2017年01月10日
Technology to the Future
アーティストのインスピレーションがつくる「音のVR」
耳は360度のリアルを知覚するセンサー
evala:
現在のVRの文脈におけるサウンドは、映像による視覚情報を補完・増幅する役割しか果たしていません。いわゆるHMDの臨場感を演出するサラウンド効果がそうです。しかし本当の意味で、音による新たなVRを目指すのであれば、今はまだ存在しない新しい感覚をつくっていくことが本来だと思います。そのためには新しい音楽表現が必要です。そうした中で、「耳でしか視ることができないもの」を徹底的に追求した新たな音楽のかたちが、「hearing things #Metronome」 なのです。
人間の耳というのは、驚くべき精度で音を知覚している。そのひとつが音源がどこにあるかを知る「音源定位」だ。人間は、左右ふたつの耳をつかって、ひとつの音響的世界を知覚しているが、この両耳間の情報差によって、音源の位置を360°から決定している。
驚くべきはその精度だ。たとえば音源が頭から見て右3度の場所にあるときですら、人は正確にその音源の位置が分かる。この時、音は僅かながら、左耳より右耳に早く到達する。その時間差は約30マイクロ秒(マイクロ秒は100万分の1秒)。人間の耳はこの僅かな時間差を検出することができるのだ。
evala:
HMDがVR空間における360度の視野を簡単に生み出せるようになったとき、そのサウンドもバイノーラル技術などを使って「360度で立体感のある音」、いわゆる立体音響を求められるようになりました。しかし、耳は何もつけなくても、もともと360度の“聴野”を持っている。僕がもしVRサウンドをつくるとすれば、HMDの臨場感を演出するだけのサラウンド効果ではなく、体験者の見ている視野に合わせて音も変わる、「超指向性耳」をつくってみたいですね。
再生したかったのは、ステレオでは聞こえない音
evalaは現在流通している音楽が、2チャンネルのステレオ再生をベースにつくられていることが、音楽の可能性を大きく狭めているとする。 hearing things #Metronome は、そうしたステレオサウンドばかりの現代音楽へのアンチテーゼでもある。
evala:
たとえば hearing things #Metronome を、高機能のマイクで録音し、ヘッドホンで聞いてみると、雑音としか感じられないほどに残念な音楽体験しか得られない。マルチチャンネルの360度の再生環境だから可能になる音楽表現は存在する。音楽と表現方法は共進化するものであり、僕はそのひとつを提示したつもりです。
数年前、沖縄で琉球王国の信仰における聖地「御嶽(うたき)」を訪れました。その御嶽は、森の中に珊瑚の死骸が集まった場所にありました。珊瑚は小さな穴がたくさん空いた構造をしていて、まさに自然の吸音材です。その周囲を森の木々が取り囲むことで、自然の無響空間になる。そこで様々な神事が行われることで、人々は目では見えないものを耳で視ていたのかもしれません。
僕が思う「音楽の本体」とは、楽譜に記述されない音と音の間にある。そこにこぼれ落ちたものを集めて、結晶化させていく「新たな音楽」を求めていった結果、「hearing things #Meteonome」のような作品が生まれました。これは、僕の音楽家としての新たな挑戦の始まりとも言えます。
サウンドアーティストevalaが生み出した音のVRは、これからの音楽の表現、また楽しみ方に、インスピレーションを与えてくれるものだった。
参考文献/
『情報処理心理学入門Ⅰ』P.H.リンゼイ/D.A.ノーマン
1982年京都生まれ。
2009年よりフリーランスのライターとして活動。主にサイエンス、アート、ビジネスに関連したもの、その交差点にある世界を捉え表現することに興味があり、インタビュー、ライティングを通して書籍、Web等で創作に携わる。
雑誌『WIRED』にてインタビュー記事を執筆する他、東京大学大学院理学系研究科・理学部で発行している冊子『リガクル』などで多数の研究者取材を行っている。