人生100年時代に信託銀行が実現する、一人ひとりに寄り添う金融サービス
~FIN/SUM 2023レポート
キャッシュレス決済やスマートフォンによる送金や資産運用など、今やFintech(フィンテック)は私たちの生活に必要不可欠なものとなっている。今後はWeb3やNFTといった新たなテクノロジーの導入、あるいは気候変動をはじめとする社会課題への対応はもちろんのこと、ライフスタイルや働き方の多様化に合わせて「個人」に寄り添うソリューションやサービスの創出も重要になっていくだろう。
3月に行われた金融とテクノロジーのカンファレンス「FIN/SUM2023」でのトークセッション「人生100年時代に"シン個人"と社会を豊かにする ~デジタルで進化・加速する信託銀行ビジネス~」は、こうしたフィンテック領域の変化を受けたものだ。新しい時代の個人(シン個人)の人生を豊かにする上で、これからの信託銀行はデジタルテクノロジーによってどんな価値を提供していくのか、三井住友信託銀行とNECが議論を広げていった。
ライフプランの多様化へ対応する信託銀行
人生100年時代の資産形成や資産運用、相続を支える金融サービスを考えるために、このトークセッションでは「人生100年時代に寄り添う金融機関が取り組むべき社会課題」と「多様な個人に最適な選択を――そのためのデジタル戦略」という2つのテーマが設けられた。この日登壇した三井住友トラスト・ホールディングス 執行役員/三井住友信託銀行 常務執行役員の益井敏夫氏とNEC 執行役員常務 デジタルビジネスプラットフォームユニット長の吉崎敏文は、まず前者のテーマに沿ってこれからの金融機関がどう変わっていくべきか議論を始めた。
「人生100年時代の本質は、ライフプランの多様化にあると考えています。定年の延長やジョブ型雇用の推進によって個々人の働き方が変われば、みんな60歳で定年を迎えてあとは年金で暮らすのではなく一人ひとり異なるライフプランに従った資産形成を考えていく必要があるはずです。そのために、当社は資産形成のパーソナライズを支援していかなければいけません」
益井氏がそう語るように、これからの金融サービスは一人ひとりの価値観に基づいたものになっていくのだろう。従来の「ライフプラン」は50代に入り退職を見据えて考えていくことが一般的だったかもしれないが、今後は若いうちから金融リテラシーとデジタルリテラシーを高めていく必要があるはずだ。
「今後30年で650兆円が移動する『大相続時代』が訪れると言われるように、資産の継承や世代間移転も大きな社会課題のひとつとなるでしょう。私たちは金融リテラシーの教育から資産形成、相続にいたるまで、ライフサイクルのすべてにおいて適切なソリューションを提供していきたいと考えています」
益井氏の発言を受け、吉崎もこうした社会の変化に応じてテクノロジー活用をますます進めていかなければいけないと応答する。
「特にID連携や顔認証といったリアルとデジタルをつなぐAI分析・データ活用や、長期間の安心安全な基盤活用を実現するセキュリティやクラウドは前提となっていくはずです」
従来の金融サービスにおいては店舗が中心となりオンラインサービスはあくまでも補完的な機能に留まっていたが、これからは店舗・ウェブサイト・モバイルアプリなど複数のチャネルを横断しながら顧客中心の体験を設計していかなければなるまい。オンラインもオフラインも問わずよりよい体験を提供する上でも、顧客データやトランザクションデータ、サードパーティデータなどあらゆるデータを統合的に管理することや、こうしたデータをAIによって分析することは必要不可欠となるのだろう。
デジタルテクノロジーによる「個別化」と「汎用化」
吉崎によれば、NECも近年さまざまな顧客接点を支える資産運用サービスに注力しているという。なかでも注目すべきは、スイスに本社をもつNECのグループ企業Avaloqによるウェルスマネジメント事業だ。30カ国150社の導入実績をもち欧州・APACでトップクラスのシェアを誇るAvaloqは、同社のプラットフォーム上で総計5兆ドルの資産を運用している。
「私たちは顧客接点ごとにサービスを約40種の機能に分解し、金融サービスの体系化を進めています。その結果、どの国のどんな運用フェーズでも最適なサービスをすぐに提供できるのです。益井さんがご指摘されたパーソナライゼーションを進める上では、個別化はもちろんのこと、汎用化も重要になっていくでしょう」
そう吉崎が指摘するように、顧客ニーズに寄り添った機能とスピードを兼ね備えたサービスをつくるには、AI活用やデータ分析によって一人ひとり異なるサービスを提供するとともに、グローバル標準の共通機能設定やクラウド化など、汎用化が大きな意味をもつのだろう。実際にNECは3年前からNEC Digital Platformというプラットフォームの整備を進めており、顧客との接点からネットワーク、クラウド、AI活用に至るまで、レイヤーを分けながら体系化を進めることでよりスピード感をもったソリューションの提供を進めている。
こうした取り組みは、三井住友信託銀行の実践と共鳴するものでもある。とりわけ資産相続においては大量の書類や行政手続き、各種金融機関との対応が求められ、遺族にかなりの負担がかかってしまうため、デジタル化が大きな意味をもつからだ。現に同社は法定相続人調査・関係図作成において戸籍をAIで読み取らせ、自動的に相続人を確定させるシステムの開発も進めている。
ただし、相続のような領域においては金融機関の努力だけでは効率化に限界があることも事実だろう。益井氏が「信託協会を通じて、戸籍や遺産分割協議書のデジタル化について行政の方々の協力を仰いでおります」と語るように、同社はデジタル化だけでなく規制改革にも取り組みながら多面的に手続きの負荷軽減と期間の短縮を進めていくことになるはずだ。
ビジネスの変化を支えるデジタル人材教育
両者が指摘するような変化を受け、これからの企業はどのような戦略をとっていくべきなのか。2つめのテーマ「多様な個人に最適な選択を――そのためのデジタル戦略」へ議論が移ると、まず益井氏は「オムニチャネル化」が必要不可欠だと語る。
「インターネットバンキングの発展やコロナ禍によって、お客さまとの接点チャネルの役割が変わりました。なかでも非対面でサービスを提供するコールセンターの重要性が高まっています。弊社はこれまで事業ごとに分かれていた17カ所の拠点をつなぎ、コールセンターを顧客体験向上に向けた司令塔へ変えていきたいと考えています」
NECのサポートのもと進められているこの改革では、ビデオ通話やチャットボットといったUI/UXの共通化のほか、CTI音声基盤や情報統合基盤といった柔軟なアーキテクチャの構築、データやナレッジの共有・管理など、多くの取り組みが進んでいるという。
益井氏の発言を受け、吉崎は「サービスのデジタル化を進めていく上では、人材育成も重要なテーマになりますね」と指摘する。コールセンターのオペレーターはもちろんのこと、各専門分野の従業員一人ひとりが主体的にデジタル化を推進できなければ異なる部門を横断したアーキテクチャは実現しないのだろう。
実際に三井住友信託銀行では初級・中級・上級に分けたデジタル人材育成プログラムを作成しており、全社員を対象にデータサイエンスやクラウドコンピューティングの基礎を学べる機会を提供している。さらに益井氏は「単に勉強するだけではダメで実践の場を設けないとスキルは定着しない」と語り、社内副業制度を設けてさまざまな部署に所属する従業員がデジタルビジネスに取り組めるチャンスをつくっていることを明かす。吉崎によれば、NECも同じようにデジタル人材の育成に取り組んでいるという。
「2025年までに1万人のDX人材を育成すべく、NECアカデミー for DXというプログラムをつくっています。もともとはNECの社内のみの企画だったのですが、社会的な要請を受け、現在は民間企業だけなく行政機関も含め約300社へのプログラム提供に取り組んでいます。このプログラムには、三井住友信託銀行のみなさまにもご参加いただいています」
NECが提供するプログラムもまた、基礎的なDXスキルからAI、セキュリティ、クラウドといった領域の知恵を身に着け、さらにはDX構想をも実践できる人材を育てていくものだ。デジタルテクノロジーによって部署や企業、社会が柔軟につながっていくからこそ、こうした教育プログラムは今後ますます重要になっていくに違いない。
あくまでも重要なのは「目的」
ここまで議論されてきたようなデジタル化の動きは、今後さらに加速していくだろう。今回のセッションへ登壇した両者もまた、さらなる未来を見据えた取り組みを進めようとしている。
「私たちは今後10年で3つの大きな変化が進んでいくと考えています。まずはサービスのクラウドシフト、ハードウエア/ソフトウエアの進化、そしてネットワークのコネクティビティ強化です。この1〜2カ月でChatGPTのようなGenerative AI(生成AI)サービスが急速に発展したように、これからの変化は指数関数的に加速するでしょう。」
吉崎がそう指摘するように、2026年にはパブリッククラウド市場は2022年の2倍となる1兆ドルを超え、半導体パフォーマンスにおいてもムーアの法則が継続するという予測も出ている。さらに、2030年には全世界の80%が5Gネットワークでつながることが想定されている。これらの変化は“足し算”ではなく“掛け算”で進んでいくものだ。この掛け算によりAI・データ活用による自動化・自律化はさらに進み、今後量子コンピューティングが実装されれば、今後10年で社会はさらに大きく変わっていくのだろう。
同様に、益井氏もより先端的なテクノロジーへと着目していることを明かす。なかでも同氏が注目するのは、Web3のデジタル経済圏だ。
「一説によれば、2030年には成人が1日6時間をメタバース上で過ごすようになるとも言われますし、デジタルアセットが生み出すトークン経済圏にも注目しています。FTXの破綻が報じられたことも記憶に新しいですが、中央管理者のいないデジタル経済圏だからこそ、安心・安全・信頼といった価値を提供できる信託の仕組みが求められると思っています」
ブロックチェーンのような分散台帳技術によるデジタルアセットの拡大に伴い、実際に三井住友トラスト・ホールディングスは暗号資産カストディビジネス開始に向けた協業を開始している。暗号資産保管・管理技術を有するbitbankをパートナーに迎え、資産管理ノウハウの蓄積を進めていく予定だ。さらにはブロックチェーンやトークンを活用し金融機能の一部自動化にも取り組むなど、今後はより広いスコープのもとでビジネスモデルの研究・検討が進んでいくという。
これらの議論を振り返って益井氏が「重要なのはテクノロジーを目的化することではなく、それによって実現される顧客体験を見据えることです」と強調すると、吉崎も「ITはあくまでもツールであって、目的を達成するために活用する必要がありますね」と頷く。資産形成や資産運用そして相続を支援する金融サービスが、単なる個人の幸福だけでなく社会の変化や国の成長へとつながっているからこそ、"シン個人"と社会を豊かにするためのテクノロジー活用は今後も幅広く探求されていくはずだ。
- ※ 各登壇者の所属役職は講演時(2023年3月)の情報です。