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「メタ感性」で「氷山」のすべてを捉えるために必要なこと ──個人と組織がいま結ぶべき幸福な関係性をめぐって
~NEC未来創造会議 2020年度第1回有識者会議レポート~
2050年の社会を見据えて目指すべき未来像を構想するプロジェクト「NEC未来創造会議」が、今年も始動している。本プロジェクトは毎年国内外からさまざまな有識者を招聘し議論を重ね、今年で4年目を迎えた。2018年度には「意志共鳴型社会」と名付けた社会のビジョンを提唱したほか、昨年度からは多くのステークホルダーとともに共創プロジェクトに取り組むなど、議論だけでなく社会実装のフェーズへとプロジェクトは移行している。
いまなお世界中で感染拡大の続くCOVID-19の影響を受けて、今年度のNEC未来創造会議では「成長」と「持続性」が大きなキーワードとなりつつある。あらゆる組織やシステムが変革を求められているなかで、個人はいかに働き、企業はどう社会へアプローチしていくべきなのか。第1回では「INDIVIDUAL」をキーワードに、人生100年時代のキャリア構築について考えていく。
今回の参加者は、若干22歳のワイルドサイエンティスト・片野晃輔と数学オリンピック金メダリストでありながらジャズピアニストとしても活動する中島さち子、NECフェローの江村克己。さらに終盤ではNECのカルチャー変革本部長を務める佐藤千佳も参加した。昨年に引き続き『WIRED』日本版編集長の松島倫明がモデレーターを務め、固定観念にとらわれないキャリアを築いてきたふたりとともに、「メタ感性」や「氷山」、「コレクティブジーニアス」などさまざまなキーワードを巡って議論が繰り広げられた。
多様な視点に触れ、本質に気づく
グローバリゼーションの進展や少子高齢化、あるいは企業と個人の関係の変化やCOVID-19の感染拡大に伴う生活の変容――わたしたちはこれまで以上に複雑で不安定な世界のなかで生きていかざるをえなくなっている。加えて人生100年時代と呼ばれるように寿命が延びていくことで、わたしたちはこれまでとは異なるかたちでキャリアを構築していく必要も生じているだろう。
わたしたち一人ひとりは、いかに働き、いかに社会のなかで生きていくべきなのか。NEC未来創造会議はこの問題を考えるべく、第1回に「INDIVIDUAL」をキーワードとして掲げ、個人の生き方にフォーカスをあてた。テーマは「人生100年時代を豊かに生きるキャリア構築とは?」。社会が変化していくなかで個人はどんな能力を身につけるべきなのか、他者とどう共存するのか、身の回りの環境をどう変えていくべきなのか。3つの問いを立てて、このテーマに取りくんでいく。
「ぼく自身は、多様な視点を知ることで自分の価値観が変わってきたように思います。なかでも、技術をつくった人や研究者の素顔を通じてその研究の深みにたどりつけたときに、感性の奥で眠っていたメタ感性みたいなものがあるかもしれないと気づかされました」
自身のキャリアを振り返ってそう語るのは、ワイルドサイエンティストの片野晃輔。高校卒業後すぐにMITメディアラボで研究者としての活動を始めるなど異色の経歴をもつ片野は、中高生のころにたくさんの人に会って話を聞くなかで、自分自身の感性を確立してきたという。一方の中島もまた、数学オリンピックを通じてさまざまな国の人々に出会ったことで多様な視点や生き方の可能性を知ったことを明かす。ふたりの発言を受け、江村は同じような仕事を続けていると価値観が固まってしまうため、ふたりのように多様な視点に触れて価値観をほぐしていくことが重要だと語る。
「おふたりはかなり自由にいろいろなことを感じられていますよね。それは感性が確立されているだけではなく、感度も高いからだと思うんです。少し違うものに気づける度合いが普通の人よりも高いのではないかと」
江村が指摘した「気づく」こととは、人間の優れた能力のひとつでもあると片野は応答する。利便性の追求は個人の自律性を減ずると哲学者イヴァン・イリイチが述べていたことを明かし、片野は不便・不満から得られる気づきが自分にとっても重要なのだと続けた。
こうした気づきとは、数学と音楽に取り組む中島にとっても重要なものだろう。中島は「問いの枠組みを外していくことで本質に気づける」のだと語る。数学なら公理、音楽なら譜面など決まったルール・枠組みはあるが、ときにはそこから離れることが重要なのだ、と。
「たとえばジャズはかなり自由度が高いですが、もちろんフォーマットもある。先人がやってきたことを模索し、ときには真似をしてなりきってみることも、ライブのなかで一期一会に生まれる独自の音楽と同じくらい重要です。そのときも、自分ひとりじゃないからこそ生まれるものがある。それは数学や音楽にかぎらず、すべての存在が総合的なものなのだと思うんです」
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高校在学中、国際数学オリンピック大会に出場し、日本人女性初の金メダルを獲得。東京大学卒業後はジャズピアニストとして活動。現在はさまざまなSTEAM教育プログラム開発にも携わっている
海中に潜む「氷山」の存在を知る重要性
江村はふたりの話を通じて「氷山」を思い浮かべたと語る。わたしたちが見る氷山とは海上に飛び出ている部分だけだが、実際は海中にもっと大きな氷山が続いている。同じように、フォーマットや定式とはあくまでも海上に出ている部分に過ぎず、海面の下には人の内面などより重要なものが眠っているのだ、と。松島も「片野さんが仰っていたメタ感度も海中の氷山のように捉えられないものを捉えるためのものですよね」と続ける。
「ぼくは相手が普段聴いている音楽について話すことでその人の感性を探っていくことがよくあるのですが、それはまさに身近な氷山の下側を覗くことだと思います。研究や論文の話をするのは氷山の上の部分だけで、むしろ表に現れていないものについて話すほうが面白い。趣味に根ざした部分について聞くことでその人のバックグラウンドもわかるし、なぜその研究を行なったかもわかってくる。さまざまな会話をきっかけとして、偏光フィルターを通してその人を見るような感覚ともいえますね」
そう片野は語り、ときには研究が面白くてもその人の考え方がつまらないと「ダサい」と思って興味がなくなることもあることを明かす。それはまさに江村の指摘した「感度」ともいえるが、一方では仮にダサいと思ってもコンテキストが共有されることで考え方は変わりうるため、つねに謙虚でいることを心がけているという。
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1982年、光通信技術の研究者としてNECへ入社。以降、中央研究所長や執行役員、CTOを経て現職
他方の中島は、氷山から無意識や個の融解を連想したと応答する。「意識下でさまざまな苦闘を続けることで、徐々に無意識やメタ感性が鍛えられていく。失敗によって自分の開かれていなかった部分が育てられていくんですよね」。その過程で、個という単位さえも溶けていくのだと中島は続ける。
「いろいろなものが混じり合って変わったり、集まることで初めて面白い動きが生まれたり。氷山の下の部分についても、単にひとりの人がいるだけではなく、個と個が溶け合っているような部分があるからこそ重要なのかなと思っています」
多様な視点を通じて鋭敏な感性を磨いていくことは、必ずしも他者から抜きん出て孤立した存在となることを意味しない。片野が語るような謙虚さがあることで、個人は多様な存在へと自らを開いていくとともに、他者とともに新たなものをつくっていけるだろう。謙虚さとともに感性を磨いていくことが、これからの個人に求められるものなのかもしれない。
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1997年生まれ。中学生のころから科学者を志し、高校卒業後にさまざまな研究機関と連絡をとりMITメディアラボで研究を行なう。現在は生物学の民主化をテーマに活動を続けている
持続可能な社会と生物多様性の相関
続くふたつめの問いでは、「社会全体と自分」をテーマに、持続可能な社会をつくるために自分以外の存在とどう共存しながら生きていくかが問われた。松島が「キャリアの構築というと得てして自分のことを考えてしまいがち」と語るように、これからのキャリア構築とは自分だけでなく持続可能な社会へとつながるものでなければならない。
中島が携わっているSTEAM教育とは、まさに個の創造性を他者との創造性と結びつけるものでもあるという。STEAM教育とはScience(科学)、Technology(工学)、Arts(芸術)、Mathematics(数学)を統合的に学ぶ教育手法であり、科学や工学だけでなく芸術を重視することをその特徴としている。
「ひとくちにアートといっても教科としての“芸術”が重要なわけじゃなくて、問いや未来、ビジョンをつくる力を育むことを指していると思っています。もちろん科学も数学もエンジニアリングも非常に深く面白いですが、その中でも新しいものを生み出しつづけるためには、アートのもつコンセプトやストーリーの力が重要だと思います。いわゆる専門性をこえて新しい価値を生み出そうとするときにも」
こうしたコンセプトやストーリーは組織にとっても重要であり、組織のなかでそれを確認しつづけることが欠かせないと片野は語る。「個人の自律性がない状態で組織をつくると誰かのコンテキストの受け売りになってしまい、しまいにはみんな同じことを言っているのに誰のコンテキストなのかわからなくなってしまう。ぼくが所属する研究所でもつねに自分たちのやっていることがブレていないか確認しています」。それがなければ、どれだけ優秀な人々が集まっていても衆愚化してしまうのだ、と。ただ多様な人を集めるわけでもひとつのストーリーを盲信するわけでもなく、多様なままで溶け合うような状態が理想的なのだろう。
片野の指摘はまさにNECのような大企業においても重要であり、ひいては日本社会全体の課題でもあるはずだ。片野は生物学研究に携わるなかで、持続可能性を担保するためにも生物の多様性は必要不可欠だと語る。
「単にもともとあった生態系を保全しようとすると部分最適に陥りがちなので、本当はテラフォーミングも辞さないくらいの変化を起こさないと持続可能性はえられません。バイオロジーやエコロジーの上に社会があって経済があるわけで、ビジネスの持続可能性だけを考えていても立ち行かなくなってしまう。経済を考えるうえでも生物の多様性は重要なはずです」
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NHK出版で数々の話題書を手掛けたのち、2018年よりテックやビジネス、カルチャーを横断するメディア『WIRED』日本版編集長を務めている
相互の信頼と尊敬から新たな組織が生まれる
議論は「挑戦・成長する個人を作る環境」を巡る最後の問いへと移っていく。この問いはこれからのキャリア構築を考えるために、個人を取り巻く環境や制度をいかに活用していくべきか考えるものだ。ここからはNECのカルチャー変革本部長を務める佐藤千佳も参加し、個人と組織や制度の関係について議論が行なわれた。
組織の環境を考えるうえで中島がまず紹介したのは「コレクティブジーニアス」なる概念だ。ピクサーが取り入れているといわれるこの考え方は、組織全体のコンセプトはともに磨き上げながらも個々人の個性や知恵が大きな集団として何かを生み出すことを可能にするものだという。「そして、それを実現するためにはミューチュアルトラスト/ミューチュアルリスペクト(相互信頼/相互尊敬)が大事だと思っています」
江村も長年にわたってNECの研究に携わるなかで、単に技術力を磨くだけでなくコレクティブジーニアスのような考え方が重要になっていると感じたという。
「わたしが研究者だったころはロードマップが定まっていてやることが決まっていたのですが、まったく新しい価値をつくるためにはコレクティブジーニアスがなければいけないんだなと。ただ、そのためにはチームをうまくつくれるプロデューサーのような存在も必要になっていきますよね」
理想的な組織のあり方が変われば、企業のとるべき行動も変わっていく。佐藤も「昔は上司が部下に指示を出すことが普通でしたが、もはや経験値だけでは教えられないことも多く、上司と部下の関係性そのものが変わってきています。だからこそミューチュアルリスペクトが重要ですよね」と語り、社員同士が急速に対等な存在になってきていることを明かす。
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他方で松島が「片野さんは年齢やバックグラウンドに関係なくミューチュアルリスペクトを体現されている」と指摘するとおり、片野は旧来的な組織やキャリアの枠組みにとらわれず活動してきた。「自分の目的と企業のコンテキストがマッチするのであれば誰とでもコラボレーションできると思う」と語るように、彼にとってはもはや「企業」や「組織」の境界などあまり意味をなさないのかもしれない。
片野にとって重要なのは、むしろ環境や制度を「ハック」することだという。「制度を思ってもみなかった使い方をすることで面白いことが生まれる。制度は自由に使えばよくて、重要なのはあくまでも自分の根本と自分のやっていることがつながっているかどうかを考えることなのかなと」と片野は結論づけた。
これからのキャリア構築は、従来の慣習や制度から解き放たれるものになっていくのだろう。佐藤が「会社が整える環境や制度も社員を縛りつけるものではなくなる」と指摘するように、企業とは社員の主体性を促進していく存在になるのかもしれない。
もっとも、すべての人が自由になれば自由にキャリアを育んでいけるわけではない。片野や中島が指摘したように、あくまでも一人ひとりが自分の「氷山」と向き合い、自分が何をしたいのか考えつづけ、自律しなければいけないのだろう。自分にとって根源的なものに気づけるだけの感性を身につけることなしでは、多様な他者とのコラボレーションや、社会価値の創出も、持続可能な社会をつくっていくこともとうてい不可能なのだ。