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パラレルキャリアで叶える、これからの働き方と生き方

2017年09月19日

 本業以外の仕事を持ったり、非営利活動に参加したりする「パラレルキャリア」は、ピーター・ドラッカーなどが提唱した生き方ですが、「働き方改革」への関心が高まりつつある今、日本でも大きな注目を集めています。大学時代に起業したハピキラFACTORY(以下「ハピキラ」)社長とソニーで正社員を兼業する正能茉優さんに「パラレルキャリア」という働き方・生き方についてお話をうかがいました。

ソニー株式会社 新商品開発担当
株式会社ハピキラFACTORY 代表取締役社長
正能 茉優(しょうのう まゆ)氏

人生全体で120点をとるための答えがパラレルキャリアだった

──これまでの経歴を簡単に教えていただけますか?

正能氏:
 小学校6年生から高校3年生までの7年間は、読売新聞で子ども記者として活動していました。勉強はあまり得意ではなく、人と話すことと文章を書くことが好きでしたね。地方での活動は、大学1年生の時、インターンシッププログラムで長野県小布施町に行ったことがきっかけで始めました。ハピキラを起業したのは、それから2年後の大学3年生のときです。大学卒業後は、ハピキラの社長業を続けながら広告代理店にも就職して、2年半プランナーとして働きました。その後、2016年10月にソニーに転職したという感じです。

──起業して社長でありながら、あえて就職した理由は何だったのでしょうか?

正能氏:
 就職活動の時期に考えたのは「どうしたら、自分の1時間あたりの価値を最大化できるか」ということでした。私のようなミレニアル世代と呼ばれる世代は、仕事も、家族も、友だちも、趣味も、すべて70点でもいいから、すべてをバランスよくこなすことで、人生全体として120点をとりたいと考える世代です。これまで世の中で当たり前とされてきた「現役時代は仕事を頑張って、定年後に家族や趣味を楽しもう」という考え方とは少し違います。

 そう考えた時、私が仕事に割ける時間は、今社会で活躍している人たちよりも相対的に短くなると思いました。でも、自分の生活スタイルを考えた時、そんな短い時間の中でも、ハンバーガーにアボカドをトッピングができるくらいのお金の余裕は必要だなと。(笑)だから、「自分の1時間当たりの価値を最大化していきたい」と思ったんです。

 次に考えたのは、自分の1時間あたりの価値を最大化するためには、自分の存在を、ナンバーワン・ファーストワン・オンリーワンのいずれかにしなくてはならないということ。でも、学校のテストですら一番になれなかった私が、世の中でナンバーワンになるのは難しそうだし、これだけ人類の歴史が長い中でファーストワンの存在になるのも難しいように思えました。だから、オンリーワンの存在になろうと決めたんです。

 ところが、私が起業した頃というのは、学生起業が流行っていたこともあり、「女子大生社長」はオンリーワンの存在ではなかったんです。そこで、自分を「○○なのに、社長」といういい意味で違和感のあるポジションに置いてみようと思いつきました。みんなの知らない働き方・生き方をしてオンリーワンの存在になろうと。こうして私のパラレルキャリアは始まりました。

──パラレルキャリアのスタートですね。なぜ勤めていた広告代理店を辞められたのでしょうか?

正能氏:
 代理店に勤めていた2年半は、毎日が「文化祭の前日」のようで、最高に楽しい2年半でした。辞めて1年経った今も、前の会社の人たちとは毎週会うくらい、人も好きでした。

 でも、代理店のビジネスは「マルチクライアント制」といって、世の中のすべての企業や組織がクライアントになりうるビジネスです。だから、ハピキラのクライアントさんとかぶる可能性をどこまでいってもゼロにすることができなかった。「競業」というやつですね。

 ハピキラの活動をより頑張っていきたいと思った時、これはリスクになりかねないので、思いっきりパラレルキャリアを実践するには、事業領域が明確な「事業会社」に勤める必要があると考え、転職を決めました。

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