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これからのコモンズを考えるために、
これまでの人間と共同体を振り返る。
~NEC未来創造会議 2021年度第1回有識者会議レポート~

 2017年にNECが始動したプロジェクト「NEC未来創造会議」が、新たなフェーズに突入しようとしている。国内外から集まった有識者との議論を経てつくられた「意志共鳴型社会」というビジョンを実現するためにさまざまなステークホルダーと共創活動を展開するほか、昨年からは社会の発展と地球環境の持続性を両立させるために「ニュー・コモンズ」が必要だとし、新たなコモンズのあり方を模索中だ。

 空気や水といった資源が「グローバル・コモンズ」と呼ばれ、国を超えた資源の利活用のあり方が問われると同時に、メタバースのような新たな人間の活動空間を「デジタル・コモンズ」として捉えようとする動きも進んでいる現在、わたしたちはどうやってコモンズという概念と向き合っていくべきなのだろうか。今年度のNEC未来創造会議はこれからのコモンズのあり方を問うべく、5つの会議を開催していく。

 第1回の有識者会議に参加したのは、京都府立大学 准教授の松田法子氏だ。これまで温泉街や水際の都市の社会・空間構造について研究してきた同氏は、近年、都市や人間社会の活動スケールの圧倒的な基盤である地球的な時間や地球自体の運動と共に都市や建築の歴史段階を捉えなおそうとする研究活動「生環境構築史」を提唱・展開するひとりでもある。会議は昨年に引き続き『WIRED』日本版編集長・松島倫明がモデレーターを務め、NECフェロー・江村克己も参加。コモンズの歴史を紐解くことから始まった議論は、これからのコモンズを考えるために必要な姿勢を浮き彫りにした。

これまでのコモンズを振り返る

 異常気象の増加やCOVID-19のような新たな感染症の出現など、環境をめぐるさまざまな問題が生じているなかで、今「グローバル・コモンズ」という概念が注目されている。水や空気など地球規模で人類が共有している資産を表すこの概念は、これまで人類が消費してきた資源が無限のものではなく、国を超えて保全しながら次世代につないでいく必要性を説くものだ。他方でメタバースをめぐる活動が世界的に増えているように、サイバー空間の開発は年々加速しており、新たな“土地”を扱うための考え方が求められてもいる。

 NEC未来創造会議も昨年、社会の発展と地球の持続性の両立にフォーカスした議論を展開し、「ニュー・コモンズ」として新たなコモンズのあり方を模索すべきだという結論に至った。インターネットが世界中の人々をつないだ一方で社会の分断を生み出してしまったからこそ、リアルとデジタルが融合する時代における新たなコミュニティをデザインし、多様な人々との合意形成を通じてこれからの規範や資源のあり方を実現しなければいけないのだ、と。

 これからのコモンズを考えるためには、まずこれまでのコモンズを理解する必要があるだろう。今年度第1回の会議には、日本の温泉街や水際の都市の社会・空間構造の研究に取り組む松田法子氏が参加し、日本の「入会」を導入に、そもそもコモンズの大元とはいかなる概念なのか、それら歴史的「コモンズ」と、グローバル・コモンズやデジタル・コモンズといった現代の概念とをどのように接続・比較しながら問題と向き合うべきなのか議論が繰り広げられた。

 「まず必要な整理は、これから議論されようとしている対象が、利用者の熟議と合意、管理や統制が必要な共有資源なのか、それともオープン・アクセスだとみなせるものなのかという点にあるのではないでしょうか。加えて、一定の境界をもって存在する地理空間の資源共有に対して形成されてきたコモンズやそれに類する世界各地の仕組みと、グローバル・コモンズやデジタル・コモンズなど外延がうまくつかめないほど広大で巨大な対象を『コモンズ』と呼ぶにあたって、そのガバナンスに到達するための議論の適切な規模やスケールの設定がうまくいっていないのではないかと感じました」

 最初に松田氏はそう語り、ひとくちに「コモンズ」といってもその種類は多様であり、デジタル空間や地球規模の大気、日本の入会地をひとくくりにはできないと語る。松田氏によればそもそもコモンズという言葉は中世イングランドという限られた土地・時代の共有地を指すものだったが、時代がくだるにつれその意味が拡張されていったのだという。

 「コモン、コモンズという言葉はもともと、イングランドにおいて中世の地域経済の一部を構成していた、放牧・農業や生活のための共有地のことで、低レベルの資源採取活動に利用されていた土地を指すものでした。現代的な文脈としては、1968年に生態学者のギャレット・ハーディンが『サイエンス』誌に発表した「コモンズの悲劇(The Tragedy of the Commons)」 と、2009年に女性初のノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムによる『コモンズの統治(Governing the Commons)』 (1990)を大きな2つのきっかけとして、広く知られる概念となりました。ハーディンが海での乱獲や大気汚染、水質汚染などにもこの言葉を拡大適用したことで、コモンズという言葉が共有資源の利用問題をめぐるあらゆる文脈で膨大に引用されるようになったのです。オストロムはハーディンが言葉としてメジャーにした「コモンズ」の捉え方を批判し、公共財と共有資源(CPR、Common-pool resource)の長期持続的な事例とそのメカニズムを具体的に示した上で、現代社会で公共財と共有資源をどうガバナンスしていくかを訴えたわけです」

法制度や権利のあり方が問われている

 コモンズという言葉は英語であるがゆえに世界中に広がりそのイメージが多くの人々に共有されているが、土地と、そこから得られる資源を共同で利用・管理する仕組みはそれぞれの土地の呼び名で世界中に存在する。たとえば日本においては資源の共同利用や所有、管理法として近代以前から存在する「入会」が挙げられるが、近代法の成立にあたっては民法が定義する所有権や財産権との接合が大きな問題になったという。共有財の存在形態や利用は、法制度や権利の概念と不可分なのだ。

 松田氏によれば、とりわけ日本の温泉地には、入会と近代以降の所有概念の違いに類する問題や、共有資源の伝統的な管理手法とその変容などが凝縮されてあらわれてきたという。ひとくちに温泉といっても時代や地域によって管理手法が大きく異なり、長野県の野沢温泉のように今でも強固に地域組織が資源を管理するケースもあれば、兵庫県の城崎温泉のように開発紛争などを経て温泉がすべて財産区有になったケースもある。松田氏は「重要なことは、入会は過去の存在だというのではなく、近代法との間で折衝を重ね、組合、財産区、財団法人など、かたちや呼び名を変えながらも、現在まで各地で維持されているということだと思います」と語り、資源の種類や量、開発圧力、技術などさまざまな要素によって入会は変わりながら存続しつづけていると続ける。

 「たとえば熱海の場合は別荘の開発が進むなかで『大湯』と呼ばれる温泉が枯渇してしまったのですが、その反省から温泉を町有化することでこれまでとは異なる開かれた温泉利用を可能にしました。他方で別府の場合は資源が豊富だったのでみんなが掘っても枯渇せず紛争にならなかったんですよね。どれくらいの量の資源があってどれくらいの人に開いていくものなのか設定することが議論の出発点になると思います」

 こうした松田氏の指摘を受け、モデレーターを務める『WIRED』日本版編集長の松島倫明は「希少な資源か潤沢な資源かによって管理のあり方は大きく変わるんですね」と語る。こうした問題はデジタルの時代にも通じると語るのは、NECフェローの江村克己だ。

 「近年、データの扱いについてルールを決める動きが世界的に進んでいます。たとえばEUが施行したGDPRをはじめ、これからの社会を考えるときにルール形成の議論は必要不可欠になっていくでしょう。コモンズの議論のなかで行われてきたことを学ぶことで、われわれが今後どういう観点からルール形成を論じるべきなのかヒントを得られるかもしれません」

 データのように複製可能で無形の概念は自由に移動・共有できるものだと思われがちだが、それもひとつの資源と見ることで、これまでとは異なる管理のあり方が見えてくるのだろう。

明治前期の熱海を写した彩色写真(松田所蔵)

コモンズに必要な“エラー&トライ”

 「松島さんが指摘していた希少と潤沢の点についても、注意が必要そうですね。地球規模の資源も少し前までは潤沢だと思われていましたが、水や空気も有限だと捉えられるようになっています。あるいは農薬のような技術が目先の生産性を向上させる一方で、長期的には資源の枯渇につながる恐れもありますから」

 そう江村が指摘するように、最初から資源の総量が見えていることはむしろ少ないのかもしれない。江村の発言を受けて松田氏は「歴史的な事例も、最初からうまく資源を管理できていたわけではありません。トラブルが起きたからこそ利用ルールが生まれ、トライアンドエラー、むしろ、エラーアンドトライ、が繰り返されてきました」と応答する。

 「資源の管理を巡ってトラブルが起きたからこそ枠組みをつくる動きが生まれてきました。ただ、デジタルデータとコモンズや入会を比べると、そこにある空間・資源へのアクセスのあり方は大きく異なっています。また、伝統的・歴史的なコモンズとは、封建的な社会制度のなかで生まれ、成熟してきた仕組みでもあり、コモンズを担う構成員、つまり利益者集団の内部に向けては管理された資源ですが、外部に対しては排他的な財産だという性格をもちます。加えて、コモンズの構成員は個人というよりは家父長的なイエを最小単位としてきました。それらは現在的な意味での民主的システムとは異なると思います」

 コモンズや入会といった概念は「ムラ」や「イエ」といった概念をベースにした管理や所有の仕組みだったが、現代の、特に都市部やデジタル空間においてはそうした制度がなじまないことも事実だろう。また、利益者集団の内部においては過剰にルールを設定しないほうがコミュニケーションは促進されるかもしれないが、インターネットにおいてはルールがないゆえにフェイク・ニュースや陰謀論などさまざまな問題も生じている。

 「歴史を振り返れば人口が増えたことで生計を立てるために農村から都市へと多くの人が進出し、都市の共同体は大きく変化しましたし、現代の都市に暮らす人々のなかには旧来的な共同体を嫌う人も少なくないでしょう。そんな状況において、どうすれば資源の共有のために人々が相応の負担を分担できる仕組みをつくれるのか、人々が再び共同体にコミットしていける合意形成のあり方が問われていますね」

 そう松島が語ると、松田氏は「個人と社会をつなぐものの再設定が必要でしょうね」と指摘する。現代の都市のありようを前提とした共同体を設定したうえで、固有の地域からグローバルな領域へと議論を開いていく必要があるのだろう。

生環境構築史概念図(中谷礼仁+松田法子+青井哲人、2019)

空間的・時間的スケールの重要性

 近年松田氏らが提唱している「生環境構築史」は、より巨視的な視点からこうした資源や共同体の問題を捉えなおさせるものだろう。地球史的な規模から都市や建築、経済のあり方を問うこの概念は、人間と地球環境の関係を「構築様式0〜4」として読み取り、位置づける。地球の自律運動そのものである構築様式0、ヒトによる生環境の発見と構築段階である構築様式1、古代帝国から近代世界システムに至るまでの生環境の交通・交換段階である構築様式2、さらには産業革命や宇宙開発を経て人間が環境資源を酷使し地球という生環境からの逸脱を目指す構築様式3という現代までの構築様式を経て、次なる構築様式4は、構築3の逸脱を批判しながら地球運動と生環境のサイバネティクスを新たなかたちで再起させる方法を提示しようとする。現代の人間は、構築様式3を経てさらなる逸脱を続けるのか、それとも構築4へと移行できるのかの岐路に立っているといえるだろう。

 「構築様式3に資本主義の問題が関わっているように、新たな共同体を考えるうえでは経済の視点も重要になりますね。昨年『WIRED』が行ったカンファレンスでは、協生農法に取り組まれているソニーコンピュータサイエンス研究所の舩橋真俊さんに松田さんと一緒に登壇いただいたのですが、単に希少な資源を使い切らず保持するだけではなくて、人間が生環境をつくりつづけてきたなかでいかに再生させる=regenerateさせるかという視点も重要です。再生を繰り返しながら発展するような視点をコモンズの枠組みのなかで活かしていく必要があるのかな、と」

 そう松島が語ると、松田氏も「入会も基本的には再生産のための仕組みです」と語る。燃料のように欠かせないものや茅場のように生活のメンテナンスのためのもの、温泉のように新たな価値を生み出し別の経済の可能性を生むもの、いくつもの資源をうまく循環させていくことで、社会全体の再生産性も高まっていくのだろう。「生態系との関係のはかりかたと、ものごとの連関の時間的・空間的想像力こそが重要なのではないでしょうか。循環のスケールはものごとによって異なっていて、ある点を超えると再生産不可能になってしまう」

 ここまでの議論を経て、江村は「長い時間軸で物事を捉えることは重要ですね。これまでNEC未来創造会議では具体的にどこの話をしているのかという議論になりやすかったのですが、今日松田さんから伺った話は非常に具体的でたくさんのヒントをいただけたように思います」と語る。NEC未来創造会議がこれからコモンズの概念を拡張していこうとしているからこそ、コモンズの原点へ立ち返ることは必要不可欠だったといえる。

 「コモンズのように口当たりのいい言葉は広がりやすいので、ともすると中身がよくわからないまま使われてしまうことがあります。議論を空回りさせないためにも、歴史を振り返りながら考えていくことが大事だと思います。みなさんがアプローチされていく新しいコモンズを考えるうえでも、まずは取り扱うもののスケールと、その入れ子的あるいは連結的な相互関係を考えるといいのかもしれません。現代に存続している歴史的コモンズはすべて具体的で個別の実空間、つまり土地に即したものですが、グローバル・コモンズやデジタル・コモンズの運営は人類がまだその持続的成功を体験していない領域でもある。大規模で新しいかたちのコモンズの問題に取り組むには、コモンズの基礎論が改めて要(かなめ)になるのでしょう。なかでも、冒頭に述べたように、対象がオープン・アクセスなのか、リミテッド・アクセスなコモンズなのかという問題と、双方のガバナンスが最重要点として浮上しているのではないでしょうか。だからこそ、対象の論じ方と段階の分節的なスケール設定とその相互関係の検討が重要になるように思います」

 そう言って、松田氏は議論を締めくくった。ニュー・コモンズを巡る議論は、まだ始まったばかりだ。長期的な視点から未来を考えることはしばしば抽象的で大きな議論になりがちだが、コモンズの議論はつねに具体的な視点から始めなければいけない。これまでのコモンズを振り返ることではじめて、ニュー・コモンズの議論はスタート地点に立ったと言えるのかもしれない。