2016年05月27日
深層中国 ~巨大市場の底流を読む
「トレード的」中国人と「インダストリー的」日本人 ~価値の移動か積み上げか
中国社会の「行動のクセ」
このような考え方、行動が、「この道一筋」のインダストリー的発想に慣れている日本人から見て、強い違和感があるのは理解できる。自分たちが信奉し、かつ成功してきた「企業とはこうあるべき」「人生はかくあるべし」という姿を中国でも実現したいという思いがなかなか伝わらず、苛立つ気持ちもよくわかる。ビジネス的に見ても、それが実現できない限り日本の企業が中国で競争力を発揮するのは難しいからである。
しかし、そこで「だから中国人は…」と、うまくいかない原因を相手のせいにしてしまうと、状況は悪化する一方になる。というのは、これは目の前にいる中国人社員個人の資質の問題ではなく、中国社会全体の「こういう時はこう判断するのが普通だ」という一種の「相場観」、集団としての行動の「クセ」のような問題だからである。すでに一人前の大人になった人間が、子供の頃からなじんできた思考パターンや行動のクセを直すのは難しい。仮にできたとしても5年、10年単位の時間がかかる。
この問題に向き合う方法は大きく分けて2つしかない。1つはトレード的思考に沿って、「人は流動するものだ」という前提に立った仕組みを構築することである。社内で力をつけて「株価が上がった」社員が自分を他社に売りに行かないように、常に魅力的な仕事と待遇を提供し続けること、加えて新しく入った社員がなるべく短期間に戦力化できるような育成システムを作ることがカギになる。こういう取り組みは各社が行っているし、私たちもそのお手伝いをしているが、やればもちろん効果はある。ただ「若い社員を下積みで安く使う」という日本の仕組みに比べてコストは高くなる。そのため日本国内の制度や日本人社員の「感情」と整合しにくいのが悩みである。仕事のできる中国人社員の待遇が、日本人上司よりはるかに高いのが当たり前になるからである。
もう1つのアプローチは、中国社会で「インダストリー的」な発想をする人を探し出し、採用することである。これも大変ではあるが、不可能ではない。中国人の中にも、正確な比率はわからないが、インダストリー的発想をする人はいる。仮に10人に1人とするならば、他社の10倍の採用経費と労力を投入し、その人の思考パターンを見抜く面接技術を磨き、従来の10倍の数の応募者を面接し、長期的に社内で能力を伸ばすことが本人の利益になる人事制度を構築して、継続的な努力を続ければ一定の効果がある。そのことも、これまでの日系各社の奮闘努力の結果からわかっている。
日本の「職人気質」にも強い関心
いずれもラクな道ではないが、詰まるところこれしかない。というのは、ここでは中国人と日本人という枠組みで話をしてきたが、実は中国国内でも問題の構造は同じだからである。中国人の経営者たちも同じ問題で悩んでいる。
いま中国では製造業の競争力低下が深刻な問題になっており、いかにして付加価値の高い製品を生み出すかに高い関心が集まっている。流通業やサービス業にしても、スマートフォン時代になって情報の流通が爆発的に増え、消費者の選択眼が肥えて、リアル、ネットを問わず商品を並べておけば売れる時代は終わっている。どんな産業であっても、量や価格で勝負するのではなく、製品やサービスの個性や品質で競争に勝とうと思えば、それなりの期間の経験や蓄積が必要なことは明らかである。長くやればいいわけではないが、その業界や製品に一定の知識や経験がない企業や人が、いきなり高付加価値の製品やサービスを生み出せるわけがない。
その点で中国の経営者たちはいま、日本の高度成長を支えた雇用の仕組みやマネジメント、そしてその根底にあるインダストリー的思考、さらには「カネじゃない」という職人気質といったものに強い関心を示している。心ある中国人経営者たちは先の日本人総経理とは逆に、インダストリー的思考や行動の不可解さに悩んでいるのである。
中国社会でトレード的思考が根強いのは間違いないが、誰もが株や不動産投機に走り、高収入目当てに転職、商売替えを繰り返す「トレード一辺倒」の限界は多くの人が意識するようになってきた。やや大げさに言えば、中国の改革開放30数年、経済が一定の成熟度に達してきたことで、初めて中国人と日本人が同じ土俵の上で議論できる環境が出来つつある。トレード的思考に走りすぎの中国人とインダストリー的思考にこだわりすぎの日本人。両者とも次の段階に進むべき時に来ている。