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鉄道事業“受難の時代”をどう乗り越えるか
~JR東日本が挑戦する、オープンイノベーションによる顧客価値の創出~

 人口減少・超高齢社会は、日本が直面する深刻な社会課題だ。この影響を最も強く受ける業界の1つが鉄道事業である。鉄道を利用する人も機会も減る。社会の変化を見据え、JR東日本は長期的な事業ビジョンを描いていたが、コロナ禍によって状況が一変した。30年先の世界が一気に押し寄せたからだ。いかに非鉄道事業を成長させ、鉄道や駅に求めるニーズや価値観の変化に対応していくのか。急ピッチで進むJR東日本を中心としたオープンイノベーションによる変革を紹介したい。

パンデミックにより30年先の世界が一気に訪れた

 少子高齢化を背景に日本は人口減少が進み、社会環境が大きく変わろうとしている。移動手段の多様化や自動運転技術の実用化も進み、鉄道による移動ニーズは縮小傾向に向かうと予測されている。

 乗客の多寡に関係なく定時運行が求められる鉄道事業は固定費割合が大きく、社会環境の変化の中で利益が圧迫されるリスクが高い。こうした危機感から、JR東日本はグループ経営ビジョン「変革2027」を2018年7月に発表するなど、30年先を見据えた長期事業ビジョンを掲げ、変革に取り組んできた。

 そうした中、新型コロナウイルスによるパンデミックが発生。「働き方の変化や移動ニーズの縮小により、30年先の世界が一気に訪れたのです。2020年度の連結純利益は、上場企業の中で最大となる約5800億円の赤字を計上。コロナ禍による急激な変化は、とてつもないインパクトをもたらしました」とJR東日本の入江 洋氏は危機感を募らせる。「これは一過性のものではないと感じています。行動様式やライフスタイルは会社中心の『集中型』から、生活中心の『分散型』に変わり、速く移動するだけでなく、移動中に仕事ができる環境を求めるなど、利用者ニーズも『パーソナル』へとより細分化されました」。

東日本旅客鉄道株式会社
技術イノベーション推進本部
データストラテジー部門 次長
入江 洋 氏

 不可逆的な構造変化に対応するためには、将来的な取り組みのレベルとスピードを上げて、グループ経営ビジョンの実現を急ぐ必要がある。そこで同社では、強みである鉄道、駅、その周辺地域という「リアル」なフィールドと、ビッグデータやAI/IoTなどの「デジタル」を掛け合わせ、新しい働き方・暮らし方の提案や新領域の挑戦に取り組んでいる。「ESG経営の実践に加え、withコロナ・ポストコロナ社会を見据えた成長・イノベーション戦略を再構築し、経営体質の抜本的強化を図る取り組みを急ピッチで進めています」と入江氏は語る(図1)。

図1 JR東日本グループが目指す変革の方向性
リアルなフィールドで提供する多様なサービスとデジタルの融合を図り、仕事や暮らしをより豊かにする新たな価値を創造する。このサイクルを継続的に回すことで、サービスをスパイラルアップさせていく

オープンイノベーションでウェルビーイングなまちをつくる

 この方向性に沿って、2017年9月に設立した「モビリティ変革コンソーシアム」の活動もレベルとスピードを上げている。

 コンソーシアムが目指すのは「ひと、社会、地球を“やさしさ”で包み込むまち『WaaS(Well-being as a Service)』」を実現すること。「移動の価値、空間の価値を高め、都市・地方での生活を豊かなものにし、リアルとバーチャルの融合でその価値や豊かさを増幅させていきます」と入江氏は語る。

 ただし、これはJR東日本だけで実現できるものではない。大切なことは鉄道事業者の視点にとらわれない「オープンイノベーション」の創出である。そこで外部企業や有識者の視点を取り入れてアイデアを創出し、スピードと柔軟性を持ってアジャイル型で実証実験やプロトタイプ開発を進めている。「JR東日本の保有するデータやアセットを活用するほか、アイデアソンやハッカソンを実施し、実証実験施設も社外に提供しています。条件を定めず企業や大学などに幅広く参加を呼び掛けており、現在参画団体は140社を超えます」(入江氏)。

ポストコロナを見据え、案内AIや清掃ロボットを配備

 コンソーシアム内には未来の移動に関する価値を再定義する「Future Mobility WG」、ICT・データを活用した人中心のまちづくりを検討する「Future Lifestyle WG」、モビリティ変革に資する先進技術の活用を推進する「Future Technology WG」という3つのワーキンググループがあり、合計15のサブワーキンググループがそれぞれのテーマをもとにさまざまな活動を行っている。

 駅で働く案内AIやロボットの開発・実装はその1つ。労働人口の減少を見据えて業務を省力化するとともに、利用者ニーズの多様化に対応し、顧客価値の向上を図ることがその狙いだ。

 2018年12月から山手線を中心とした首都圏の駅で「案内AIみんなで育てようプロジェクト」を複数回にわたって実施。利用者の意見を反映するなど改良を重ね、2020年3月14日に開業した山手線・高輪ゲートウェイ駅で、デジタルサイネージ型や人型など4種類の案内AIを試行導入した。

 さらに、コロナ禍のニーズを踏まえ、赤外線センサーとカメラ技術を駆使した非接触タイプの案内AIを開発。実証実験を経たのち、2021年3月から海浜幕張駅、2021年4月から仙台駅、盛岡駅、新青森駅、秋田駅にてサービスインを果たしている。

 プロジェクトを振り返り、入江氏は次のように提言する。「案内AIの開発は、音声認識と意味認識が大きな関門になります。話したことが正しく理解されなかったり、求めることと違ったりする結果が提示されると、利用者のストレスになります。自律学習だけではなく、学習の結果は人によるチェックが不可欠です」。

 案内AIと並び、駅のサービス業務へのロボット活用も重要プロジェクトの1つだ。警備、清掃、荷物搬送、移動支援などを行うロボットを開発し、高輪ゲートウェイ駅で実証実験を実施し、一定の成果を得たという。「駅職員の働き方改革につながり、人はより付加価値の高い活動に従事できるようになる。withコロナ時代に高まる非接触・非対面ニーズに対応できるメリットも大きいと考えています」と入江氏は総括する。

駅で情報を発信し、地域の周遊や都市との交流を促す

 駅周辺の地域や自治体と共に、地域価値の向上を目指す取り組みも進めている。

 2020年11月に開催した「HAND! in Yamanote line」というイベントでは、AR/VR技術を活用した新たな価値体験を試行した。これは新デバイスを活用した観光の活性化を目的とした取り組み。東京駅前広場でスマートフォンをかざすとARアート作品を体験できたり、原宿駅に近い明治神宮ではその場で見所案内や散策ルートを表示できたりするという。リアルとバーチャルの融合で観光の楽しさを増幅させるわけだ。

 ZOZOマリンスタジアムの最寄り駅である海浜幕張駅では、沿線情報アプリ「京葉線プラス」とデジタルサイネージを連動させたサービスの提供を2020年3月31日から開始した。スポーツ観戦を盛り上げる情報や、周辺の「寄り道」情報を発信。駅の混雑予測情報を提供し、混雑緩和を図ると同時に、地域商店街の活性化を促す狙いだ。

 JR東日本管内の気仙沼線では新交通システムのBRT(Bus Rapid Transit:バス高速輸送システム)自動運転の技術実証に取り組んでいる。時速60kmの走行試験、車線維持制御実験、速度制御実験、トンネル内走行実験、障害物検知実験、交互通行実験、車内モニタリング実験などを実施。将来的には、完全無人の自動運転レベル4を目指すという。

 地域活性化は地方都市において、より切実な課題である。こうしたニーズを踏まえ、福島県の会津地域、秋田県湯沢市と連携し「行きたくなる」「住みたくなる」「集まりたくなる」まちづくりも進めている(図2)。会津地域で実施するのは、スマートフォンのアプリを使った観光施策だ。観光スポット一覧から行きたいスポットを選ぶと、各地を最適に周遊可能なルートを作成する。移動の隙間時間があれば、その間に立ち寄れるお勧めスポットも紹介する。湯沢市では地域住民のライフスタイルを都市住民に発信し、外部との“関係人口”の創出による地域活性化施策が進行中だ。

図2 地域活性化に向けた取り組み
会津地域では観光情報や最適な交通手段を提供し、地域の周遊を促す。湯沢市では地域の魅力や新たなライフスタイルを発信する。さまざまなデータも利活用し、駅を起点とする人・地域の交流を促進する

 このようなさまざまなオープンイノベーションを実践していく上で、重要なこととは何か。それは「まずやってみる」ことだと入江氏は語る。もちろんKPI設定などの出口戦略を構築し、必要な機能を組織に残すことも重要なポイントとなる。加えて、研究開発、実証実験、実装、マネタイズまで集約する包括的なプラットフォームも必要だ。「そして何より、活動の推進には構想力、コミュニケーション力、実務遂行力を兼ね備えた人材が不可欠です。この陣容を強化すべく、人材育成に力を入れています」と入江氏は前を向く。

 こうしたポイントを踏まえつつ、JR東日本では、今後も顧客価値と地域価値の向上に資する事業変革に挑み、誰もが快適で健やかに暮らせる社会の実現に貢献していく考えだ。

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