誰もが快適に楽しむことができる世界を
デジタル障害者手帳「ミライロID」×顔認証で実現するスムーズな入場
2023年11月23日、和歌山県白浜町にあるアドベンチャーワールドでは「ドリームデイ・アット・ザ・ズー2023 in アドベンチャーワールド」が開催された。障害のある子どもと、その家族を無料で招待して貸切営業を行い、園内で気兼ねなく楽しんでもらおうというイベントだ。本取り組み自体は1997年にオランダのロッテルダム動物園で始まり、閉園後の動物園に障害のある子どもとその家族を招待する「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」という名称で国際的なプログラムとして世界中で進められている。アドベンチャーワールドでは2017年に夜間限定で初開催し、年々規模を拡大。2022年から終日の貸切営業を行い、日中開催の為「ドリームデイ・アット・ザ・ズー」と名称を変更して開催し、1000組のお客様を招待した。
そして本イベントでは、今回初めてミライロID×顔認証による資格確認・本人確認と入場が導入された。
デジタル障害者手帳「ミライロID」と連携した今回のシステムは、「ミライロID」の開発と運営を行う株式会社ミライロ、アドベンチャーワールドを運営する株式会社アワーズをはじめとした和歌山ドリデイ2023実行委員会、顔認証やAIを通じたDXを推進するNECのコラボレーションによって実現したものだ。誰もが快適に楽しむことができる世界をめざして、3社は今それぞれ何を考え、どのような接点からこの取り組みを進めたのか。その想いと目的について取材した。
障害者手帳提示の手間をゼロに
今年で6回目の開催を迎えるアドベンチャーワールドの「ドリームデイ・アット・ザ・ズー」。毎回参加者の抽選が行われるほどの大人気イベントだ。しかし、規模が拡大した近年、本イベントでは入場において大きな問題を抱えていた。入場時の招待チケット確認や障害者手帳と本人の照合に過大な時間がかかってしまうのだ。2022年のイベントでは、駐車場まで続く長蛇の行列が発生。来園者からは「イベントは楽しかったが、入場だけが残念だった」という声も多く寄せられたという。この行列ができる理由には、障害者手帳ならではの問題がある。デジタル障害者手帳「ミライロID」を開発した株式会社ミライロ代表取締役社長の垣内 俊哉氏は、この背景について語る。
「障害者手帳は、自治体によって発行されているためフォーマットがバラバラです。加えて身体障害、精神障害、知的障害の3種類があります。いま日本では実に283もの形態があり、確認する側も一苦労です。」(垣内氏)
この問題を解決するために連携したのが、障害者手帳をスマートフォンで提示できるようにしたアプリ「ミライロID」とNECの顔認証だった。今回の実証では、資格確認を事前に行うシステムを構築。事前に顔写真を登録しておけば当日は会場の受付用タブレット端末に顔を映すだけで本人確認が完了できるように設計した。株式会社ミライロの垣内氏も「283種類の障害者手帳を1にしたのがミライロID。この1をゼロにするのが顔認証」と、大きな期待を寄せる新しいチャレンジだった。
そもそも、顔認証は手を使わず、顔をカメラに向けるだけで認証できるため、ユニバーサルデザインとの親和性も高い。例えば、車いすを一度停めてスマートフォンを取り出し、画面を起動してから提示するというステップを踏むよりもはるかに認証がスムーズになる。入場エントランスでは顔認証ゲートと従来型の手帳確認のゲートを半分ずつ設置。入場を待った。
開場時間になり、スタッフが誘導すると大勢の来園者が一斉にエントランスへと向かう。顔認証の利用者も思いのほか多い。結果として、全体で約3割の来園者が顔認証ゲートへと足を進めたという。
タブレットに顔を映し、認証が成功すると来園者からは「すごい」「未来だ」と笑みがこぼれる。入場は面白いように円滑に進み、昨年まで来園者を悩ませていた行列は嘘のように消えていた。
さらに、今回の実証現場では子どもたちが顔認証の画面を面白がって、笑顔で駆け寄ってくるシーンも多く見られた。図らずもエンターテインメント性を備えた入場システムにもなっていたことで、特別な誘導をせずとも認証が進んだ。また、多動性の特性のあるお子さんをもつご両親からは「ふだんであれば入場手続きの際には、子どもがどこかへ行ってしまわないように気をかける必要があったが、スムーズに入場できるので、それがなくてよかった」という声も聞かれた。思いがけず、たくさんのメリットを収穫できた実証実験となった。
バリア(障害)をバリュー(価値)に変える「バリアバリュー」という考え方
こうした両社の連携の機軸となったのが垣内氏が提唱している、バリア(障害)をバリュー(価値)に変える「バリアバリュー」という考え方だ。
「障害を取り除いたり、克服したりするのではなく、その視点、経験、感性を価値に変えていこうという考え方がバリアバリューです。私は骨の病気で車いすに乗っていますが、それを自分で受け入れられなかった時期もありました。しかし現在は、それを新しい価値にしていこうとしています。『武器』ではなく、『価値』です。バリアフリーは歴史上、障害者の人権主張によって展開されてきた面もあります。しかし、それだけでは決して長続きしませんし、広がりません。新しい価値を設けてプラスに変えていくこと。誰かに無理強いさせたりするのではなく、価値を生み出すことを目指すのがバリアバリューです。」(垣内氏)
2024年4月1日には改正障害者差別解消法が施行され、民間事業者にも「合理的配慮」の提供が義務化される。合理的配慮とは、障害者から「障壁を取り除いてほしい」と意思表明があった際、負担が過重にならない範囲で対応することだ。バリアバリューは、こうした合理的配慮を考えるうえでの指針にもなり得るだろう。
「バリアフリーを実現しようとすると、企業にとってはどうしてもコストがかかります。人手もかかります。だからこそ、企業が無理なく、負担なく障害者対応できるようにすることが必要です。つまり、この対応によって価値を見出し、マーケットを広げビジネスとして取り組むことができればベストです。」(垣内氏)
社会的意義だけでなく、経済性も伴ったビジネスとして取り組むことではじめて持続的な活動となり、社会に残る障壁の解消につながる。そんな考え方である「バリアバリュー」が2社の事業を結び、連携を加速させていった。
経済的な障壁を乗り越えて実現したドリームデイ
一方、アドベンチャーワールドを経営する株式会社アワーズも、長くダイバーシティ&インクルージョンに取り組み、バリアバリューの考え方に共鳴する企業だ。2015年に「こころでときを創るSmileカンパニー」という企業理念を構築し、パーパス経営を推進。「ドリームデイ・アット・ザ・ズー」も、その一環から生まれたイベントだった。2017年から開催し、年々規模を拡大している。なかでも2021年に夜間営業の「ドリームナイト」から、休日1日貸切営業とする「ドリームデイ」に切りかえたことは、大きな決断だった。代表取締役社長 山本 雅史氏は次のように語る。
「プロジェクトメンバーから夜間営業や平日営業ではなく、土日祝日にやりたいという声があがってきました。平日開催では、来園者はわざわざ学校や会社を休んで来なくてはいけませんから。しかし、祝日1日開催にするということは、通常であれば3000名ほどお越しいただける土日祝日1日分の売り上げがゼロになり、経済的なマイナスもあります。」(山本氏)
しかし、結果的にアドベンチャーワールドは祝日開催に踏み切り、今年で3回目の開催を迎える。なぜ、本取り組みを進めることができているのか。山本氏は、本イベントに取り組むビジネス面での価値を問われると次のように述べた。
「祝日開催以降、協賛パートナーやボランティアパートナーを募り、主催も弊社が単独ではなく、実行委員会制として社外パートナーと共創するようにしました。「仲間づくり」ができるのであれば、やる意義があると考えたのです。取り組みを進める際に、部分的なコストアップは、ある程度仕方がないことだと思っています。ただ、その分その価値を対外的に伝えていくことが重要です。そうすれば、お客様にもご理解をいただけますし、何よりもパートナーがどんどん増えていきます。これが私にとっては一番大きい事業的なインパクトですね。SDGsやダイバーシティ&インクルージョンに取り組んでいくと、私たちと同じ想いを持った仲間が、自然と集まってくる。私たちが困ったらパートナーが助けてくれ、逆に私たちもパートナーのアクションに関わっていって、また新たな事業が生まれていく。それが一番の経済的にポジティブな効果だと思います。」(山本氏)
たとえ短期的には利益が出ないような場合でも、できるだけ損失を減らす仕組みづくりができれば取り組みを継続できる。さらに、そこでパートナーシップの構築ができれば、ビジネスを加速的に推進させる新たな価値となり得るようだ。
組織、会社の枠を超えた共創で社会を変える
今回の顔認証ゲート導入のきっかけは、現場で活躍するNEC社員のアイデアだった。生体認証事業を推進するDigital ID事業開発統括部の大須 隆寿は、そのきっかけについて次のように語る。
「NECが顔認証の実証実験を進めている南紀白浜の研修に行った際、アドベンチャーワールドのドリームデイ・アット・ザ・ズーという取り組みを知って感銘を受けたんです。そしてそのとき、今まで自分は、障害のない人たちの社会だけを想定して、顔認証の活用推進を考えてきたのだと気づかされました。視野を広げたときに、普段障害者手帳を提示されたりしてご苦労を感じられている方々にこそ、私たちの技術に恩恵を感じていただけるのではないかと思ったのです。」(大須)
社内でも社会課題解決に対する関心は高い。この気づきから発足した「バリアバリューCX」プロジェクトには部署の枠を超えて自然と協力者が集まってきた。グループ会社NECマネジメントパートナーに所属する車いすユーザーの社員も、会社の垣根を超えて検討メンバーとして稼働している。さまざまな組織の壁を超えて活動する本プロジェクトだが「さらに多くのパートナーとの共創が必要」と大須は強調する。
「バリアのない社会を実現するということは、社会インフラを刷新するという規模の話です。だからこそ、NECだけで解決できるなんていうことは、微塵も思っていません。私たちの活動に共感していただき、さまざまなステークホルダーとの連携を深め、どんどん新しい仲間を増やしていきたいと思っています。」(大須)
今回のミライロIDと顔認証の連携が好例であったように、新しいデジタルテクノロジーはこれまでの障壁を軽く飛び越えていくイノベーションになり得る。テクノロジーの進化に加え、さまざまなアセットを持つ事業者のパートナーシップが広がって大きなうねりとなったとき、社会全体のシステムやインフラは、いよいよ誰もが快適に楽しめる世界へと変わっていくのかもしれない。
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「障害者」の表記について
「障がい者」と表記すると、視覚障害のある方が利用するスクリーン・リーダー(コンピュータの画面読み上げソフトウェア)では「さわりがいしゃ」と読み上げられてしまう場合があるため、本記事では「障害者」と表記しています。「障害は人ではなく環境にある」という考えのもと、漢字の表記のみにとらわれず、社会における「障害」と向き合っていくことを目指します。