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「リハビリ難民」を救え/八王子発、医療を軸とした社会改革の道

 医療法人社団 KNI(北原病院グループ)は、医療を軸にした”世直し”の実現に向け、次世代医療への取り組みを加速している。その1つとして、北原リハビリテーション病院で行われている取り組みの概要とそこに込めた想いについて話を聞いた。

救急病院が「おひとりさま」を受け入れなくなりつつある

 少子高齢化や疾病の性質変化による医療費の増大により、日本の医療を支えてきた国民皆保険制度は危機的な状況にある──。日本の医療は、今まさにターニングポイントを迎えている。そうした中、サステナブルな次世代医療の実現を目指して、地域密着型のプラットフォーム「八王子モデル」の構築に取り組んでいる病院グループがある。東京・八王子を拠点に、北原国際病院や北原リハビリテーション病院など国内外6施設を展開する、北原病院グループ(医療法人社団KNI、株式会社Kitahara Medical Strategies Internationalなど)だ。

 理事長の北原 茂実氏は、1995年、北原国際病院の前身となる北原脳神経外科病院を開設。2016年にはカンボジアに日本式救急病院のサンライズジャパンホスピタルを開設するなど、海外展開やICT技術の活用にも積極的に取り組んできた。

 「今や医療の問題は日本社会を土台から揺るがしかねないほどのインパクトをもたらしている」と北原氏は指摘する。

医療法人社団 KNI
北原国際病院 理事長
北原 茂実 氏

 1つ目は「国民皆保険制度の崩壊」だ。
 「国民皆保険制度はピラミッド型の人口構成や、右肩上がりの経済成長などを前提としています。しかし、経済成長の停滞や少子高齢化により、国民皆保険制度は破綻をきたしつつある。これが、日本の医療制度が機能不全におちいっている理由の1つです」と北原氏は指摘する。

 2つ目は、「少子高齢化」による独居老人の増加だ。今、救急医療の現場では、「単身者を受け入れられない」という由々しき事態が起こっているという。「一人暮らしの人が意識不明の状態で担ぎ込まれると、まず、既往歴や現病歴がわからない。検査しようにも本人や家族の同意がとれず、適切な治療を行うことができない。不幸にも患者が亡くなれば、遠方にいる親族から医療訴訟を受ける可能性もあるし、完全な独り身であれば銀行口座凍結により治療費が支払われない。このため、一人暮らしの人の救急搬送を受け入れられない病院が増えています。今や日本は、独居の高齢者が生きていける社会ではなくなっているのです」。

「ブルーゾーン」の実現と、その拠点となる「デジタルホスピタル」構想

 医療の制度疲労が、日本社会を根底から揺るがしつつある中、北原氏は一貫して「医療をツールとした世直し」に取り組んできたという。「このままいけば、日本社会は壊れてしまう。この国を破綻させないためには、これまで病院の中でしか提供されてこなかった医療を総合生活産業として捉え直し、それらが生活する中で適切に提供されることで、人々が健康で安全・安心・快適に暮らせる社会を作ることが極めて重要です」(北原氏)。

 これからの日本社会が目指すべき姿とは何か。それは「ブルーゾーン」だと北原氏は言う。ブルーゾーンとは90歳超の健康・長寿の人々が数多く居住する地域のこと。北原氏が提唱する「八王子モデル」もまた、八王子をブルーゾーンにするための構想にほかならない。

 「まず、八王子に果樹園やワイナリー、牧場、農場などを配置したヒーリングファシリティ(癒しの空間)をつくる。免疫力を上げ、病気になりにくい空間をつくるわけです。それでも病気になってしまった場合には、最新医療やAI・ITなどの最先端技術を駆使し、徹底的に効率化した質の高い医療を提供しなければならない。その拠点となるのが自動運転化された病院、『デジタルホスピタル』です」(北原氏)

北原リハビリテーション病院の外観

機能回復に必要なだけのリハビリが受けられない「リハビリ難民」増加への危惧

 こうした構想に基づき、北原病院グループは2017年、NECとの共創により、デジタルホスピタルの構築に着手。その一環として、AI技術を活用したリハビリテーション(以下、リハビリ)計画作成の技術実証をスタートした。

 現在、国内の脳卒中の患者数は約150万人といわれ、高齢化が進むにつれ、罹患者は年々増えている。脳卒中患者が入院患者の95%を占める北原病院グループの施設では、患者の早期回復を実現するため、発症後平均1.5日目からリハビリをスタート。「リハビリ3職種」といわれる理学療法士・作業療法士・言語聴覚士を中心に、医師や看護師、薬剤師、栄養士など、全職種が一丸となって患者の社会復帰をサポートする体制を整えている。

 一方で、リハビリの現場では、さまざまな課題が山積している。その1つが、「個々のリハビリ治療と、その効果との因果関係が明確にはわかっていない」ということだ。同院の理学療法士である亀田 佳一氏はこう語る。

医療法人社団 KNI
北原国際病院
リハビリテーション科 理学療法士
亀田 佳一 氏

 「リハビリは、患者が後遺症をいかに克服して、いかに健康で不自由なく生きるか、にかかわる大事な役割を担っています。しかし、その効果は、理学療法士などのセラピスト個人の能力や経験に依存しがちです。特に脳卒中のリハビリについてはデータが不足しており、『個々の患者に対して、どんな治療や訓練をすればよいのか』については、正解といえるものがないのが実情です」

 さらに医療制度という点でも、リハビリを取り巻く環境は厳しさを増しつつある。
 現在の国民皆保険制度では、高齢者(平成26年3月31日以前に70歳になった被保険者)の自己負担は1割であり、脳卒中のリハビリも、1時間当たり750円程度で受けることができる。とはいえ、リハビリの保険適用範囲は年々減り続けており、リハビリを継続して受けるためには費用の自己負担が必要だ。

 「発症から180日を超えると医療保険ではリハビリを受けられなくなるなど、医療保険から介護保険への移行も進められています。しかし、介護保険への移行には問題も多いのです。医療保険のリハビリと比べると、介護業界ではセラピストが圧倒的に不足しており、リハビリの質も低下する傾向にあることもその1つです」(亀田氏)

 さらに、機能回復に必要なだけのリハビリが受けられない「リハビリ難民」の大量発生を危惧する声も多い。既に「自費リハビリテーション」のニーズも高まっているが、自己負担は1時間当たり約7500円~1万円と高額で、経済的に継続が難しい患者も多い。

AI技術の活用による業務効率化でリハビリ費用を低減

 リハビリの治療効果の分かりづらさと、制度変更による自己負担の増加、リハビリ難民の大量発生──。山積する課題を解決するべく、北原病院グループでは、AI技術によるリハビリ業務の効率化に乗り出した。

 「もしAI技術によりリハビリを効率化できれば、自費リハビリをもっとリーズナブルに提供できるかもしれない。そうすることで、リハビリ難民を減らし、多くの方に十分なリハビリを受けていただけるのではないかと考えています」と亀田氏は言う。

 AI技術による効率化で期待できるのは、リハビリ費用の低減だけではない。リハビリ期間そのものを短縮することによる、さまざまなメリットも期待できるという。

 現在、日本の脳神経外科の平均在院期間は約3カ月。だが、同院ではかねてより、1カ月~1カ月半という短期間での機能回復と早期自立を目指して、リハビリの質の向上に努めてきた。

 「病院という環境は刺激が少なく、入院期間が長引くと、患者さんの認知機能は目に見えて低下します。また、診療報酬上は1日3時間しかリハビリできないので、患者さんの運動量も減り、身体と認知の両面で機能が低下してしまう。このため当院では、患者さんが短期間で在宅復帰ができるよう、集中的・徹底的にリハビリを提供しています」(亀田氏)

 なぜ同院では、1カ月~1カ月半という短期間での機能回復が可能なのか。その秘訣は、「綿密なリハビリ計画」にあるという。患者が入院すると、まず病状や退院後の生活環境の評価を行い、予後予測に基づいてリハビリの長期計画と短期目標を作成。次に、具体的なリハビリプログラムを作成し、週単位で達成度を評価しながら、プログラムの見直しを繰り返して最適化を図っていく。

 従来、同院ではこの一連のプロセスを「人」の力で行ってきた。つまり、リハビリ期間を短縮できるかどうかは、個々のスタッフの経験と力量にある程度依存していたわけだ。「今後はそのノウハウをAI技術に組み込み、経験の少ない新人も含めて、セラピスト全員が共有できる体制を整えたい。そうすれば、他院でもリハビリの効率化が実現できるはずです」と亀田氏は期待を込める。

ベテランスタッフのドメインナレッジ活用でリハビリ計画作成にかかる所要時間を約60%短縮

 リハビリ計画作成業務のプロセスは、「患者の回復度の予測」「リハビリ目標の設定」「リハビリ介入プログラム作成」の3つからなる。今回の技術実証は、特にベテランと新人の間でスキルレベルの開きが大きい、「患者の回復度の予測」と「リハビリ目標の設定」を対象として行われた。

 まず「患者の回復度の予測」では、ベテランスタッフの専門知識をAI技術に組み込み、患者の回復度の目安となる、18の機能的自立評価(FIM:Functional Independence Measure)の項目における相関関係を把握。電子カルテのデータから、患者の回復度をAI技術で予測する仕組みの実証を進めている。

患者の回復度を予測するAI技術(画面はイメージです)

 「FIMの項目は、生活動作の自立度を7段階で評価するもので、食事、記憶、問題解決、階段、歩行・車椅子、排便コントロール、トイレ動作など18項目からなります。各項目は独立しているのではなく、例えば、ズボンをはく『更衣(下半身)』ができれば『トイレ動作』や『階段』を上る動作もできるという具合に、互いに関連性があります。これらは、ベテランスタッフが経験的に持っている知識です。こうしたドメインナレッジをアルゴリズムに組み込むことで、回復度予測の精度が向上。以前は患者1人当たり10分ほどかかっていた回復度予測が、新人でもほぼ1分もかからずに行えるようになりました。新人の教育上も、データを基に経験値を高めることは良いことだと考えています」(亀田氏)

 また、「リハビリ目標の設定」に当たっては、電子カルテのデータから、患者の状態に合わせて、AI技術がリハビリの長期・短期目標の候補をリストアップ。新人もこれを参考にして目標設定ができるため、従来はベテランスタッフの指導を受けながら約30分かかっていた作業を、指導なしでも10分程度でこなせるようになったという。

 このように、「患者の回復度の予測」と「リハビリ目標の設定」にAI技術を活用した結果、リハビリ計画作成業務にかかる所要時間は約50分から約20分に短縮され、所要時間の約6割を削減。「実際に利用しているスタッフからは、『回復度予測の見える化によって、患者全体の状態把握がしやすくなり、気になる患者を重点的に看ることなどができるようになった』という話も聞いています。今後は「リハビリ介入プログラム作成」にもAI技術を活用し、ヘッドセットを装着したスタッフが、現場でAI技術の指示を受けながら、リハビリを行えるところまで自動化していきたいですね」と、亀田氏は期待を込める。

「八王子モデル」で医療の総合生活産業化を目指す

 ただし、冒頭にも述べたように、この実証は北原病院グループが目指す構想の実現に向けた一例に過ぎない。同グループは、「デジタルホスピタル」「ヒーリングファシリティ」に加え、「デジタルリビングウィル」「トータルライフサポート」の4事業を連携させることで、日本が直面するさまざまな課題を解決し、人々が安心して暮らせる社会を実現することを目指している。

 「トータルライフサポートとは、退院後の一人暮らしの人や高齢者世帯の生活全般を支えるシステムです。このシステムでは、会員を対象に、医療・介護はもとより、買い物や掃除、ゴミ出しの代行、家のリフォームや家具・家電の修理・購入など、会員からのありとあらゆる相談に対応します」(北原氏)

 一方、デジタルリビングウィルとは、さまざまな医療処置に対する希望や承諾、遺言、財産の使い方など、生死にかかわる自分の意思を、生体認証で守られたサーバに登録しておくシステムだ。このシステムに家族の連絡先を登録しておけば、救急搬送された際の家族への連絡も容易となる。また、これらの情報を登録しておけば、本人の意思に基づいて適切な医療がただちに受けられ、治療費の決済も可能となる。その結果、一人暮らしの人も救急搬送時に受け入れを拒否されるリスクが低減できるわけだ。

 「我々が目指す『八王子モデル』とは、医療とあらゆる産業を結ぶ総合プラットフォームです。いわば、”病院版GAFA(※)”のようなもの。ただし、GAFAと違うのは、地域限定で、医療や健康を扱う、責任主体が明確なプラットフォームだということです。患者さんは病院に入院する時、膨大な個人情報を病院に提供している。これだけの個人情報を預かる以上、我々は患者さんにメリットのある形で還元しなければいけない。医療には、『よく生き、よく死ぬこと』をサポートする総合生活産業として、地域や人々のニーズに応えていく使命があります。それを実現していくための手段が、AI技術でありITだと考えています」と北原氏。医療をツールにした世直しに向け、北原病院グループは既に未来を見据えているようだ。

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