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“ありたい未来”をかたちにする大日本印刷のイノベーション戦略
~イノベーション成功を握る0→1プロジェクトの秘密とは~

 いかにイノベーションを起こして、新しい価値を創出するか――。これは山積する社会の課題解決や不透明な市場を勝ち抜くために、不可欠な要素だといえるだろう。そうしたイノベーションの創発に本腰を入れて取り組んでいるのが大日本印刷だ。同社ではこのほど、その動きをさらに加速させようと、多くのアイデアを生み出すプログラム「OneABスタジオ」を立ち上げた。さらに並行してスタートアップ企業との共創にも取り組むべく、NEC主催のグローバルアクセラレータープログラムにプラチナパートナーとして参画している。同社が絶え間ないイノベーションに力を注ぐ狙いについて、新規事業創出にかかわるキーパーソンたちに聞いた。

「印刷」と「情報」技術を基軸に幅広い事業を展開するDNP

 企業が新たな事業価値を創出し、持続的な成長を遂げるために不可欠なのがイノベーションだ。イノベーション=技術革新と解釈されがちだが、革新する対象は技術に限らない。イノベーションの概念を最初に唱えた経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは、「価値の創出方法を変革して、その領域に革命をもたらすこと」と定義しており、「既存の方法を組み合わせることでも実現可能」と指摘している。

 かつて日本企業は次々と先駆的なイノベーションを起こして世界経済を牽引したが、その後長らくプレゼンスを低下させている。しかし近年は、多くの日本企業がイノベーションに向けたさまざまな取り組みを行うようになった。

 代表的な企業の1社が、大日本印刷(以下、DNP)だ。1876年創業した同社は長く出版印刷をメイン事業としていたが、戦後になって経営の多角化を展開。現在は、持ち前の「印刷」と「情報」に関する多様な技術や知見を掛け合わせることで、「スマートコミュニケーション」「ライフ&ヘルスケア」「エレクトロニクス」などの幅広い領域に進出している。

 DNPにおけるイノベーションの起点となっているのが、新規事業の開発をミッションとする「AB(アドバンストビジネス)センター」だ。同センターは多くの事業化をリードした実績を誇る。リアルとバーチャルの融合で新しい体験と経済圏を創出する「XR(クロスリアリティ)コミュニケーション」、バックオフィス業務やコンタクトセンターの運用など多様な業務の代行を行う「BPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)サービス」などはその一例だ。

「0→1」に特化したプロジェクトが始動

 新規事業開発のプロセスは一般に、事業の芽をつくる「0→1」、ビジネスモデルを固める「1→10」、事業を軌道に乗せる「10→100」の3段階からなる。こうした中、以前から課題となっていたのが、「1→10」や「10→100」に多くの時間とエネルギーが費やされ、イノベーションの源泉である「0→1」の数が伸び悩んでいたことだ。

 「新規事業を成功させる難しさを表す“千三つ(1000の取り組みのうち実際に事業として成立するのはたった3つ)”という言葉があります。有望なビジネスを創出する前提として多くのアイデアがなければなりません。その“発案”の部分が手薄な状態では、いずれ育てるべき事業が枯渇してしまう恐れがあると感じていました」と話すのはDNPの佐藤 英吾氏だ。

大日本印刷株式会社
ABセンター
価値創造プログラム推進本部業務革新推進室 室長
佐藤 英吾氏

 DNPの2023-2025年度の中期経営計画では新規事業が注力事業領域として位置づけられている。その事業ポートフォリオ変革を実現するには、「2030年までに5000件以上の新規事業アイデアが必要」と判断したABセンターは、多くのアイデアを生み出すプログラムとして2024年4月に「OneABスタジオ」を立ち上げた。

 2015年に設けられたABセンターは、社内のさまざまな部門の出身者約250名で構成される組織である。OneABスタジオの名称には、その250名がワンチームとなって「0→1」に注力できる場所にしようとの思いが込められているという。

 「新規事業を注力事業領域に成長させたいという思いを受けてABセンターのメンバーが開設を提起したOneABスタジオは、トップダウンとボトムアップのベクトルが交差するところに生まれました」とDNPの金井 剛史氏は語る。

大日本印刷株式会社
ABセンター
事業開発ユニット 事業企画部 ビジネスデザイングループ リーダー
金井 剛史氏

 OneABスタジオの役割は、「アイディエーション(アイデアを生み出す)」「FS(事業化可能性調査)」「PoC(概念実証)」の3つのフェーズを経て新規事業の種を芽吹かせることだ。肝心のアイディエーションにはおよそ3か月の期間をかけ、管理職も含むABセンターの250名全員に最低1件以上の新規事業プランを考案することを求めた。

 「そこまで徹底したのは、メンバー全員に新規事業を起こすマインドを養ってほしかったからです。既存事業では顧客の方で課題仮説を用意してくれますが、新規事業では課題仮説の構築から検証、ソリューションをつくるところまですべてを自分で行わなければなりません。とにかく1つでも多くの事業の種を集めたいとの思いもあり、まずは出発点となるアイディエーションに大きな力点を置きました」(金井氏)

 そうして集まった企画は合計600件近くに上った。平均して各メンバーが2個以上のアイデアを出したことになる。「自社が保有する技術を活かせる領域に限定すると間口が狭まるため、DNPの事業やビジョンに何らかの親和性があれば認める方針にしました。これが想定した以上に多数の事業プランが寄せられる結果につながったのだと思います」と佐藤氏は振り返る。

活性化のカギは社内ルールやガバナンスの整備

 600件近いプランはOneABスタジオの事務局によるFS審査で13件に絞られ、PoCを経て8件が本格的な事業化検討段階に入ったところだ。新規事業プランなので内容を詳らかにすることはできないが、「生成AI」「ヘルスケア」「BPaaS(業務プロセスアウトソーシングサービス)」「推し活」「労働組合」などバラエティに富む分野で新機軸となるサービスやプロダクトが創出されようとしている。

アイディエーションからPoCまでを1年かけて行い、実現性の高い企画が事業化フェーズに移行する

 OneABスタジオの運営にあたる金井氏が特に腐心したのは、通常業務として「1→10」や「10→100」の案件に携わっているメンバーが、この新しいプログラムに参加するモチベーションをいかに引き出し、維持するかという点だった。DNPはイノベーションに積極的な企業ではあるものの、大組織であるがゆえに新規事業創出というオペレーティブではない活動に、スタートアップ企業のようには柔軟に臨めない側面がある。そこで事務局はアイディエーションに行き詰まったメンバーのための相談会や、アイディエーションフェーズを突破した企画の大々的な発表会を開催。FSやPoCのフェーズでは、メンバー同士が交流することで刺激し合える場を多数用意したという。

 発案した企画が事業化フェーズに進むことで、メンバーの業務量が増えることへの配慮もなされている。「まだ初年度の取り組みの最中で本格的に制度化されるのはこれからですが、経営層は『0→1』の業務についても成果をきちんと評価する方針を打ち出しています。また、事業化が実現した際には別途何らかのインセンティブが与えられるような仕組みづくりも必要だと思っています」と佐藤氏は話す。

 加えて「0→1」案件の進捗に応じて既存の担当案件に携わる割合を減らすといった工夫もする方針だが、「そもそも事業創出は当人の意欲と力量が試される場面が必ず訪れるものなので、あまり周到にお膳立てをするのもどうかとの思いがあり、自律性を促しながらほどよく支援するバランスを測っているところです」と金井氏は語る。

 将来的には成長性の高い案件をカーブアウト(事業部門を切り出し、新しい会社を作ること)して発案者に起業してもらう計画もあり、そうなればさまざまな事情からDNPの社内では推進しにくい案件も事業化させることができる。

 これまで「0→1」がスピーディに行われなかった背景には、「社内ルールやガバナンスが既存事業の拡大を前提に整備されたものだった」という側面もある。「それなら既存の体制とは別に、事業創出に特化した承認プロセスやルールで管理される“出島”をつくればよい。OneABスタジオを立ち上げた背景には、そんな狙いもありました」と金井氏は言う。

 OneABスタジオは現段階ではABセンターに所属する250名による取り組みだが、金井氏も佐藤氏も、「今後は裾野をDNPグループの3万人に拡げ、熱意ある社員なら誰もが事業創出に挑戦できるようにしたい」という思いを寄せている。

社外パートナーを求めて「NIC2024」にも参画

 DNPがイノベーション活動を行っているのは、社内を中心とした取り組みに留まらない。社外パートナーとの事業共創の可能性も模索している。実際、「NEC Innovation Challenge 2024(以下、NIC ※)」にプラチナパートナーとして参画している。2024年度は「ヘルスケア」「サステナビリティ」「現場業務DX」「メディア/エンタメ」の4テーマが設定され、応募した企業は約700件を数える。

  • NEC Innovation Challenge :2022年からスタートした協賛企業とNECがスタートアップ企業との共同事業創出を目指すグローバルアクセラレータープログラム

 他の協賛企業よりも深くNICにコミットし、NECとともにプログラムを推進するのがプラチナパートナーだが、なぜDNPはその役割を担うことにしたのか。DNPの高林 孝幸氏は、「事業創出を活性化させるため、私たちとは異なる視点を持つ社外パートナーと協力し合う必要性を以前から感じていました。また、世界中のスタートアップとの共創することで、我々だけでは切り開けなかった新たな領域に思い切って進出できるのではないかとの期待もあります」と話す。

大日本印刷株式会社
情報イノベーション事業部
事業企画本部 事業推進部 事業推進課
高林 孝幸氏

 一方で、「NICが新しい価値を創出していくためのネットワークを構築するエコシステム型のプログラムである点に深く共感しました」と語るのはDNPの長山 泰祐氏だ。「イノベーションを目指す企業がどのようなプロセスでスタートアップとの関係を構築しているのか、そのようなプロセスを学びにしたいという思いもありました」と打ち明ける。

大日本印刷株式会社
マーケティング本部
未来社会デザインユニット ビジネス・インキュベーション部
長山 泰祐氏

 柔軟かつロジカルに協業仮説を検討していくNECの姿勢に大きな学びを得る一方で、事業の審査に際しては「DNPの既存事業に立脚した視野で評価しがちだった」との反省もあるという。それではNICの醍醐味ともいえる「予期せぬ協業」が生まれる可能性を狭めてしまうからだ。

 ただし、「こうした取り組みは継続するほど大きな成果に結びつく可能性が高まる」として、DNPでは次年度以降も参画する意向を示している。ABセンターも今後は他社と協業してのオープンイノベーションを促進したいと考えており、NICから得られる経験や知見はそこでも大いに役立つはずだ。

 「私たちは“ありたい未来”からバックキャスティングして新しい事業を創出しようとしていますが、NECさんも『NEC 2030VISION』で“ありたい社会像”を描き、それを実現するためにどのような貢献ができるかを考えておられます。同じ目線を持つ両社が協力し合えば、社会課題を解決に導ける画期的なイノベーションを起こせるのではないかと思います」と、長山氏と高林氏はNECとのパートナーシップによる共創に期待を寄せている。