため、平均労働時間は日本の約8割です。それでいて1人当たりのGDPは日本の1.5倍※3という数字もあり、生産性を高めながらワークライフバランスもとれているという、ある種理想的な暮らしがあるといえるでしょう」とNECの戸田 文雄は紹介する。
もちろん、北欧諸国は社会保障が手厚い福祉国家のため、日本とは国の目指すべき方向性が大きく異なる。実際、デンマークは日本よりはるかに社会サービスの国民負担率が高い。だが、高負担であっても、それを受け入れて余りあるサービスが受けられる。つまり国民が得るベネフィットが多いことが、高い幸福度の主な要因といえる。
「また、デンマークでは社会システムのデジタル化が進んでいます。国連が発表した世界の電子政府ランキングでは1位※4であり、暮らしにかかわるさまざまなサービスがオンラインで受けられます。この仕組みに学び、取り入れることが、日本が“幸せな国”になるためのヒントとなるはずです」と戸田は言う。
このデンマーク社会のデジタル化に深くかかわるのが、40年以上にわたりデンマークのITを担当し、2019年にNECグループに加わったKMD社だ。同国の優れた行政システムは、何を目指し、どんなプロセスで構築されているのか。同社のソレン・ヘンリクセン氏は、取り組みを次のように語る。
「デンマークでは、政府が明確な目標とスケジュールを掲げ、デジタル化を戦略的に推進してきました。過程を振り返ると、2001年にはIDとパスワードを用いたデジタル署名、2004年には電子決済が可能になり、2007年には市民ポータルを介する国民と政府のデジタルコミュニケーションが始まりました。2011年には国政選挙の投票ができるようになり、2016年には不動産の登記、企業情報の提供なども可能になっています」(図1)
成功を支える「ガバナンス・法整備・国民の信頼」
さらにデンマークは、2018年に「デジタル化のフロントランナーになる」という国家戦略を発表。デジタルテクノロジーでどれだけ国家を成長させられるのか、国民の暮らしの質を高められるかということに国を挙げて挑んでいる。政府がデジタル化の狙いと時期を明確に設定することで、「デジタル化は目標を達成するための手段」という意識を、全国民にしっかり浸透させたのである。
成功要因としてヘンリクセン氏は次の3つを挙げる。
1つ目は「ガバナンス」だ。目標実現に向けた施策がぶれないよう、“司令塔”を立てる。デンマークの場合、財務省と新たに設置されたデジタル化庁がその役目を負っているという。中央政府・地域・自治体が同じ戦略の下で一貫してデジタル化を推進している。
2つ目が「法整備」である。デジタル化に対応した法律の整備を実施しつつ、国民の意見を聞き、デジタルサービスを利用しない人の権利も考慮しながら普及を図っている。
そして、3つ目のポイントが「国民の信頼を獲得すること」だ。
「私はこれが非常に大切だと考えています。どんなに優れたシステムを構築しても、国民が納得して使ってくれなければ意味がないからです。これについて、デンマークが伝統的に、高度な福祉によって国民の信頼を得てきたことは後押しになったと思います。デジタル化によって大切なデータを国に託すことになった際も、目指すこととベネフィットが明確、かつ自分たちにとって使いやすいシステムであれば、国民には受け入れる土壌が十分あったのです」(ヘンリクセン氏)
デンマーク国民に提供される市民ポータル「borger.dk」では、あらゆる公共部門のサービスが利用できる。例えば、暮らしにかかわる苦情の申請や、離婚手続きのオンライン化がその例だ。
仕組みも高度で、特に苦情申請の仕組みにはAIが活用されている。受け付けた際、過去の類似のケースや資料を表示することで、対応者の業務効率化、および対応品質向上による利用者の満足度向上につなげているという。データの透明性と再利用によって、誰でも必要な情報にすぐアクセスできるようになっているほか、国民のプライバシーやセキュリティについても、もちろん考慮されている。
日本が目指すべきは「デジタライゼーション」
このように先進的な取り組みを進めるデンマークに対し、我々が暮らす日本の現状はどうか。政府「電子政府評価委員会」の座長などを務め、日本のデジタル・ガバメント推進に取り組んできた東京大学大学院 情報学環 教授の須藤 修氏は次のように話す。
「まず『デジタル化』という言葉の定義から考える必要があります。実は、デジタル化には2種類あります。1つは既存プロセスをそのままデジタルに置き換える『Digitization(デジタイゼーション)』。紙の契約書を電子化するといったことが該当します。もう1つは、プロセスに変革を起こし、デジタルの力で新たな価値を創造する『Digitalization(デジタライゼーション)』。響きは似ていますが、意味するところはまったく異なり、日本は前者、海外の先進事例は後者がほとんどです。日本もデジタライゼーションを目指さなければいけません」
デジタライゼーションの例としては、デンマークと並ぶデジタル・ガバメント先進国のエストニアがある。インターネット上に仮想的な行政機能を構築し、国民のデータを一元管理している。選挙を含め、あらゆる手続きをネット上で行えるようになっている。
またオーストリアでも、出産から介護まで必要な手続きをスマートフォンからワンストップで行えるほか、顔や指紋による本人認証も多くのシーンで利用可能になっている。「さらに、デジタル化の遅れが叫ばれてきたポーランドでも、2019年3月から国民へのICカードの交付を開始し、利用者が急増しています。勢いがあり、近いうちにトップの仲間入りをするかもしれません」と須藤氏は言う。
デジタライゼーションの効果は国民の満足度の高さにも表れる。デンマークではデジタルの使用が法律で義務付けられているが、政府の調査によると、93%の国民が使いやすさに満足しているという※5。
課題はまだ多いが、変化の兆しも見えてきた
こうしたデジタル先進国に対して、日本の状況は「かなり遅れている」と須藤氏は指摘する。
例えば、デジタル化のカギを握るマイナンバーカードの交付率は約14%※6で、機能もまだ十分とはいえない。e-Taxは、申告書類を紙からデジタルに置き換えただけだ。住民票などのコンビニ交付は、紙の証明書をコンビニで印刷するだけで、届出と事務処理は紙で行う必要がある。つまり、これらはいずれもデジタイゼーションに属するデジタル化であり、国民の真の利便性向上といえるまでには至っていないのである。
「来年の春に国家公務員に加えて地方公務員も職員証としてマイナンバーカードを持つことになります。ただ、更なる普及には、一般の国民向けのサービスをもっと増やし、内容も良くしていくことが欠かせません」と須藤氏は補足する。
また、行政機関が縦割型で、互いに連携していないことも阻害要因だ。長年、各省庁や自治体が個別にシステムインフラを調達してきたため、XMLタグ、書式、データベースの項目などの基本的な部分さえ、組織によってバラバラな状況が存在する。さらに国民性も関係している。日本人は政府に個人情報を握られることを嫌う傾向があり、データを開示することを好まない。そのため、デジタライゼーションの基盤となるデータの欠損、非正規性が大きな問題として立ちふさがっているという。
「デンマークにはデジタル化庁により自治体と政府の連携が強化され、高度な社会を実現しています。日本も縦割りを改善し、全体最適の観点をもってデジタル化を推進することが重要だと思います」と須藤氏は指摘する。
一方で、潮目が変わる兆しも見えてきた。国会でデジタル手続法が成立し、「デジタルファースト」「ワンスオンリー」「コネクテッドワンストップ」というデジタル化の基本原則が定められたのだ。マイナンバーカードに関しても、政府は「今後3年のうちに累計1億枚を交付する」ことを閣議決定している。普及のトリガーになると期待されているのが、健康保険証の機能を持たせることだ。そこにクレジット機能も加われば、本人認証と決済が1枚のカードで済むようになり、利便性は大きく高まるだろう(図2)。
「少しずつですが、基盤整備は着実に進んでいます。また浜松市など、独自のICT活用で住民サービスの向上、行政の効率化を目指す自治体も出てきています。デジタライゼーションの芽は、間違いなく生まれています」(須藤氏)
日本らしい「幸せな国づくり」のために必要なこと
この流れをさらに加速させるには何が必要なのだろうか。「デンマークの場合、政府がデジタル化の価値を早期に提示することで、国民と目標を共有できたことが大きい」とヘンリクセン氏は分析する。
デンマークは人口が約580万人。前述したように、伝統的に国民から政府への信頼が厚い国だ。一方の日本は人口がはるかに多く、行政組織やシステムも複雑。また、政府に対する信頼度も高くない国といえる。「日本の縦割り構造は、今の時代には合わなくなってきました。ネットワーク型の、アジャイルな体制に変えること、そして政府は世論が動く明確なビジョンを示すことが必要です。デンマークも2005年からその動きに取り組んできたのです」と須藤氏は語る。
いずれにせよ忘れてはならないのは、デジタル化は、人々の「幸せ」に寄与すべきものだということだ。それを表す英語には、私たちがよく知る「Happiness」以外にも、「Well-being(ウェルビーイング)」「Better Life(ベターライフ)」といった呼び方が存在する。幸せは国や地域、歴史や文化によってそれぞれであり、デンマークの事例そのままのローカライズでは、日本でうまくいくとは限らないということだろう。学ぶべき点、取り入れるべき点を取り入れながら、日本らしい「幸せな国づくり」を模索する必要がある。
「人が幸せを感じる要素の1つが、『先行きがある程度予測できること』だといわれています。その点デンマークでは、一人ひとりが自分の人生をある程度予測できる社会システムになっているといえるでしょう。我々日本人も、むやみに先行きに不安を抱くことなく、自分の存在意義を感じながら、誰もが潜在能力を発揮できる。そんな創造的で優しい社会を目指すことが大事なのではないでしょうか」と須藤氏は強調する。
デジタル技術は、ますます人々のライフサイクルに欠かせないものとなっていく。昨日よりも今日、今日よりも明日の方が、暮らしの幸せを感じられる時間が増える。そんなデジタル社会を実現するためには、私たち一人ひとりが真剣に考え、国とともに取り組んでいくことが不可欠なのだ。
- ※1 :「World Happiness Report 2019」
- ※2※3 :グローバルノート「世界の労働時間 国別ランキング・推移(OECD)」「世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング・推移(IMF)」、「年金所得代替率(税引前) 国際比較」
- ※4 :「UN E-Government Survey 2018」
- ※5 :borger.dkの場合
- ※6 :平成元年10月29日時点