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2016年05月27日

深層中国 ~巨大市場の底流を読む

「トレード的」中国人と「インダストリー的」日本人 ~価値の移動か積み上げか

価値の「移動」と価値の「増量」

 前回の連載で、「投資」の中国、「仕事」の日本という角度から中国と日本の考え方の違いについて書いた。存外に多くの反響をいただき、中国とのビジネスに関心を持つ人が多いことを改めて実感した。そこで今回は、前回に続き、中国の人々と商売をしたり、上司と部下などの関係で付き合ったりする場合に大きな影響を与える、もう1つの発想の違いについて考えてみたいと思う。

 それが今回のタイトルに掲げた「トレード的」中国人と「インダストリー的」日本人――という視点である。だいぶ以前になるが、この連載の第39回で「中国の賃金はなぜ急激に上がるのか~「トレード型社会」のゆくえを考える」という記事を書いたことがある。今回はそれとは少し違う視点から、このテーマを考えてみたい。

 自分が何か物事を判断する時、中国の人たちは「トレード的」な基準で判断を下すことに慣れていて、日本人は「インダストリー的」な基準で判断することが多い。もちろん例外もあるし、「ゼロか100か」ではないが、全体的にこういう傾向があることは間違いなく言える。日本企業や日本人が中国で感じる違和感、困惑を見ていると、この違いがコミュニケーションの大きなギャップとなっていることを感じる。

 では「トレード的」「インダストリー的」なものの考え方とは、それぞれどんなものなのだろうか。それをまず確認しておこう。

 「トレード(trade)」とはご承知のように「取引」とか「貿易」などを意味する言葉だ。その基本は、値段の安いところから高いところにモノやおカネやサービスを移動させ、その価格差のサヤを抜くというものである。つまり価値の「移動」によって収益を狙う。商業とか金融業、貿易業などがその典型だろう。いわゆる「商売」である。

 一方「インダストリー(industry)」は一般に「産業」とか「製造業」などを意味する。その根底に流れる発想は、従来になかった価値の「創出」もしくは、日々の改善によって既存の価値を「増大」させることである。もちろん製造業だって造った製品を売るのだから、そこの場面ではトレードであって、両者は完全に切り離せるものではないが、その両者では考え方や行動はかなり違ったものになる。

「東京に行ったら、いくら稼げるか」

 たとえ話で考えてみる。いま上海でマッサージ師をして1時間あたり100元(約1700円)を得ている人がいるとしよう。この人が「もっと収入を増やしたい」と考えたらどういう手段があるだろうか。まず考えられるのは客数を増やすことである。それはそうだが、経営者となり、複数のマッサージ師を雇用するケースはさておき、個人として考えた場合、1日にこなせる客数には限りがある。せいぜい10人ぐらいが限度だろう。だとすれば、それ以上、売り上げを増やすには時間あたりの単価を上げるしかない。

 皆さんならどうするだろうか。おそらく多くの日本人は「マッサージの質を高めて、お客様からより高い料金が取れるようにする」と考えるだろう。お客様がより気持ちよく、コリがほぐれ、疲れが取れるような揉み方を研究する、接客技術を向上させる、店内の環境をよりよくする等々…。そうして現在1時間100元なら、120元、150元払ってもらえるようにする。競争があるから簡単な道ではないが、努力する。これが日本社会では自然な発想だと思うし、これがまさにインダストリー的発想にほかならない。

 では中国人だったらどう考えるかというと、「同じマッサージをやって、もっと高くおカネがもらえるところはないだろうか」と思考をめぐらす。例えば、どこか別の街で、マッサージ師が少なく、100元以上の相場になっているところはないか。別のどこか繁盛しているマッサージ店で、1時間あたり100元以上もらえるところはないか。海外に行く手もある。東京に行ったら、1時間200元もらえるかもしれない。たとえ話なので非常に単純化して説明しているが、トレード的発想とはこういうことである。

 もちろん中国人全員が常にこうだとは限らない。いろんな考え方の人がいる。ただ中国社会にこのような傾向が強くあるのは確かで、多くの人がごく自然にこういう発想をする。自分が現在地で、工夫して、苦労して、努力して、頑張って、継続的に価値を増大させていこうと考えるよりは、周囲の相場を常にウォッチして、商品がより高く「売れる」場所を求めていく。こういう発想に慣れているのである。

「ラーメン一筋」とは考えない

 中国の日系企業では「中国人はすぐに辞めてしまう」という悩みが尽きない。時に「中国人は忠誠心がない」「恩知らず」といった話になってしまうのだが、この問題の根底にあるのも、「トレード的」と「インダストリー的」の違いであることがわかる。中国人の発想では、自分自身はいわば商品であって、自分という商品を、いかに高く売ろうかというトレードの発想が出発点にある。だから新卒で企業に入り、最初は市場では買い手がつかないから、それなりの値段がつくまでは勉強もし、努力もする。でも自分に一定の値がつけば、すぐに周囲の相場を見てトレードに走る。これは極めて自然な発想ということになる。

 会社経営も同じである。インダストリー的発想に従えば、1つの領域で長期的に事業を継続し、自らの専門性を高め、他社にできない価値を生み出すことに意味があると考える。長い経験を積むことで問題解決力、トラブル対応力を高め、高品質な製品やサービスを安定的に、かつできるだけ安価に提供しようとする。日本には100年、200年、もしくはそれ以上前から存続している企業が数多くあるが、それはこの結果である。報道によれば、創業100年を超える企業が2万6000社、創業200年超が1200社もあって、これは世界一の数だそうである。

 一方、中国の経営者の発想は、会社経営そのものがトレードであるから、先ほどの新卒就職の話と同じで、自分の会社に価値がないうちは死に物ぐるいで働く。必死に節約し、夜も寝ないで働く零細企業の経営者を私はたくさん見ている。ところが、事業がそれなりに回るようになり、一定の価値が生み出せるようになると、トレード的な発想が頭をもたげてくる。

 例えば、家族でラーメン店を始めてそれなりに成功した。複数の店も持った。しかし、もはや中国の大都市ではラーメンはブームと言っていい状況で、競争は激しくなっている。そろそろ潮時ではないか。そう判断すると、さっさと店は人に売ってしまい、自分はもっとお金を効率よく回せる商売に移っていく。未経験の業種業態を手がけることも、見知らぬ場所に行くことも全く厭わない。「ラーメン一筋、もっとおいしいラーメンを作って競争に勝ち抜こう」とは考えない。ビジネスの発想そのものがトレード的なのである。

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