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新しい「コモンズ」をつくることは、自らの意志で未来を選ぶこと
~NEC未来創造会議講演レポート

 2017年に始動したNEC未来創造会議は、人も社会も地球も持続的に成長できる社会をめざし、「コモンズ」の概念をアップデートしようとしている。今年「NEC Visionary Week2021」では、コモンズの未来とテクノロジーの活用をめぐり、3人の有識者を招いたセッションを実施。建築や経済、テクノロジーといくつもの領域を往還しながら行われた議論からは、データという「21世紀の石油」から立ち上がる新たなコモンズの形が見えてきた。

新たなコモンズはどこにあるのか?

 これからの社会を考えるうえで、データの活用は必要不可欠だといわれる。ビッグデータを活用したサービスはたしかに増えており、世界中で進むスマートシティの取り組みもデータ活用と不可分にある。しかし、本当にその実践は人々を幸せにしているのだろうか?

 「ビッグデータを活用すればみんなの生活が便利になると考える人は多いですが、他方でいま少数の企業が人々のあらゆるデータを独占しようとしているのも事実です。かつて資本主義が土地や森林のような共有材=コモンズを囲い込むことで発展したように、データという新しいコモンズを企業に差し出すことでしかサービスを得られなくなってしまう社会ができつつあります」

 「脱資本主義」や「脱成長」の重要性を説く経済思想家、斎藤幸平氏はそう語る。かつて資本主義経済は多くの人々を豊かにし快適な生活をもたらしたかもしれないが、いまや年々経済格差は広まっており、人間の経済活動によって地球環境の破壊も進んでいる。資本主義が限界を迎えていると言われているいまこそ、かつてわたしたちの社会にあったコモンズがもっていた価値を思い出す必要があるだろう。

経済思想家の斎藤幸平氏は、昨年のNEC未来創造会議にも参加している

 「意志共鳴型社会」という未来のビジョンを掲げ、人も社会も地球も持続的に成長できる社会をめざしてきたNEC未来創造会議も、昨年からは「New Commons」という概念を新たに提示している。この日行われたNEC未来創造会議特別セッションには、前述の斎藤氏とキーノートスピーチを担当した建築家の豊田啓介氏、スペキュラティブ・デザインに造詣の深いアーティストのスプツニ子!氏とNECフェロー・江村克己が参加。前年度までと同様、『WIRED』日本版編集長の松島倫明氏がモデレーションを務め、前年度までの議論を引き継ぎながら、「New Commons」をつくるために重要な「データ」のあり方をめぐって議論はスタートした。

 「最近、データには負の側面もあると感じるようになりました。わたしが発信している情報は10年後や20年後に批判の対象となるかもしれないし、自分のプライバシーを開放しつづけると将来的に自分の首が絞められてしまう恐れもある。データ活用についてはもっと慎重に議論していくべきでしょう」

 斎藤氏の指摘を受けて、スプツニ子!氏もデータ活用の危険性を説く。たしかに企業に自分の情報を渡すことで的確なレコメンデーションや行動の推測を行なってもらえるかもしれないが、それは同時に自分の存在を企業に明け渡してしまうことでもある。松島氏が「市民がデータを提供しあうことで感染症の追跡が可能になったように、社会へどんなメリットを生み出せるか議論しないといけません」と語るように、データが一種の共有財となるのであれば、それをどう社会の中で活かしていくか考えなければ新たなコモンズも生まれないはずだ。

スプツニ子!氏も、過去数回にわたってNEC未来創造会議で提言を行なってきた

データが変わり、人間が変わる

 他方で、「コモングラウンド」という概念を提唱し誰もが3Dデータを活用できる基盤をつくる重要性を説く豊田氏は、データのあり方そのものが変わりつつあるのではと語る。

 「情報はもはやモノのようにコントロールできるものではなく、もっと動的で自律的なものになりつつあります。『コモンズ』というと土地のように固定されたものをイメージしがちですが、つねに変化する動的なデータは巨大な企業でさえ囲い込めなくなっていくんじゃないでしょうか」

 豊田氏が指摘するとおり、たしかに氏名や住所といった個人の属性はモノのように静的なものかもしれないが、感情や趣味嗜好、さらには複数の時空間が組み合わさったデータは、簡単に“所有”できるものではなくなるだろう。「ぼくらの身体的な感覚や社会の感覚がデータの変化に追いついていないのだと思います。より実態に即した感覚が定着するまで、まだ時間がかかるのかもしれません」と豊田氏は続ける。データがより多次元的なものになり「モノ」のアナロジーでは捉えられなくなっていくとすれば、人間の感覚も多次元的な情報の処理に慣れていかねばならないのだろう。

特別セッションはNECオフィス内で収録された

 既存の考え方でデータを捉えつづけていてもその性質が理解できなくなってしまうように、一口に「コモンズ」といっても、昔の牧草地のあり方をそのまま適用しても機能しない。斎藤氏も「コモンは単に共有することだけではなく、規範があることが重要なんです。いまデータの活用についてはルールが存在せず、企業が自らの利益のために使い尽くすようなものになってしまっている」と指摘する。そんな社会では、もはやわたしたちは企業に搾取される「草」になりさがってしまうだろう。

 さらに斎藤氏は「データをコモンズとして使うためには、企業ではなくわたしたち市民がルールをつくる主体にならなければいけない」と語り、企業や技術ではなく人間が中心となる重要性を説く。スプツニ子!氏も斎藤氏の発言を聞いてうなずき、現在活用されている技術の多くも実は人間が疎外されてしまっている危険性を指摘する。

 「たとえばAIのアルゴリズムには企業の思想が反映されてしまい、技術を扱う集団の偏りによって白人中心的・男性中心的になることもあります。現に多くの企業が自身のアルゴリズム開発を見直し始めており、データ処理がフェアな行ないではないことが明らかになっています」

 こうした指摘を受け、江村は「企業は短期的な利益を追求するのではなく、長期的なパーパスを設定し世の中にどう貢献できるか考えなければいけません」と言って、企業のあり方も変わっていく必要性を強調する。「データを活用するといっても最適な選択肢を提示して個人の選択を固定するのではなく、個人がより豊かな可能性を享受できる環境をつくっていかなければいけませんね」

『WIRED』日本版 編集長・松島倫明氏は数年にわたりNEC未来創造会議のモデレーターを務めてきた

日本的な合意形成のプラットフォーム

 データのあり方が変わりつつあることを前提にしながら、これからわたしたちはどのようにコモンズを位置づけていけばよいのか。斎藤氏は、そのヒントとしてヨーロッパのスマートシティを紹介する。

 「バルセロナやアムステルダムのスマートシティでは、環境問題や貧困問題など、市民から上がってきた課題を解決するためにテクノロジーが使われています。デジタルありきのシステムに市民が合わせるのではなく、市民中心型のスマートシティがつくられているんです」

 豊田氏は斎藤氏の指摘を受け、国や地域ごとにスマートシティの枠組みづくりが異なっているのだと語る。

 「アメリカや中国ではIT企業が、ヨーロッパでは自治体が主体となってアプローチを進めていますよね。後者の場合は個別の自治体ではなくEU全体でプラットフォームを開発することで技術力を補っているわけです」

 他方で、日本の場合は主体がまだ不明瞭なため、今後官民を超えて枠組みをつくっていく必要があるだろう。それはアメリカや中国、ヨーロッパとも異なる日本独自の枠組みをつくるチャンスでもあるはずだ。とりわけ豊田氏がキーノートスピーチで紹介したように、ロボットやモビリティといった人間以外の存在と共生する社会を考えると、ルールづくりも合意形成の形も変わっていく。人間だけの社会においても分断が叫ばれる状況にあって、わたしたちはどうコモンズをつくっていけるのか。

それぞれの専門と視点から、コモンズをめぐる議論は白熱した

 「近年分断という言葉がよく使われるようになりましたが、新たに分断が生じたわけではなくこれまで無視されてきた声が聞こえるようになっただけだと思うんです。分断というと衝突しているように見えるかもしれませんが、新しいルールや社会のあり方を考えるうえでは、必要なフェーズなのだと感じます」

 そうスプツニ子!氏が指摘するように、現代は過渡期にあるのだろう。斎藤氏は技術開発によって複雑な状況を解決しようとするのではなく、時間をかけて問題に向き合うべきなのだと語る。そもそも“効率的”なものではない民主主義社会において、技術開発を加速させることで問題を解決しようとすればマイノリティの声が周縁化されてしまう恐れもあるからだ。斎藤氏は「Decidim」(市民参加型合意形成プラットフォーム)を例に挙げ、技術と民主主義をうまく接合させていく必要があるのだと続けた。

 こうした合意形成の問題に、企業はどう向き合っていくのか。江村は次のように語る。

 「わたしたちが提唱している意志共鳴型社会というビジョンを実現するためには、さまざまな規模のコミュニティのなかで合意形成を行なっていく必要があります。新たな技術によってコミュニケーションの手段も変わっていくなかで、スマートシティのような都市も物理的なサイズに囚われなくなっていく可能性もある。まずはコミュニティのつくり方を考えていくべきなのかもしれません」

建築家・豊田啓介氏は、特別セッションに先立ちキーノートスピーチも行なった

自らの意志で未来を選び取るために

 コミュニティのあり方もコミュニケーションの方法も今後はさらに変わっていくのだろう。豊田氏は、企業と市民の関係も変化していくはずだと語る。GAFAのような巨大テック企業は最先端の存在に思えるが、じつは20世紀的なマスメディアやマスコミュニケーションの最終段階にあるのだという。

 「いまはメガプレイヤーが一方的に仕組みやルールをつくっていますが、今後はあらゆるものが双方向的になっていくでしょう。これまでは不可能だった全体最適と個別最適の両立も実現するはず。消費行動と投票行動が融合していくように、市民の行動も単なる消費ではなく社会を変えていくものになっていくのだと感じます」

 豊田氏の指摘を受けて、斎藤氏はこれからの社会を担うZ世代に変革の萌芽を見出す。彼/彼女らは幼いころからデジタル社会の中で生きてきたが、必ずしもそこに適応してしまうのではなく、自分なりの価値観や倫理観を打ち立てようとしているからだ。

 「グレタ・トゥーンベリが象徴的ですが、彼女はInstagramのようなSNSを使って発信を行う一方で、ライフスタイルにおいてはデジタル社会と明確な線引を行なっている。あくまでもツールとしてテクノロジーを使いながら、持続可能な社会のあり方を模索しているように思えます」

NECフェロー・江村はこれまでの有識者の意見を集約しながらNEC未来創造会議を牽引する

 スペキュラティブ・デザインの手法を通じオルタナティブな未来の仮説を立ててきたスプツニ子!氏も「これからは自分のライフスタイルに合わせてテクノロジーを取捨選択し、どんな企業や行政を信頼してデータを提供するのか考えていくようになると思います」と応答する。

 技術の進歩や社会の変化によってさまざまな未来の可能性がありうるなかで、NEC未来創造会議が「意志共鳴型社会」というビジョンに至ったように、未来とは自らの意志で選び取り、自らつくりあげていくものになるのだろう。ここまでの議論を受け、最後に江村は次のように語った。

 「もはや企業がただ便利なサービスをつくればいい時代は終わりました。解決すべき課題について市民の声をすくい上げなければいけないし、企業がつくるシステムの中には積極的に市民を巻き込んでいかなければいけない。これまでの“ビジネス”の視点に囚われずに、エコシステムそのもののあり方を広げていかなければいけないのだなと感じました」

 これからのコモンズのあり方を巡って始まった議論は、デジタルテクノロジーのあり方や都市空間の枠組み、企業と市民の関係などわたしたちの生活を取り巻くあらゆる要素がいま大きく変わろうとしていることを浮き彫りにした。こうした変革のなかで、これまでとは異なる社会のあり方を構想していくこと――その不断の試みのなかからしか、新たなコモンズは生まれえないのだろう。