金融の未来を形作る
― Singapore Fintech Festival 2023
Text:山口 博司
今年で8回目の開催となるSingapore Fintech Festival(以下、SFF)は、昨年を上回る来場者数(6万6千人超)で過去最高記録を更新。金融サービスのイノベーションにおいて、シンガポール金融管理局(以下、MAS)は長期的な視点とビジョンを持ち、国際金融ハブとして世界的リーダーの役割を果たしていることをアピールしました。本稿では、昨年同様にSFFにおける注目トピックスや、出展企業として参加したNECの取り組みを紹介します。 (参考:昨年のイベントレポートはこちら)
山口 博司 氏
NEC Asia Pacific Pte. Ltd.
Senior Sales Manager
システムエンジニアとして金融機関向け業務アプリケーション開発・システム企画を経て、2016年から2021年までシリコンバレーにて米国発の新技術・サービスの調査、活用の企画・推進に従事。2021年4月からAPAC地域の金融機関向けSalesを担当。マサチューセッツ州立大学MBA修了。 ΒΓΣ(Beta Gamma Sigma)会員。
Singapore Fintech Festival 2023
今年のSFFは「The Applications of AI in Financial Services( 金融サービスにおける AIの応用)」をテーマに、世界150の国と地域から金融機関や政策担当者などが参加しました。昨年に引き続き、今年もCBDC/デジタル資産、ESG/サステナビリティに関して、様々な取り組み紹介や有識者らによるディスカッションが実施され、同領域への世界的な注目・関心は高いといえるでしょう。
注目トピックス
1.Central Bank Digital Currency(CBDC):中央銀行デジタル通貨
CBDCはSFF2023における議論の中心の1つでした。CBDCをテーマとしたいくつか講演では、CBDC に期待される相互運用性の重要な役割や、金融包摂の原動力としてのCBDCの役割などが議論されました。International Monetary Fund (IMF)のKristalina Georgieva専務理事は基調講演の中で、CBDCのメリットはテクノロジーがどのように進化するかによって決まると説明。実現にはしばらく時間がかかるが、と前置きをしながらも、世界はCBDCの探索と開発を加速する必要があると強調しました。講演の中でGeorgieva専務理事は、世界中の政策立案者向けにCBDCに関する知識を収集し共有することを目的としたIMFのCBDCハンドブックをIMFのウェブサイト上に公開1したことも発表しました。
また、MASはシンガポールでの将来のデジタル通貨取引に必要な技術インフラストラクチャの概要を示すOrchid Blueprintを公開2しました。これは、Project Orchid のトライアル中に得られた知見に基づいて作成されたもので、デジタルマネーの健全な使用のためのインフラストラクチャの構成要素を特定しています。
構成要素 | 内容 |
---|---|
決済台帳 | デジタルマネーの送金を記録するための台帳で、ネイティブなプログラマビリティやデジタルトークンの即時決済などの機能をサポートする。 |
トークン化ブリッジ | 既存の口座ベースの決済システムを、トークン化された形式のデジタルマネーと互換性のある台帳に接続する。 |
プログラマビリティ・プロトコル | デジタルマネーの使用条件を指定するための共通プロトコルとして、 Purpose Bound Money (PBM) を使用する。 |
ネームサービス | 使いにくいウォレットアドレスと、検証のために読み取り可能で意味のある代替の名前識別子を変換する。 |
表:デジタル マネーの健全な使用のためのインフラストラクチャの構成要素
MASは2024年、リテールや企業ユーザーを巻き込んだ金融業界によるデジタルマネーのトライアルを補完するため、ホールセールの銀行間決済のための CBDC の開発を開始する予定です。
2.Generative AI(生成AI)
2023年は生成AIに関する数多くの取り組みが世間を賑わせました。業務効率化やハイパーパーソナライゼーションなど、様々なユースケースが期待・議論される中で、潜在的なリスクとして、本来の意図から大きく逸脱した出力を作成するハルシネーション3への懸念もあり、指針となるルールの整備が求められていました。そのような中、5月のG7広島サミットでは生成AIの国際的なルール作りとして「広島AIプロセス」が採択され続報が注目されておりましたが、今月12月1日、生成AIで初となる国際指針を含む「広島AIプロセス G7デジタル・技術閣僚声明」が主要7カ国(G7)デジタル・技術大臣会合にて採択され、生成AIの発展に向け世界は前進している事が分かります。
SFF 2023においても例外ではなく、生成AIをテーマとした多くのパネル・講演がありました。シンガポールはAIの安全性研究と国際協力に共同で取り組むブレッチリー宣言に署名した28カ国の一つですが、シンガポール大統領Tharman Shanmugaratnam氏は講演の中で、「AIをどのように規制できるかを考えるにはまだ時期尚早。まず起こり得る最悪の事態に注意を払い、生と死に関わる最悪の事態を避けるように努めなければならない」と警鐘を鳴らしました。またAIの登場により、チームワークや集団的想像力を必要とするEQ (emotional quotient) が重視されるようになる可能性についても強調されました。
3.ESG (Environment, Social, and Governance)
MASのRavi Menon長官は前年からのシンガポールのFintechの進歩と今後の課題と機会、そして、持続可能な慣行に合わせて調整された金融エコシステムを開発することの重要性について講演し、その中で同氏は持続可能な金融を推進するためのデータエコシステムの確立を目指し、MASと金融業界が一体となった共同の取り組みであるProject Greenprint4の次の段階を発表しました。具体的には、手動によるデータ収集によってもたらされるハードルや検証の複雑さ、ESG レポートの断片性などを認識し、Project Greenprint は革新的なプラットフォームGprnt(「グリーンプリント」と発音)を立ち上げました。この新しいプラットフォームの主な目的は、Project Greenprintの下で進行中のパイロットプロジェクトを統合して相乗効果をもたらし、シンガポールの国家レベルのサステナビリティ・レポートとデータ要件を促進する高度な機能を提供することです。Gprntの特徴的な機能の1つは、中小企業の特定のニーズに焦点を当てて設計され、複雑な報告手順を簡素化することです。GprntはHSBC、KPMG、MUFG、Microsoft などの著名なパートナーからの支援を受けて新たに設立されたGreenprint Technologiesが主導します。
- 1 https://www.imf.org/en/Topics/fintech/central-bank-digital-currency/virtual-handbook
- 2 https://www.mas.gov.sg/publications/monographs-or-information-paper/2023/orchid-blueprint
- 3 ハルシネーション:生成AIが誤った情報を、もっともらしい形式で出力してしまう現象
- 4 環境、社会、ガバナンス (ESG)に関するデータの収集、アクセス、利用の効率化を目指す取り組み
NECの取り組み
2016年の第一回SFFから出展を行っているNECは今年も出展企業として参加し、本イベントに先立ち、Mastercardと生体認証決済提供に向けた戦略的パートナーシップ締結を発表しました。会場では、生体認証決済が体験可能なデモを紹介し、シームレスで安全かつ先進的な決済体験を来場者に提供しました。
顔認証による決済をブースで体験頂いた方へのアンケートでは、89.8%の方が「(物理的な)カードによる決済よりも顔認証による決済の方が安全」と感じ、また96.6%の方が「顔認証による決済は便利である」と評価しました。今後NECはMastercardとの提携を通じて、アジア太平洋地域を皮切りに、将来的には世界規模でNECの顔認証技術を使った決済を店舗に提供することを目指します。
今年のカンファレンスのテーマである「AI」は、デジタル化のあらゆる側面に大きな影響を与えることには疑いの余地はありません。ただし、今回のSFFでも多くの有識者が議論をしていた通り、具体的なユースケースやその影響がどのようなものになるのか、またそれらがどのように規制されるのか、中長期的な議論・取り組みについては注視が必要です。Shanmugaratnam大統領が講演の中で、AIの登場によって(より高い賃金を必要とする)より良い仕事と考えられているものは今後数年で大きく変化する可能性がある、と述べられていたように、より価値あるものと評価される能力がIQ からEQに移行する時代がやってくるかもしれません。
金融サービス、Fintech業界は利益だけを目的とするものではありません。MASのRavi長官は、現実世界の問題を解決し、人々の生活を改善し、より包括的な社会を促進し、未来のために持続可能な地球を確保することがFintechの大きな目的であると述べていました。毎年世界中から多くの参加者を集めるSingapore Fintech Festivalは、こうした革新的な取り組みを議論し、協働する場であり続けるでしょう。
グローバル金融動向