ガラパゴスから最先端のDXへ/聖マリアンナ医科大学の挑戦と成果
現在、教育・高度医療・業務効率化などをテーマに積極的なICT活用を進めている聖マリアンナ医科大学は、ほんの数年前まではデジタル化の波に乗り遅れていたという。そこからどうやって一気にデジタルトランスフォーメーション(DX)を進めることができたのか。ガラパゴス状態から医療業界のトップランナーへと駆け上った同大学のDXへの挑戦と成果について話を聞いた。
外部人材の登用と新たなアプローチで一気に働き方改革とDXを推進へ
1974年に、日本で唯一のカトリック系医科大学として創立された聖マリアンナ医科大学。キリスト教に基づく人類愛に根ざした人財育成を理念に掲げ、これまでに5000人近くの医師、4000人近くの看護師を養成してきた。現在は3つの附属病院に加えて、川崎市立多摩病院の運営を受託し、合計約2000床の病床数を有している。
2021年に創立50周年を迎える同学は今、病院と大学全体のリニューアルに向け、教育・高度医療・業務効率化といったあらゆる面で積極的なICT活用を進めている。だが、ほんの数年前までは「教育や医療は完全に“ガラパゴス”状態でした」と、聖マリアンナ医科大学で常任理事を務める山本 真士氏は振り返る。
「2015年当時、院内ではWi-Fi可能エリアは限定され、スマートフォンの利用も禁止されていました。学生掲示板や授業教材、指導ノートなどの情報共有もすべて紙で行われており、デジタルとはまったく無縁の状態だったのです」(山本氏)
世の中ではどんどんICT化が進んでいく中で、どうして同学では同じ歩調で歩むことができなかったのか。
「上層部が、自分たちがわからないICTに対して漠然とした不安感と抵抗感があり、“教育や医療はこうあるべき”という固定観念に縛られていたのです。本質的には、今のままで変えたくない、変える努力をしたくないというメンタリティー、組織文化がICT化を遅らせていた原因だと思います」とその理由を山本氏は説明する。
こうした状況を打開すべく、同学は2016年に外部からICT専門人材を登用。法人組織の中枢にIT戦略推進室を設置し、医学教育の充実と医療従事者の働き方改革実現に向けた取り組みをスタートさせた。
「従来のやり方や慣習にとらわれないアプローチと推進力を確保するため、外部者を役員に登用し、外部のIT専門会社の支援も頼みました。これまで情報システム部門は各病院や大学の事務部門の中に位置していましたが、これを法人直轄の組織に切り替え、ICTの戦略的活用の企画を立案・推進する部門へと刷新したのです」(山本氏)
山本氏が「最も有効な施策だった」と強調するのは、トップマネジメント層が率先した「ICT活用」と、できることはすぐにやり、まず実現してしまうという「ゲリラ作戦」の敢行だったという。例えば、会議のペーパーレス化と学内データのクラウドストレージへの格納を実行し、紙資料を撲滅。電子決済や電子稟議のシステムも導入した。
経営幹部自らがICTを積極的に活用することで、上意下達効果を発揮すると同時に、小さな施策から効果を出し、便利さ・快適さを皆で体感・共有することで、徐々に学内・院内へデジタル化を浸透させていったのである。
「もう1つ、意識的にやってきたのが明確なメッセージの継続的な発信です。あらゆる機会をとらえて『ICTを推進するぞ』という経営層の意思を伝達することで、今やマリアンナではICTという単語が常識化するまでになりました」(山本氏)
あらゆる側面からデジタルイノベーションに取り組む
過去4年の間に聖マリアンナ医科大学では多彩な取り組みを展開し、成果を出してきた。以下では、いくつか代表的なものを紹介したい。
まずは「インフラの充実」だ。「大学病院では、学生や医療従事者だけでなく、患者さんも含めて、いつでもどこでも誰でも快適にインターネットが使えるWi-Fi環境を整備しました。Google for Educationを利用することで、データ容量を気にすることなく、さまざまなデータの保管と有効活用を促進し、学生がより意欲的かつ効率的に医学を学習できる環境も実現しています。特にWi-Fi環境の整備は、その後に起こったコロナ禍でも有効に機能し、さまざまな業務や授業のリモート化、オンライン化でも大きな貢献を果たしました」と山本氏は言う。
「医学教育方法の充実」にも力を入れ、日本初の本格的電子ポートフォリオの構築・導入を実現した。これはリポートや授業のメモ、プリント、教師や同僚のコメント、サークルや課外活動など、学生の「学び」にかかわるあらゆる記録をデジタル化して保存・共有するシステムで、まさに紙文化からの脱却を図るものだ。
授業ではWebClassというソフトを活用したダイジェスト版ビデオを配信し、コロナ禍対応によるオンライン授業の導入もいち早く行った。
「医療サービスの向上」としては、日本で初めてアプリを利用した心不全の予後管理システムを導入。スマートフォンでリアルタイムに空床予定を把握するシステム、重症度に応じた診療計画の策定システム、インターネットを利用した直通電話方式の地域医療連携、さらには附属病院をまたぐ遠隔読影・画像診断の拡充など、矢継ぎ早にICTを活用した新サービスを拡充させた。
「情報共有・業務効率化」の面では、Googleアプリを使って内製化した「マリアンナポータル」をリリース。学生や教職員、医療従事者がよく使うアプリを集約し、当直室管理や会議室予約もスマートフォンから簡単に行えるようにした。
「大学病院では安全管理の強化も重要な要件となります。そこで災害時の安否確認や重要な情報を一元管理するサイトとしてMDIS(Marianna Disaster Information System)というものを内製化しました。緊急時には、ここから全教職員に安否確認のメールやビデオを発信するようにしています。このサイトではオンライン会議もすぐに行えるため、今回のコロナ禍で重症患者を数多く受け入れた本学としては、付属病院も含めて必要な情報をすべての医療者がリアルタイムに共有し、すぐに意思決定できる環境が整っていたのは非常に有効だったと思います」(山本氏)
コロナ禍での対応としては、リモートモニタリングやヒアラブル機器を導入したことで、医療従事者の安全を守りつつ、新型コロナウイルスに感染した患者に対する適切な処置が行えたという。
「情報発信の充実」としては、ホームページもスマートフォン対応できるように刷新。コンテンツを充実させるだけでなく、全学を巻き込んだユニークな運用方法も開始した。
「一般企業のホームページではおそらく、情報発信は広報部やICT部門が行っていると思います。これに対し本学では月ごとに担当部署を決め、その部署が本学全体の情報を集め、外部に発信する取り組みを行っています。これまでのように特定の部署だけが情報を集めるのに比べ、視点や発想を変えたさまざまな情報が収集できるようになりました。自らが情報発信することで、相手の気持ちをくみ取った、よりよいコミュニケーションを行うための意識変革にも役立っています」(山本氏)
大学では、さまざまな講座や研究テーマごとにICT関連の導入機器が異なる。こうした環境下での情報セキュリティを担保するため、外部ストレージを利用する際のガイドライン、情報の所在と管理責任を明確化するIT導入チェックシートなどの「各種ルールづくり」も進めた。
また、学生の出欠管理を自動化するビーコンや顔認証、病院内で検体や薬剤を自動搬送するロボット、AI問診、5Gのトライアルなど、新しいテクノロジーの実証検証も積極的に行われている。
さらなるICT活用に向けた仕掛けづくりを推進
さらなるICT活用に向けた仕掛けの1つとして、同学では教員・職員の業務量を定量的にとらえ、働き方改革と業務効率向上につなげようとしている。
「まず、看護師の業務を10分単位でモニタリングして詳細に分析したところ、夕方5時以降に入退院記録などの記録作成に多くの時間をとられていたことが判明しました。そこでキーボード入力の代わりに、日中の空き時間にスマートフォンによる音声入力で記録を作成する仕掛けを試験的に導入しました。その結果、残業を大幅に削減することができ、現場からもたいへん好評です」と山本氏は満足感を示す。
医療ITの活用に特化した大学院講座、医療とさまざまなICT企業をつなぐハブ組織となる「DHCC(デジタルヘルス共創センター)」をそれぞれ設立したほか、職種・職位に関係なく、2023年以降にオープンする新病院のあり方に対し、熱意を持ったメンバーを招集した「未来型病院構想検討チーム」も発足。定期的に理想的な病院の実現を目指した活発な意見交換を行っている。
「こうした大学院講座や検討チームの中から発想されるユニークなアイデアを実現するには、信頼できるICTパートナーが不可欠です。そこで2019年1月に本学はNECと戦略的パートナーシップを締結し、世界レベルの医療ICTモデル大学を目指した取り組みを進めています。AIなどの先進技術を多く保有しているNECと本学が力を合わせることで、今までにない教育・研究の仕組みや新しい医療サービスを創出しながら、医師や看護師などスタッフの働き方改革も進め、日本の医療における諸課題を抜本的に解決していきたいと考えています」(山本氏)
聖マリアンナ医科大学が掲げる新しいコンセプトは「ICTをフル活用し、そばで常にしっかり見守ってくれる『馴染みの病院/医科大学』」だ。同学は今後もAIをはじめとした新技術を駆使しながら、地域医療や患者の気持ちにしっかり寄り添う病院・大学を目指す考えだ。