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「D&Iは終わりなき旅」スポーツ、ビジネス界のプロと考える新時代の価値観とは?

 私たちの価値観が大きく変わりつつある今、スポーツ、ビシネス、アートで活躍するトップランナーは、どのようなマインドセットを持ち合わせているのか。

 NewsPicksとNECは、12月にオリジナル番組「Beyond Borders〜世界を切り拓く者たち〜」を配信。東京2020で活躍した選手らをゲストに迎え、これからを生きる上でのヒントを探った。

 本記事では、東京2020 パラ陸上競技日本代表の中西麻耶氏、バイオリニストの廣津留すみれ氏、世界ゆるスポーツ協会 代表の澤田智洋氏が登壇した第二部「New Harmony〜2021年からはじまる、新たなる調和〜」をレポート。2021年以降の「多様性と調和」を実現する世界について考える。

SPEAKER 話し手

廣津留 すみれ 氏

バイオリニスト

高校在学中にNY・カーネギーホールにてソロデビュー。2012年ハーバード大学に現役合格、2016年に卒業。ジュリアード音楽院の修士課程を修了の後、ニューヨークで音楽コンサルティング会社を起業。バイオリニストとして世界的チェリストヨーヨー・マとの度々の共演やゲーム「ファイナル・ファンタジー」シリーズのサントラ録音、参加アルバムのグラミー賞2022へのノミネートなど、ジャンルにこだわらず幅広く活動中。

澤田 智洋 氏

世界ゆるスポーツ協会 代表

2004年、広告代理店入社。東京2020パラリンピック閉会式のコンセプト/企画を担当。2015年に誰もが楽しめる新しいスポーツを開発する「世界ゆるスポーツ協会」を設立。これまで100以上の新しいスポーツを開発し、20万人が体験。また、一般社団法人障害攻略課理事として、ボディシェアリングロボット「NIN_NIN」など、福祉領域におけるビジネスを推進中。

中西 麻耶 氏

陸上競技選手

21歳のときに仕事中の事故により右足の膝から下を切断。ソフトテニスのトレーニングでランニングを取り入れたことがきっかけでパラ陸上の世界へ。初出場の日本選手権では、100m、200mで当時の日本記録を更新。2019年世界パラ陸上競技選手権大会の走り幅跳びで金メダルを獲得、東京2020パラリンピックでは6位入賞。

「東京2020」前後の変化とは?

──昨今は活発にダイバーシティ議論がなされています。この現状についてどう思われますか。

廣津留氏:アメリカに住んでいた頃は多様性が生活になじんでいましたが、日本ではまだ身近に感じられないときがあります。

 世界中で透明性が求められる時代なので、ハリウッドで人種面における問題が提起されるなど、色々な分野で変化の波がきています。

 特に白人の作曲家が多い音楽の世界では、積極的に黒人や女性の作曲家の楽曲を弾くなど、新たなムーブメントが起きています。

──選手として東京2020パラリンピックに参加した中西さんは、大会を通じて感じたことはありましたか。

中西氏:オリンピックの熱がパラリンピック終了後まで続いていたことが印象的でした。今まではオリンピックが終了すればメディアも撤収気味でしたが、今回は応援してくれる人たちと共にハラハラしながらパラリンピックの開催を待つことができました。

澤田氏:子供たちにパラリンピックの感想を聞くと、「障がいを持っているから」という文脈ではなく「ブラインドサッカーが面白かった」「義足がカッコ良かった」など、競技として純粋に心を打たれたという声が多かったです。

 メディアや企業など含めて良い形で競技や選手たちにスポットライトを当てていたので、選手たちの魅力が伝わったのではないかと。

 もちろん選手たちの活躍もめざましかった。パラリンピック後の、企業とパラアスリートの連携の仕方や報道の在り方がどのように進化するのかが楽しみです。

廣津留氏:オリパラがきっかけで多くの人が多様性についてより深く考えるようになったと思います。インクルージョンに関する問題は世界共通ですので、今後、一人一人が世界の問題にも意識を向けていくことは不可欠ですよね。

──オリパラが終了してから感じる、生活の変化などはありますか。

中西氏:オリパラによって、多くの人が私を「障がいを持っている人 」や「パラリンピックの選手」ではなく「 スポーツ選手」という広い括りで捉えるようになったと思います。

 これは私の感覚ですが、オリパラ以前は「障害のある人がスポーツを頑張っている」という見られ方をしていましたが、オリパラ以降は勝敗にこだわって見ていただける方が多くなったように思います。そのため、ありがたいことに優しくも厳しいご意見をいただける人も増えています。

閉塞感を打破するためのインクルージョンとは

──日本と海外でダイバーシティ&インクルージョンの違いを感じたことはありますか。

中西氏:例えば私が日本で陸上競技場を借りるとき、走り幅跳びで使うブレードなどを見せないとスムーズに競技場を借りることができません。一方、アメリカでは普通に競技場を借りられて、障がい者でも一般の方と同じように借りることができます。

 「障がい者だから競技場は危険」「障がい者でも選手だから競技場を貸す」など、多くの日本人が人となりで判断している傾向は続いているので、障がい者が日本の生活になじむにはまだまだハードルの高さを感じます。

──今後、日本でも障がいを持っている方への視線は変化するでしょうか。

澤田氏:日本は前例があるかないかを気にする国です。今は前例が作られている段階なので、この期間を経たら変わる部分は多くなるはず。

 日本の企業活動は、かつてはマジョリティな枠組みの人同士が会議をしている状態だったので閉塞感が漂っていました。しかし、今や企業はより良い事業開発、商品やサービス開発のためにいわゆるマイノリティと呼ばれる人たちからの意見を募っている状況が生まれています。

 企業が事業活性化のために、障がい者からヒントを得ている側面が年々強くなっています。

──澤田さんが取り組んでいる「ゆるスポーツ」はどのような成り立ちなのでしょうか。

澤田氏:モノを蹴る、投げる、人を殴る行為は日常では禁止されていますが、サッカーやバスケ、ボクシングなどスポーツの分野ではそれが前提のルールになります。日常のルールだけで生活していると人は鬱屈になるので、それらを逃がす意味でスポーツやエンターテイメントが存在すると思います。

 100個以上のスポーツがある「ゆるスポーツ」の中で心疾患を持つ方が活躍できる「500歩サッカー」という種目があります。健常者が心疾患の方に合わせて、「500歩サッカー」を行うことで、マイノリティの常識にマジョリティの方々を招き入れることができます。

 日本では「マジョリティがマイノリティを受け入れる」という流れがありますが、それだけだと真の意味での交わりではなく上下関係が生まれます。マジョリティとマイノリティな部分が全ての人の中に存在するという前提で、マイノリティな世界にマジョリティの方がお邪魔する相互関係が重要だと思います。

中西氏:調和を目指すという意味で、「ゆるスポーツ」などの楽しい遊びを通して、他者の立場に立って考えてみることは重要ですね。

──日本と海外でのインクルージョンの違いはどこだと思いますか。

廣津留氏:私が大学時代を過ごしたアメリカの寮は、色んな国籍やジェンダーアイデンティティの方が自由に過ごしている環境だったので、皆が持つ共通の「常識」などないと気がつきました。

 各々が持つ感覚が異なることを皆が認識しているからこそ、その違いをお互いにリスペクトしスムーズに吸収できる文化が築かれていました。

 様々な国籍の方が交流できる場所が日本にはあまり存在しないので、他人との違いを受け入れる視点をどう培うかが日本の課題です。オープンに会話できるスペースを設置できれば、マジョリティ・マイノリティ関係なく人としての個性に気づけると思います。

澤田氏:今回のパラリンピック閉会式では「調和する不協和音」といテーマを掲げて、人のあらゆる魅力が開花できる舞台を目指しました。

 例えば、泳ぐ動作が好きなダウン症の子の周りでプロのダンサーが踊るシーンがあったのですが、一見すると統一感がなさそうに見えますが、ただ、一人一人がそれぞれの「らしさ」を発揮し、生き生きしているというレイヤーにおいての調和を目指しました。

 このバラバラなものが不思議な調和を放つというある意味での日本的なアプローチは、海外からはユニークなダイバーシティ性がパラリンピックで発露されているという評価をいただきました。

廣津留氏:ダンスの話と同じように、音楽面では小さい頃から楽器を演奏していると、音を通して個性を発揮できます。音楽のエンターテインメント性を通して、国や性別を超えたチームワークを育みながら、個も立たせられると思います。

期待が膨らむ「to be continued」を継続する

──社会全体で調和を実現するには何が重要だと考えますか。

廣津留氏:これからは想像力を持つことが不可欠だと思います。コロナ禍を経て、どんなサービス、メッセージも世界に行き渡る世の中になりました。目に見えていない相手がメッセージを受け取ったとき、どんな感情を抱くかを想像することが重要です。

 また、偏見を持っていない人はこの世にいませんが、自分が偏見を持っていることを自覚することはできます。その自覚だけでも自分の言動を考え直すきっかけになるので、何かを発する前に、まず自分の中にある潜在的な偏見に気づくことがますます必要になるでしょうね。

澤田氏:私が心がけているのは「たまたま&まだまだ精神」です。「たまたま精神」とは、自分はマジョリティな範囲に属しているから、たまたま就活や交渉が上手くいったと自覚することです。「まだまだ精神」とは何もかも分かったつもりでいると、そこで分断や差別が生まれてしまうので、偏見を持たずに相手に接するという意味です。

 私は会社でプロジェクトリーダーをすることが多いのですが、会議をするとき他者からの異論が出ることを楽しみにしています。自分が言っていることに確信が持てないのに、皆がうなずいているときが一番怖いので、異論が出たときは楽しむようにしています。

中西氏:日本では多様性が進んでいるように見えても、今は「障がいを持つ人」というカテゴリーが整った段階に過ぎません。日本の学校では多数決で何かが決まることが多いので、生徒たちが枠組みにとらわれない発想を養うためにも、学校や企業が生徒らに選択肢、考えさせる機会を提供するべきだと思います。

 将来は私たちパラアスリートが子供たちから憧れてもらえる職業になれればと願います。私自身は言葉で他者を先導するタイプの人間ではないので、背中で語れるアスリートになりたいです。

──このイベントを振り返っていかがでしたか。

中西氏:イベントを通して、改めて自分を見直せましたし、障がい者スポーツを外で見てくれた方からの感想や意見、スポーツ以外のジャンルの知識も吸収できました。

 また自分がやってきたことの正しさも認識できたので、今後もスポーツを通じて、世の中に対して自分が何を発信すべきかを考えていきたいです。

澤田氏:スポーツと音楽のスペシャリストたちの話を聞いて、文化を通じて、気づいたら皆が調和していたという状態がベストだと気づきました。ビジネスだと頭で調和を認識してしまうので、身体を通じて多様性を吸収することが重要だと思います。

廣津留氏:スポーツと音楽の共通項は、練習を重ねて本番で良いパフォーマンスをすることです。その過程が似ているので、今後スポーツと音楽がどう協力できるかをもっと知りたくなりました。

澤田氏:「ダイバーシティインクルージョン」は終わりなき旅です。世界中の人を包摂することはハードルが高いことなので、私たちが生きている間には実現できないかもしれません。でも今回のイベントのように対話を重ねることで、今後世界がどうなるかの続きが気になります。なので、毎回いかに良いto be continuedを続けられるかが重要です。