2016年05月27日
深層中国 ~巨大市場の底流を読む
「トレード的」中国人と「インダストリー的」日本人 ~価値の移動か積み上げか
「理念」に反応が鈍い現地社員
先日、ある日系企業の総経理(現地法人の社長に相当)の話を聞いた。日本でもかなり知名度のある企業である。中国赴任から1年半、業績はまずまずなのだが、現地の幹部やスタッフとの関係がうまく行っていない。この会社は2年ほど前に日本の本社の社長が交代し、この総経理は新社長の意を受けて、現地法人の経営改革を重要なミッションとして赴任してきた。総経理は、本社の目指す経営理念を明確に掲げ、その意義を説明し、具体的な目標を指し示したうえで人事制度も新たに作り替え、「みんなで頑張ってやっていこう」と声を上げているのだが、現地の社員が期待通りの反応をしない。
総経理は言う。「会社の経営理念を話すと、幹部の誰もが『感動しました。完全に同意します。一緒にやりましょう』というのだが、半年や1年もしないうちに平然と辞めていく。人間不信になりそうだ」。はるばるやってきた中国で、努力の末にやっと自分たちの理念に共感してくれる“同志”と出会えたと思っていたのに、しばらくすると何事もなかったかのように笑顔で辞めていく社員たちを見て、この総経理は本当に苦しそうだった。
もちろん会社の内部にはそれぞれ個別の事情があるとは思うが、この話にはやはり根本的なところですれ違いがある。この「違い」をまず頭で理解して、そのうえで自分の判断や行動を考えないと、中国で生活していくのは本当に辛いことになる。
日本人の経営者や管理者、特に大手企業の組織で生きてきた人は、会社の理念とか、社会的意義とか、「何のために生きるか」とか、さまざまな「べき」論を掲げて、それに向かって努力することが人間にとって重要なことなのだ――という強い信念のようなものを持っている。それがお客様のためになり、社会のためになって、生み出した価値の対価として会社におカネが入ってくる。中国に赴任すると、その目指すところを中国の従業員たちに熱く語る。それは、やる気を持って赴任した日本人であればあるほどそうである。
ところが多くの場合、残念ながらその話は中国の社員たちには響かない。外国から来た上司が一生懸命語っているのだから、それなりに話を合わせてはくれるが、心の底から共感しているわけではない。それは中国の従業員たちの感性が鈍いとか、やる気がないからというわけでは決してなくて、「生きていくとはこういうことだ」という「相場観」が違うのである。
自分の値段が上がったら売る
株取引の経験のある方は実感があると思うが、取引(トレード)には、自分の持つ株がいま高値圏にあるのか安値圏にあるのか、意識していることが非常に重要である。高値圏にある株は、それ以上大きく上がる可能性は少ない。だったら欲張らず、むしろいったん売って利益確定しておいたほうが安心である。
中国人は自分が会社の中でそれなりのポジションになった(自分の市場価格が上がった)ら、そこで辞めて(利益確定して)、他のもっと成長性のある会社(仕事)に乗り換えるという行動を取りたくなってくる。つまりすでに高値圏にある株は売って、より株価上昇余地のある投資先に乗り換える――ということである。常にトレード的な発想で人生を構築していく発想に親しんでいる。
日本からの赴任者にとって、理念とか社会的意義とか、自分たちの「やるべきこと」とは、ある意味おカネより重要なものである。会社も個人も、時に苦しい時期があってもそこを耐えて、自分たちの目指すものを信じて努力を続ければ、次第に専門性が深まり、競争力がついてくるのだと考えている。それは多くの場合、自らの成功体験に基づいている。
一方、中国の社員たちは、会社の理念や経営方針といったものは、言ってしまえば自らの価値を上げるための1つの手段であって、状況が変われば、当然変わるべきものだと考える。その会社の理念が自分の価値を上げるために役立つと思えば魅力を感じるし、そこで一通りのことは学んで、自らの価値上昇曲線がピークに近づいたなと思えば、別のもっと有効な理念に乗り換える。それは自然なことであって、自分を高く買ってくれる会社の理念に共感し、移動していくのである。そうでなければ、どうやって変化の速い世の中についていけるのか。高いうちに売らなければ、売りそびれるではないか。