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次学び多きフィンランド 岩竹 美加子 連載

フィンランドの働き方と「ワーク・ウェルビーイング」

 前回の記事、「「世界一幸福な国」と言われるフィンランド その根幹にある「ウェルビーイング」の思想を探る」では、健康、日常生活の快適さ、自己肯定感などを含む、フィンランドの「ウェルビーイング」という概念を説明した。今回は、フィンランドの「働き方」に注目しつつ、労働におけるウェルビーイング「ワーク・ウェルビーイング」という考え方を紹介したい。

岩竹 美加子 氏

東京生まれフィンランド在住。明治大学文学部卒業後、7年間の会社勤務を経て渡米。ペンシルべニア大学大学院民俗学部博士課程修了(Ph.D.)。早稲田大学客員准教授、ヘルシンキ大学教授等を経て、現在同大学非常勤教授(Dosentti)。著書に『フィンランドはなぜ「世界一幸せな国」になったのか』(幻冬舎新書)、『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(新潮社)、『PTAという国家装置』(青弓社)、編訳書に『民俗学の政治性 アメリカ民俗学100年目の省察から』(未来社)

日本人は働きすぎ?

 最近、日本では働き方改革を実施する企業が出てきた。例えば、2022年には日立が給料を減らすことなく週休3日にできる新しい勤務制度を導入することが報じられた。しかし、その内容を見ると、1日当たりの労働時間を所定の7時間45分から9〜10時間に伸ばすというもので、総労働時間を減らすものではない。労働が週4日に減ったとしても、1日あたりの労働時間は増える。 「1日8時間労働」は、1919年のILO条約1号(日本は未批准)で決められたはずだが、それを超過している。しかし、報道では「時間の使い方について幅広い裁量を認める」「社員の意欲を高める」「働き方は柔軟」と肯定的に説明されている。

 こうした日本の働き方は、ワーク・ウェルビーイングの観点から見ると、どのように評価できるだろうか。フィンランドの働き方と比較しつつ、考えてみたい。

フィンランドの働き方

 フィンランドの働き方の大きな特徴として、さまざまな点を挙げることができる。まず日本の大学のように、同学年の学生が一斉に卒業し一斉に就職することはない。それは、多くのOECD諸国でも同様だ。フィンランドの大学は、必要な単位を取り卒論を書けば修了になる。また、大学3年生の時からの就職活動や、内定獲得を巡る駆け引きもない。 仕事は適宜オンラインで探し、オンラインで応募するのが普通だ。

 就職後も、厳密な先輩後輩の関係や年功序列はない。日本では係長、課長、次長、部長などの職位と序列があるが、フィンランドの会社の肩書きはチーフやマネジャーなど序列は緩やかで、どういった分野に関わっていて、どんな仕事をしているかを表すものになっている。ただし、上司と部下という関係はある。そして、より条件の良い仕事を求めて職場を変わるのはよくあることだ。様々な理由で、職種を変えることも珍しくない。その場合、新しい職種のための教育を無償、または安価で受けられる公的なシステムもある。労働の流動性が高く、政府もそれを労働市場の柔軟性として評価しサポートしている。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません(出典:iStock)

 フィンランドでは労働組合が強く、労働者の諸権利がしっかりと守られている。企業内組合ではなく業種ごとの組合が基本で、その数は約80。就業する際は、雇用者の連合組合と被雇用者の連合組合の間の「集合的労働契約」に基づいて、自分と会社の間の雇用契約を結ぶことが多い。それによって、実質的に2つの労働契約に守られている形になる。ストライキもよく行われる。数日程度で終わるものが多いが、長い場合は2〜3ヶ月に及ぶこともある。

 給与については、業種ごとに、毎年の最低限の賃金上昇率が設定されていることもあるが、実際には年によって変動がある。2月5日には、数日間のストライキの結果として工業ユニオンが2年間で7%の賃金上昇を承認した。日本の「春闘」のように、時期を限ることなく必要に応じてストライキと労働条件の交渉が行われている。ただし、男女間にはまだ格差があり、2020年の女性の平均賃金は男性の84%だった。

 個人の働き方に目を向けると、現在は、1日8時間(実働7時間)で週5日労働が基本だ。ただし、1日8時間は1917年から、週5日は1966年から変わっていない。2020年にマリン首相が「給料は下げずに1日6時間、週4日労働への改革」を提言しているが、実現にはまだ時間がかかりそうだ。また多くの労働者は、勤務年数にもよるが年間に4週間以上の夏休み、春と秋に1週間の休日、クリスマスに1週間程度の有給休暇を取得している。

 以上のような特徴に加え、法的な面での違いもある。日本では憲法第27条1項が勤労義務を定めている。「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」という規定で、国民の三大義務の一つとされている。労働ではなく、勤労という言葉が使われていることにも注意したい。労働は労働組合や労働基本権などと結びつくのに対し、勤労は勤労奉仕的なニュアンスが強い。

 しかし、フィンランドで労働は義務ではなく、憲法による規定もない。むしろ憲法が定めているのは社会保障である。憲法第2条19項は「全ての人に失業、病気、労働能力喪失、老齢、子どもの誕生、保護者の喪失を起因とする、基本的な生活保護への権利を保証する」としている。つまり、様々な理由で働けなくなった場合は、国家が基本的な生活保障をする義務があるのだ。自助共助を強調して、公助が貧弱な日本との大きな違いである。

ワーク・ウェルビーイング

 以上の特徴に加えて、フィンランドで特に重要なのは働く人のウェルビーイングが重視されている点だ。たとえば、フィンランドに単身赴任は存在しない。家庭生活とのバランスを壊し、働く人のウェルビーイングを省みない労働形態だからである。またワーク・ウェルビーイングに加え「労働衛生」という概念があり、労働と労働に対するケアはセットになっている。

 上記に挙げたようなフィンランドの働き方とワーク・ウェルビーイングを支えているのは、政府の政策である。現在は「労働2030」というプランがあり、全体的な方向づけを行なっている。

 「労働2030」を見る前に、ワーク・ウェルビーイングについて簡単に説明したい。社会保健省は、それを「仕事とその意義深さ、健康、安全、ウェルビーイングで形成される全体」としている。図示すると、こうしたイメージになるだろう。

ワーク・ウェルビーイングのイメージ

 ここでの「安全」は、ハラスメントなどがなく、身体的にも精神的にも安全で安心な職場や労働の環境を指す。続けて、社会保健省は「ワーク・ウェルビーイングを増強するのは、動機づけの巧みな良いリーダーシップ、グループの良い雰囲気、働き手のプロフェッショナルなスキルである。ワーク・ウェルビーイングは、特に仕事への意欲に影響を与える」としている。

 そこにはリーダーとグループ、働き手という3つがあり、それぞれがワーク・ウェルビーイングに貢献していることがわかる。

「労働2030」というプログラム

 以上を踏まえて、「労働2030」を見てみたい。「労働2030」は2020年にサンナ・マリン内閣によって施行され、2030年に向けての労働や働き方のビジョンを示すプログラムである。そこには、新しい働き方の実験と創出、ワークライフにおけるイノベーション、効率的なテクノロジーの利用、協働と信頼に基づくワークカルチャーなどが挙げられている。それらの最終的な目的は雇用創出、経済発展、競争力増強に繋げることだ。

サンナ・マリン首相(出典:gettyimages)

 フィンランドではリーダーシップが重視されており、そのセミナーも多い。「労働2030」は、「良い労働とリーダーシップは、生産性とワーク・ウェルビーイングを同時に高める」としている。リーダーシップとは、より良く望ましい効率性の高い方向にグループを導くこと、その手法を指す。日本で良いリーダーシップというと「強いリーダーシップ」が想起されるかもしれないが、いくつもの種類がある。フィンランドで特に重視されているのは、グループを構成する人の間のポジティブな相互作用を引き出しサポートすることによって、メンバーの問題解決能力や仕事へのコミットメント、生産性、ウェルビーイングを高めるようなリーダーシップである。周囲を引っ張っていく強いリーダーシップというよりも、「関係性のリーダーシップ」と言えるかもしれない。「労働2030」は、そのような良いリーダーシップは企業の競争力を高め、公共機関への信頼にもつながるとしている。

 「労働2030」は、さらに「フィンランドのワークライフを世界でブランド化する」、「デジタル時代のワークライフ・イノベーションでトップになる」、「ワーク・ウェルビーイングで世界一になる」などの野心も表明している。

 「労働2030」に関係する団体は、社会保健省を中心として経済雇用省や教育文化省、教育庁などの官庁、及び企業組合、労働組合、財団、専門家集団などである。より具体的に、様々な研究調査や提言を行なうのは、次に見る労働衛生研究所だ。

労働衛生研究所とリモートワーク

 労働衛生研究所は、予算の半分を政府が出費していて、労働全般に関する研究調査を行う公的な機関である。ワーク・ウェルビーイングが、具体的にどういうものなのかはそのホームページで知ることができる。実際に見てみると、「ワーク・ウェルビーイングと労働能力」「労働衛生」「労働の安全性」「ワークワイフの変化」などのカテゴリーがあり、それぞれのカテゴリーで多様な研究成果を公表している。

 また、同研究所が対象にしているのは一般企業で働く人だけではなく、ケアワーカー、美容理容業、農業、個人事業者、建設現場で働く人、化学物質などを扱う人など幅広い。また、扱うトピックも幅広く、ライフスタイル、多様なワークライフ、妊娠と仕事、ストレスと過労、キャリア、職場でのハラスメント、ワークライフと精神の健康、労働時間、人間工学、労働衛生のケア、良いリーダーシップ、職業病、組織の変化、テクノロジーとウェルビーイング、リモートワークとハイブリッドワークなど多様だ。様々な課題がワーク・ウェルビーイングの視点から扱われていて、ヴィジュアル的にも楽しい。

 それぞれ興味深いのだが、ここでは「リモートワークとハイブリッドワーク」を見てみたい。フィンランドで「リモートワーク」とは、職場以外の場所で行う賃金労働。「ハイブリッドワーク」は日本で言うところのリモートワークに近く、職場と職場以外の場所どちらでも労働する働き方を指す。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません(出典:iStock)

 フィンランドではIT化と柔軟性のある働き方が進んでいるので、コロナ禍以前からリモートワークやハイブリッドワークはあった。例えば週に3日出社、2日は家でリモートワークというように働く人も、少なくはなかった。小さい子どもが熱を出したなどの理由で、家で仕事をするのは女性に限らず男性でも普通だ。オンライン会議も以前はスカイプ、現在はZOOMやTEAMSがよく使われている。

 このようにリモートワーク、ハイブリッドワーク共にコロナ禍以前からあったが、コロナ禍を機に増えた働き方だ。同研究所のホームページを見ると、リモートワークでは雇用者や上司との信頼関係、仕事の方向性の共有、働き手の自立した労働とそのサポートが必要になると説明されている。また、その際に重要となるリーダーシップは、相手をコントロールしようとするものではなく、信頼に基づくものである必要があるという。

 ハイブリッドワークには、異なる働き方が想定されている。週や月の一部に自宅などで働き、他の日は一部を職場に行く。あるいは、社員の一部が自宅、一部が職場で働くというように、仕事環境を分ける。また週ごとに働く場所を入れ替えることもできる。色々なやり方を試みて、必要に応じて働き方を改善するのが良いとしている。

 ハイブリッドワークで働く人のメリットとしては、柔軟性のある働き方、通勤時間の節約、仕事と家庭生活の整合性をより柔軟に取れるなどが挙げられている。雇用者のメリットは、仕事の効率と生産性の向上、オフィスにかかる費用の削減、多様な働き方を打ち出すことで人員募集の際に良い印象を与えられることなどである。一方、働く側の問題点としては、休みと仕事の区分が不明瞭になる、労働時間が延びる、 家庭生活と調整する必要がある、自宅のスペースや家具が仕事向きではない、仕事仲間との接触がないなどが挙げられている。

 このように職場を離れた働き方であっても、やはりワーク・ウェルビーイングを重視して、それに配慮したものを目指していることがわかる。

 コロナ禍の間は、フィンランド社会全体でリモートワークの比重が増えたが、状況が落ち着いてくると出社の比重を増やす、または出社のみというケースも出てきた。ただ、子どもがいる/いない、会社への通勤距離など個人の事情によっても状況は異なるようだ。

労働生産性を比較する

 ワーク・ウェルビーイングに関わる事柄を見てきたが、ここで労働生産性に目を移してみよう。2021年、OECD 加盟諸国の労働生産性を見ると、就業1時間当たりフィンランドは73.6ドルで、38 カ国中 14位である。なお日本は49.9 ドル、29位だ。

 同年、フィンランドの1人当たり労働生産性は111,723ドル、OECD 加盟 38 カ国中 14位だった。日本は81,510 ドル、 29 位だ。

 フィンランドは世界トップにあるわけではないが、ワーク・ウェルビーイングに充分配慮した上での順位であり、納得できるレベルと言えるだろう。裏を返せば「労働生産性が落ちる」というのは、ワーク・ウェルビーイングに配慮しない理由にはならない。

日本が学ぶべきこと

 フィンランドのワーク・ウェルビーイングの広さと深さを知ると、日本にはそれに相当する考え方がほとんど存在しないことがわかる。日本の働き方改革では、労働時間の短縮が第一の課題になることが多い。日本の厚労省は、そのホームページ内に「仕事と生活の調和」というコーナーを置き、「労働時間等の設定の改善」「労働時間等見直しガイドライン」「テレワーク普及促進対策」といった施策を紹介しているが、目配りが十全とは言えない。

 日本では、ワーク・ウェルビーイング以前に労働者の基本的な権利が弱く、過労死や過労自殺も多いという現実がある。Karoshi (過労死)という言葉が、英語やフィンランド語のウィキペディアにもあるように、日本の無理な働き方は世界にも知られている。

 働く人を尊重すること、今後は労働者の権利やウェルビーイングに配慮した労働政策を採り入れることが、日本でも是非とも必要と思われる。

【参照文献】

厚労省、仕事と生活の調和
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/shigoto/index.html別ウィンドウで開きます

日経新聞、日立が給料減らさずに週休3日、どう実現?、2022年4月12日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL1189T0R10C22A4000000/別ウィンドウで開きます

日本生産性本部、労働生産性の国際比較2022、2022年
Tilastokeskus. 2022.8.3
https://www.stat.fi/tup/kokeelliset-tilastot/tulorekisterin_palkat_ja_palkkiot/mediaani-tammikuussa-2022/index.html別ウィンドウで開きます

Työ2030. https://hyvatyo.ttl.fi/tyo2030別ウィンドウで開きます

Työterveyslaitos. Työhyvinvointi ja työkyky. https://www.ttl.fi/teemat/tyohyvinvointi-ja-tyokyky別ウィンドウで開きます