2017年01月05日
三宅秀道のイノベーター巡礼 新しい問いのつくりかた
マドルスルーの時代に必要な「問い」を立てる力
中小企業研究で知られる気鋭の経営学者・三宅秀道氏(専修大学経営学部准教授)。著書『新しい市場のつくりかた』(東洋経済新報社)では、新しい市場を丸ごと創造する「文化開発」という概念を紹介し、大きな反響を呼びました。また、もう一つの著書『なんにもないから知恵が出る 驚異の下町企業フットマーク社の挑戦』(磯部成文氏との共著、新潮社)では、技術的な優位性がなくとも、消費者の「暮らし」を変えて、それが商品の差別化につながるという水泳用品・介護用品市場創造の事例を示しています。本連載では、そんな三宅氏が、ユニークかつ継続的に事業を展開している企業にスポットを当て、「企業が身につけるべき新規事業を興す力」を探っていきます。

専修大学経営学部准教授
紋切り型の「大企業批判」はもうたくさん!
連載1回目は、まず私、三宅秀道の所信から述べさせていただきます。私は中小企業論の研究者です。これまでたくさんの中小企業を調査し、ユニークで革新的な製品やサービスの開発事例を発見してきました。そうした優れた中小企業にはアイディアがあり、機動力があり、新しいことに挑戦する風土や環境があります。一方で、大企業はどうでしょうか。一時は世界をリードした家電分野でも、最近では海外メーカーの製品に押されています。「日本企業の製品は性能が良い」といった評価もだんだん色褪せてきて、まして「新しい世界を見せてくれるのではないか」「暮らしが一変するのではないか」という期待感は薄らいでいるのが現状です。「大企業からはイノベーションが生まれにくい」なんてことも、まことしやかに囁かれています。
しかし、本当にそうでしょうか。中小企業を研究する私の目から見て、大企業は中小企業にない経営資源をたくさん持っているように思えます。たとえば、事務能力の高い人材、お金、先進的な技術。まだまだ数えればきりがありません。それらを活用できたら、こんないいことはない。
また、「今の日本は、ハングリーではなくなった」という言説もあります。たしかに、一部の大企業には変化を恐れる企業風土があり、それに染まった人材がいます。しかし、どのような業界業種、どのような規模の組織にも、同じ問題を抱えている例はいくらでもあるのです。そしてその反面、私が調査してきた革新的な中小企業にいるような、失敗を恐れずに、粘り強く自分の信念を貫き通していく人材は、当然、大企業のなかにもいっぱいいると私は思っています。
そもそも、ハングリーでなくなったことに文句を言っても仕方がありません。なぜなら、我々はハングリーでなくて済む暮らしを求めて経済成長し、今、その果実を得ているのですから。ハングリーでなくとも成立する暮らしはめでたいことなのです。そしていざそうなれば、今度は、ハングリーさに頼らなくてもイノベーションが起きる体制に変わればよいだけのことです。
「大企業のセクショナリズムは問題だ」という批判にも、同じような矛盾があります。そもそもセクショナリズムと近代的組織というのは表裏一体で、組織化による専門的分業とは、つまりセクショナリズムのことです。それがうまく回っているときは専門化と言って、悪く回ると後知恵で「セクショナリズムの弊害だ」と言いがちですけれど、セクショナリズムを導入した際には、それなりのメリットがあったはずですし、そのメリットの一部は今も生きているはずです。組織は部分しか知らない人が連携して、個人でできること以上の成果を達成するために作られたものなのですから、部分の専門性とその統合を同時に追求するのは無理があります。
もちろん、こうした「大企業批判」には的を射ている部分もあります。しかし、紋切り型の批判だけをやっていても、事態はおよそ進展しません。それよりも、大企業と中小企業のいいとこ取りをすることが大切なのです。資源を新しい用途に生かすことが組織の体質としてできにくくなっていることが大企業のボトルネックならば、その生かし方を中小企業から学べばよい。

私は、中小企業研究の傍ら、大企業とも多く交流しています。自分で言うのもなんですが、この両刀遣いは経営学者としては珍しい存在だと思っています。なぜなら、研究者の世界こそセクショナリズム、住み分けがはっきりしているからです。大雑把に分けてしまうと、大企業研究は組織論、伝統的な中小企業研究は社会派のマクロ経済学、つまり中小企業を支援するための経済・社会政策論といった感じになるでしょうか。
しかし、先ほどから述べているように、私は少ない資源しかないのにもかかわらず市場を創造するような事業を展開している中小企業をたくさん知っています。彼らは支援の対象であるどころか、業界をリードする存在として、先進事例を次々と生み出しています。そうした知見を大企業に生かしてもらいたいと思ったのが、当連載を始める動機の一つです。
紋切り型の「大企業批判」に陥るのではなく、建設的で前向きな議論をしたいと思っています。