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業界が変わるビジネストレンド

医療×ITの現在地
──デジタル化が医療をさらに進化させる

 医療の現場がデジタル技術の活用によって、大きな進化を遂げつつある。医療の現場では、これまで電子カルテの導入にはじまり、医療機器との情報連携や施設を越えた情報連携の取り組みを進めてきた。近年はデジタル化により医療の質を向上させる取り組みが、さらに加速し進みつつある。

 今回は、デジタル医療の最前線に位置する取り組みを紹介する。一つが、VR(仮想現実)技術を駆使してサイバー空間上に患者の臓器を再現し、手術を行う取り組みだ。もう一つが、医療界で世界的に大きな注目を浴びている「プレシジョン・メディシン」という治療方法にAI(人工知能)を活用する取り組みである。

患者の臓器を3次元空間に再現して手術計画を立案

 「医療に携わるすべての人が、当たり前のようにVRを駆使するようになってほしい」。こう語るのは、現役の医師でもありHoloeyesのCOO(最高執行責任者)を務める杉本 真樹氏だ。

 同社は、患者のCT(コンピューター断層撮影装置)スキャンのデータからポリゴンモデルを生成し、ヘッドマウント型PCに投影するツール「HoloEyesXR」を開発。医師が手術前や手術中に、サイバー空間上で患者の臓器を3次元で確認できることが特徴だ。このツールの利用者が、匿名加工したCTスキャンのデータを同社のクラウドサービスにアップロードすると、約15分で専用のアプリを生成。これをwebサービスで利用する仕組みである。このアプリは、PCだけでなくスマートフォンでも利用できる。

 医師が、HoloEyesXRを利用するメリットは大きい。手術前の診断に対する精度と効率を飛躍的に向上させられるからだ。医師が手術前に診断する際には、一般的にCTやMRI(磁気共鳴画像装置)の画像データをもとに3次元のCGを作成する。この画像をディスプレイ上で確認しながら手術の計画を立案する。杉本氏は、3次元CGを活用する従来の診断法とHoloEyesXRを駆使する手法の違いを地図とカーナビの使い勝手の格差に例えて次のように評する。

医師、医学博士
Holoeyes株式会社 Co-Founder
取締役 COO 杉本 真樹 氏

 「従来の手法は、3次元画像を利用するといっても投影されるのは2次元のディスプレイで『見せかけの3D』にすぎません。これは、いわば平面の地図を見ながらドライブの計画を立てるようなものです。これに対して、HoloEyesXRを使うと3次元空間の中で自分の手を動かせるようになります。これはカーナビのように3次元マップの中でリアルタイムに車を動かすようなもので、平面の地図とは使い勝手が大きく異なります。手術中にヘッドマウントPCに投影された3次元の臓器に目印を付けて、この画像越しに実際にメスを入れるといった使い方も可能です」

 杉本氏によると、HoloEyesXRには手術に執刀するチームのコミュニケーションを深める効果もあるという。手術前には、医師や看護師などのチーム内で手術の具体的な方法が話し合われる。この際に通常は手描きのスケッチや2次元の画像が使われるが、HoloEyesXRを使うと患者の臓器を立体的・空間的にスタッフ間で共有しながらより良い計画の立案が可能になる。3次元の臓器をズームしたり回転したりすることで、手技の詳細や留意点を共有できるようになるからだ。例えば「腫瘍を取り除く際に、後ろにある静脈に注意が必要です」といった対話も可能となる。

「より多くの患者を救いたい」という思いが原動力

 医師の一人ひとりが収集している患者情報を統合したビッグデータを分析することが可能になれば、医療技術が飛躍的に進歩するのではないか──杉本氏がHoloEyesXRを開発した背景には、このような思いがあるという。

 現在はほとんどの医師が、患者に関する情報を電子カルテやCT、MRIなどの電子データとして管理している。ただし法定保存期間が過ぎると、これらのデータが破棄されることもあるのが現実だ。杉本氏は次のように語る。

 「一人の医師が助けられる人の数は限られています。しかし、個々の医師の経験を統合して共有すれば、もっともっと多くの人の役に立つことができるはずです。例えば『みぞおちが痛い』という症状を訴える患者さんが来た場合、消化器内科と心臓外科の医師では診断が異なることもあり得ます。多様な専門分野の医師たちの経験を統合することができれば、診断の精度や治療の効率を大きく向上させることが可能なはずです」

 こうした思いを具現化するために現在、HoloEyesXRのサービスを通じて、匿名化した患者情報を蓄積中だ。HoloEyesXRを普及させるために、1回当たり約1万円と先端医療サービスとしては破格の低料金でサービスを提供している。杉本氏は「医療の現場でVRを駆使した先端医療が当たり前という状況になってほしい」と力説する。近い将来には、HoloEyesXRで蓄積したデータを機械学習で分析して、医療の進化に貢献していきたいという。

 このような取り組みを行う杉本氏は、2014年に米アップルが選ぶ「世界を変え続けるイノベーター」30人に選出されている。しかし、杉本氏は「イノベーションを起こしたいと思っているわけではありません」と前置きして、次のように説明する。

 「私は、イノベーションはあくまで結果でしかないと思っています。なかには『世の中を変えたい』と思って活動している人もいるかもしれませんが、私の行動の原点は『より多くの患者さんを救いたい』というものです。このように社会的な課題を解決したいという思いを抱いている人と革新的なアイデアが結びついたときにイノベーションが生まれるのだと考えています」

HoloEyesを活用した手術風景

「医療AIの領域で日本の優位性を保ちたい」

 現在、先進各国で医療にAIを応用する取り組みが精力的に進められている。例えば日本では、国立がん研究センターが2017年7月にNECと共同で、ディープラーニング(深層学習)技術を活用して大腸がんおよび前がん病変(大腸腫瘍性ポリープ)を内視鏡検査時にリアルタイムで発見するシステムの開発に成功したと発表している。NEC独自の顔認識技術を応用したシステムで、動画像の中から病変を検知すると音で知らせるとともに、病変が疑われる部分を丸く囲んで表示する仕組みだ。

 ただし、AIそのものの研究・開発では米国と中国の投資額が膨大で日本は後れを取りつつある。この状況を危惧し、医療分野での状況を改善しようと2018年4月に設立されたのが「日本メディカルAI学会」である。同学会の代表理事で国立がん研究センター研究所の分野長を務めている浜本 隆二氏は「世界レベルで競争が激化しているAI医療において日本の優位性を保つことを目指すとともに、日本の叡智を集結させることによって、より良い医療システムの構築に貢献していきたいと考えています」と語る。同学会は、医療界で世界的に大きな注目を浴びている「プレシジョン・メディシン」や、AIを活用した画像診断の推進をするという。

一般社団法人日本メディカルAI学会
代表理事
国立研究開発法人国立がん研究センター研究所
がん分子修飾制御学分野分野長
浜本 隆二 氏

 プレシジョン・メディシンとは、患者を遺伝子レベルで分析して、個々人に最適な治療方針を選択して実施する治療方法のことだ。将来は、治療方法の主流になるとの予測もある。遺伝子情報を分析するといっても、実際に細胞を採取するわけではない。これまでに蓄積されたカルテやCT、MRIなどの電子データを分析することで患者を類型化し、それぞれに最適な治療方針を決める。浜本氏は「分析対象となるデータが膨大に増えて類型化が進んでくれば、究極的には個々の患者さんに最適な医療を提供することが可能になるという考えがプレシジョン・メディシンです」と説明する。現在は、特にがん治療の分野での取り組みが進んでおり、日本でも国立がん研究センターが事業主体となって約250の医療機関と17社の製薬会社が参画する「SCRUM-Japan」というプロジェクトが2013年から動き始めている。

人間のサポート役だという意識を持つことが重要

 AIを活用した画像診断は、MRIやCT、内視鏡や放射線画像、病理画像などの多種多様な画像に病理情報をひも付けたデータをディープラーニングで学習させるものだ。当面、国立がん研究センターが蓄積したデータを分析対象とするが、それだけでも約4億枚もの画像があるという。浜本氏は「質・量ともに世界でもトップクラスの画像が蓄積されているものの、これまではほとんど活用されていませんでした」と語る。

 国立がん研究センターに眠る膨大なデータを活用するために、将来はクラウドを駆使して、同学会が分析した結果を外部の医療機関が利用できるようなシステムを構築することも視野に入れている。医療機関がクラウドで画像データをアップロードすると、最適な治療方針が提示されるようなイメージだ。しかし、これを実現するには法整備が必要になる。「法整備を含めて、AI医療に関する多種多少な課題を共有して解決に取り組んでいくことも日本メディカルAI学会の重要な役割だと考えています」(浜本氏)

 診断業務は診療医の仕事だが、浜本氏は「AIが人間を代替するものだとは考えていません」と前置きして次のように説明する。
「AIは人間よりも精度の高い解析ができる潜在能力を持っていますし、疲れることもないので24時間365日の稼働も可能だという利点もあります。ただし、万能ではありませんから最終的な判断は人間がするべきでしょう。人間をサポートする役割であるという位置づけを確立することが重要だと考えています」

 確かに、AIが万能ではないことを示す事例は少なくない。浜本氏はその例として、過去の文献を大量に読み込ませて診断を行うシステムを挙げる。過去には正しいとされていた間違った文献も含まれているため、これをもとにすると誤った診断をされるケースがあるのだ。さらに文章、すなわち言語が構造的に抱えている問題もあるという。「人間は思考したり、人に伝達する際には言語を使いますが、抽象的なものを言語化する段階でその人の主観が入ります。ビッグデータを活用する際には、この点にも留意することが重要です」と指摘する。

 浜本氏は、メディカルAIの分野で日本がプレゼンスを高められる可能性があるとして、次のように語る。
「医療機器などには、世界に誇れる日本オリジナルの先進技術があります。これにAIを搭載すれば、ほかの国には真似のできない医療が実現できるはずです。法整備や構造化の方法、細かい問題をシェアするシステムを日本メディカルAI学会で構築していけば、世界で活性化するメディカルAIを牽引する立場となることも不可能ではないと考えています」

医療を進化させるITと現場の意志

 Holoeyesや日本メディカルAI学会の取り組みからもわかるように、サイバー空間やAI、ビッグデータ、顔認証技術などの最先端ITとの連携は、医療にさらなる進化をもたらすだろう。そして、その中心には、杉本氏が「社会的な課題を解決したいという思いを抱いている人と革新的なアイデアが結びついたときにイノベーションが生まれる」と語ったように、医療現場で育まれた強い意志が必ずある。人とITの共創が、医療の発展には不可欠なものなのだ。