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2016年12月21日

AIによる社会価値創造

アナログ回路の活用により本物の脳を再現する「ブレインモルフィックAI」とは

 従来のデジタル技術とはコンセプトのまったく異なる、アナログ回路を使いAIを本物の脳に近づけていく先進的な試みが、日本を代表する数理工学者である合原一幸氏のもとで進められています。この対談では、合原氏とNEC 中央研究所 システムプラットフォーム研究所の中村祐一が、AIが脳を再現するために必要な要素について議論しました。

合原 一幸 工学博士
東京大学生産技術研究所 教授

脳、カオス、複雑系、ガンなどに関連した数理的基礎問題を研究。「複雑現象の数理解析」「脳情報システム理論」「疾病の数理モデルと治療への応用」などを研究テーマとしている。東京大学大学院情報理工学系研究科教授、同工学系研究科教授も兼任。2016年4月より東京大学とNECが開設した「社会課題解決のためのブレインモルフィックAI社会連携研究部門」の代表を務める。
中村 祐一 博士(工学)
NEC 中央研究所 システムプラットフォーム研究所 所長

システムLSI、超高速光通信向け信号処理、メニーコアシステムなどの研究に従事。現在は、コンピューティング技術とネットワーキング技術を融合させた基盤技術を開発するシステムプラットフォーム研究所の所長を務める。

数理工学をベースに脳や神経を分析

中村氏:
 合原先生は、世の中のさまざまな現象を数理モデルで表現することで、諸問題の解決を目指す数理工学の第一人者ですが、脳についてはどのような研究してこられたのですか。

合原氏:
 脳の研究に関する僕の師匠は、脳科学者の松本元先生と、数理工学者の甘利俊一先生です。松本先生にはヤリイカの巨大神経の実験を共にしながら、神経の複雑さやダイナミズムを教えていただきました。甘利先生は僕が甘利研究室の助教授をしていたこともあり、身近で研究を見ながら理論研究のおもしろさと切れ味を学びました。その意味では、実験と理論の両面から脳と神経の勉強をしてきたことが、自分の研究のベースになっています。

中村氏:
 脳や神経は数理工学がベースということですか。

合原氏:
 僕は特に生物のダイナミクスに興味があります。ダイナミクスを記述する際の数学的な方法としては力学系理論が最も強力ですので、僕の研究のベースは力学系理論を用いた数理モデリングです。

中村氏:
 脳の神経モデルには複数のパターンがあると思いますが、それらをすべて数理的手法でカバーするのは難しいのではないでしょうか。

合原氏:
 人間の脳は約1,000億もの膨大な数の神経細胞からできていて、かつそれぞれの神経細胞には個性があります。したがって全部の特性を作るというのは無理な話で、それゆえ数理工学が重要になってくるわけです。

 特に高次な大脳皮質の神経細胞の研究は最近大きく進展していて、大脳皮質の神経細胞にはクラス1とクラス2の2種類があることが分かっています。ニューロンは、刺激を徐々に強くしていくと電気パルスを出しますが、これを「神経が発火する」と言います。発火の周波数が変わる特性には2種類あることが分かっており、1つは周波数がほぼゼロから連続的に上がっていくパターンで、これをクラス1と呼びます。2つ目は一定のしきい値で突然ある非ゼロ周波数の発火が始まるパターンで、これがクラス2です。これらを数学的に見てみると、クラス1はサドルノード分岐、クラス2はホップ分岐という分岐理論で明確に分類することができます。この点は重要で、ニューロンのハードウェアモデルを作る際、こうした分岐が起こるように設計すれば、クラス1とクラス2のニューロンを再現できるというわけです。そこで我々は、この2種類の分岐が起こるニューロンモデルを、電子回路のデバイス特性を使って作ろうとしています。

中村氏:
 脳のモデルが複数あったとしても、ひな型のニューロンモデルを作っておけば、思考や記憶などを司る大脳皮質も再現できるということを意味しているのでしょうか。

合原氏:
 そうです。同じモデルのパラメータを変えるだけで、両方のクラスを作れます。

中村氏:
 こうした脳の数理モデルを使った応用例があれば、ぜひ教えてください。

合原氏:
 1つの重要な機能は「アテンション(注意)」です。生き物が見ているもののどこに注目するかは、脳の高次な機能です。そこで我々は、生き物が何かに注意を向ける際、脳がどのようなメカニズムで働くのかを研究しました。すると、実際の脳が注意を向けるときと近い数理モデルができたんです。これを応用すれば、例えばロボットがいろいろなものに注意を向けることが可能になります。

 最近の研究で好評だったのはコウモリのアテンションですね。コウモリは超音波を出して、その反射の信号をもとにエサの位置を把握しています。そこで、コウモリが夜の暗いなかでエサとなる昆虫を取る際の飛行ルートと超音波を出す方向について調べ、実験と数理モデル、それぞれの研究を合わせて分析しました。その結果、コウモリは飛びながら直前のエサだけでなく、その次のターゲットにまで注意を向けていることが分かったのです。つまり、直近のエサとその次に取るべきエサを同時に把握しつつ、2つをつなぐ最適なルートを探していたんですね。この結果は、例えば車の自動運転を考えるうえで、目の前の車だけでなく、その先にいる車にまで注意を払うといった形で応用できます。このように、生き物から学べることは山ほどあるのです。

NECとの共同研究でお互いに学ぶ

中村氏:
 こうした研究をされている合原先生に、NECがハードウェアを使ったAIの共同研究を申し入れたわけですが、最初に話を聞いたときはどのようにお感じになったのでしょうか。

合原氏:
 正直、いいテーマだと思いました。というのも、AIの研究は日本でも最近活発に行われていますが、欧米と比べて大きく遅れているのがハードウェアの分野だからです。僕自身、この点に強い危機感を抱いていたので、NECから声を掛けていただいたときには、「これはチャレンジすべきだ」と思いました。

中村氏:
 今から研究を始める私たちが、先行している欧米に対抗できるのでしょうか。

合原氏:
 大丈夫だと思います。というのも、もともとこの分野の研究のオリジンは日本にあるからです。電子回路のニューロンモデルを最初に作ったのは、甘利先生の上の世代に当たる南雲仁一先生で、1962年だったと思いますが、当時の最先端技術だったトンネルダイオードの負性抵抗を使い、ニューロンの非線形特性を実装した電子回路を作りました。これは歴史的に重要なものなので、本来は博物館に置いてもらいたいものですが、今は僕の研究室に保管してあります。このように、最近でこそハードウェアの研究をしている人は日本では少ないものの、源流は日本にあるわけですから、高いポテンシャルは持っていると言えます。

 付け加えるなら、ハードウェアの研究とはいえ、まずはニューロンモデルから作る必要がありますので、そこのオリジナリティが問われます。我々はニューロンの数学的な解析を行いながら、その特性を理論的に明確化する研究も同時に進めているので、数学的な研究とハードウェアの研究を組み合わせることにより、世界でもトップレベルの研究が実現できると思っています。

中村氏:
 研究を行ううえで、合原先生がNECの研究者に期待することはどのようなところでしょうか。

合原氏:
 我々はニューロンの数理モデルには自信はあるものの、それを実装する際に必要となる、電子回路に関するさまざまなノウハウは持ち合わせていません。そこで、共同研究により電子回路に関する技術は我々がNECから学び、理論的なことは我々がNECにお伝えするといった形で進めていければと思います。

中村氏:
 NECとしても回路の特性や効率に関する知見は蓄積していますので、脳型コンピュータの実装時には私たちのノウハウを有効活用しながら世の中の役に立つものが作れたらいいなと思っています。

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