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2016年04月28日

深層中国 ~巨大市場の底流を読む

「投資」の中国、「仕事」の日本 ~中国の配車アプリに見る「中国経営」を考える

配車アプリへの凄まじい投資

 iPhoneが日本で発売されたのは2008年の夏。スマートフォンの本格普及はそこからである。中国での普及はそれよりやや遅く、2010年以降のことだ。配車アプリが本格的に広がり始めたのは2013年。わずか3年しか経っていない。

 配車アプリの普及前、タクシーは路上で手を挙げて停めるか、タクシー会社に電話して車を寄越してもらうものだった。日本では今でもこの状況に近いかもしれない。そこにスマートフォンが普及し、運転手と利用者の双方が地図とGPSを常に持ち歩くようになったので、中国ではその両者を組み合わせて初期の配車アプリがスタートした。

 それでもかなり便利になったのだが、爆発的な普及を呼んだのは、配車アプリに代金決済システムが組み込まれるようになってからだ。タクシーは小銭のやりとりが面倒だし、多額の売上金を持つと盗難の心配もある。そして何よりも利用客と運転手の双方が決済システムを持っていれば、需要と供給に合わせた柔軟な料金体系が実現できる。繁忙時に運転手に割増金を支給することも、逆に閑散時に利用客の代金を割り引くこともできるし、車がつかまらない時に、利用客が自らチップの支払いを提示して車を引き寄せることもできる。硬直した運賃体系にとらわれなくて済むようになるのである。

 この点に注目したのが、独自の代金決済システムを持っていたIT企業である。ひとつは皆さんご存じ、ジャック・マー(馬雲)率いるアリババグループであり、もうひとつは中国の代表的SNSで、いまや携帯電話やメールをしのいで中国人の中心的な通信手段となった感があるWeChat(ウィチャット、微信)を擁するテンセントである。特にテンセントは当時、代金決済システムでアリババグループの「Alipay(アリペイ)」に大きく遅れをとっており、アリババに追いつき追い抜くためにも、何とか自前の代金決済システムを育てたいとの強い思いがあった。

 そこでテンセントが狙いをつけたのが、有力なタクシー配車アプリ「滴滴打車」(「滴滴(ディディ)」は愛称、「打車」は「タクシーを拾う」という意味の中国語)である。中国のタクシーは日本の都市部のように「ぜいたく品」ではなく市民の足であり、年間数十億人が利用する。その配車アプリで自社の決済サービスを広めれば、認知度を飛躍的に上げることができる。そこでテンセントは「滴滴」に30億元(当時のレートで約500億円、以下、当時のレートで日本円換算した表記を使用する)を出資して経営権を把握。タクシー配車アプリに同社の決済サービス「WeChat Pay(ウィチャットペイ、微信支付)」を導入した新しいシステムを立ち上げた。

 テンセントがすごいのはここからだ。「滴滴」はこの500億円の資金を惜しげもなく使い、タクシーの運転手にはボーナスを出し、利用者には運賃を大幅に割り引く大盤振る舞いを始めた。最も多かった時期には、運転手は客を乗せるだけで初乗り運賃を上回るボーナスを手にして、利用客はほとんど無料でタクシーに乗れるという状況まで出現した。

 当然、タクシーの運転手は競って「滴滴」の配車アプリに加入しようとする。利用者も同じで、このアプリを使わない手はない。他の競合する配車アプリも応戦して割引合戦が始まった。かくしてわずか数カ月で「滴滴」の登録者数は2億人以上も増えたと言われている。

500億円の投資で4兆円を得る

 しかし、このタクシー配車アプリのビジネスは、もともと収益源は配車手数料しかなく、極めて薄利な商売である。しかも投資した巨額のカネのほとんどを運転手と利用客にバラ撒いてしまうのだから、いつになったら儲かるのか見当もつかない。

 ではなぜそんなことをやるのかといえば、それが「投資」である。具体的に言ってしまえば、狙いは株価の上昇にある。株価とは企業の将来に対する期待の大きさを反映するから、経営者はこの企業が大化けするかもしれないという期待を投資家に持たせようとする。テンセントの「滴滴」に対する500億円の投資はまさにそれである。

 実際、決済システム「WeChat Pay」の利用者が前述のように一気に2億人も増えたことで、香港市場に上場しているテンセントの株価は急騰した。2013年4月、「滴滴」に出資した時点で250香港ドル程度だった同社の株価は「WeChat Pay」導入の2014年1月には500ドル台まで上昇した(その後、株式を5分割したので現在の株価は100香港ドル台)。わずか8ヵ月ほどの間に同社の時価総額は4兆円以上増えたとみられている。

 もちろんその全てが「滴滴」への投資によってもたらされたとは言えないが、「滴滴」への投資が株式市場でのテンセントの評価を一気に押し上げたことは事実である。やや極端に言えば、テンセントは500億円の投資で4兆円以上の資産を得た。そう考えれば配車アプリでの大盤振る舞いなど安いものである。

 これが中国人、中国企業のビジネスの真骨頂である。テンセントの狙いは配車アプリというサービスで稼ぐことではなく、配車アプリに投資することで決済サービスの利用者を増やし、株価を上げることにあった。タクシーを配車するという「仕事」で稼ぐのではなく、そこに投資することで自社の価値を上げる。そういう考え方である。

 同様のパターンは他の配車アプリでも存在する。同業界で「滴滴」、Uber中国に次ぐ3番手の「神州専車」は今年4月、日本の店頭公開市場に相当する株式市場「新三板」への株式公開を申請した。しかし同社の業績は2014年、2015年と連続して赤字。15年度1年間の営業収入は300億円弱なのに、前述した「滴滴」と同様、運転手に対する補助や利用客への値引き、自社保有車両の購入などに900億円を超える投資を行い、600億円以上の赤字を計上している。タクシー配車のビジネスの利益が薄いことは同社も同じで、利益が出るメドが立たない。

 しかし、そこには同社なりの戦略がある。「神州専車」は配車アプリでは後発だが、もともとは中国最大のレンタカー会社「神州租車」が母体で、大都市や空港、駅などを中心に全国的な営業網を持ち、リアルビジネスに強みを持つ企業である。その企業がネットの配車アプリに進出し、こちらも全国で億単位の加入者を集めたことで、リアルとネットを結合した自動車関連ビジネスのプラットフォームを持つことに成功した。

 今後、この基盤を活用して全国に500店舗以上の自動車販売会社を設立し、新車・中古車の販売、自動車整備、リース、レンタカー、保険といった自動車関連ビジネスの最大手を目指す構想を明らかにしている。2017年にはネット上で新車・中古車合わせて70~80万台を販売するという壮大な目標を打ち上げた。テンセントとは時価総額で一ケタ違う規模の話ではあるが、その根底にある発想は同じで、タクシー配車という実業でコツコツと収益を上げようと考えているわけではない。あくまで「投資」なのである。

 もちろんこの神州専車にせよテンセントにせよ、その戦略が成功する保証はない。壮大な投資が水泡に帰す可能性もある。しかし投資家がリスクを取って一見無謀とも思えるほどの大胆な投資を行うことで、「便利なもの」が一気に世の中に広まっていく。社会が劇的に変わる。こうした中国社会のダイナミズムは、これらの企業行動によって支えられているのもまた事実である。

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