2016年06月24日
深層中国 ~巨大市場の底流を読む
よみがえる「小農意識」~平均27歳でマンションを買う理由
子孫のために家を買うという「強迫観念」
そう考えれば、中国でマンション一次取得者の年齢が非常に若いことの理由は明らかになる。大学を出て数年で、なぜ日本円で数千万円ものマンションが買えるのか。本人の経済力だけでは当然無理である。そこには父母や場合によっては祖父母、親戚一同など一族を挙げての支援がある。私の周囲の友人たちが自分のマンションを買う場合でも、そのもくろみの先には必ず自分の子供にいかに資産を残すかという発想がある。
その根底にあるのは「家(イエ)」の意識であり、宗族の概念である。それは「子供が可愛いから家を買ってやる」「子供が親に家をねだる」といった「情」の問題とは別のものである。一族の後継者である子供たちの生活基盤となる家を準備するのは大人として当たり前であって、仮にそれができなければ――やや極端に言えば――子々孫々に対して中国人として当然するべきことをしなかったという負い目を感じ、「メンツのない」思いをしなければならない。そういう性質のものである。
中国人の住宅購入にはこういう背景があるから、その行動は純粋な投資行為とは呼べない。ある種の強迫観念のようなバイアスがかかっている。もちろん利殖の意味もあるけれども、それはいわば副次的なものである。とにかくまずは家を持つ。それはある意味、金銭よりも大事なことであって、なしでは済まされない。ニューヨークやロンドンでは「投資」にはなるが、「家」にはならないから、上海人なら上海で、北京人なら北京で家を買わなければならない。そういう思いで何百万人もの人が不動産を買うから、価格が「非理性的に」高くなっていくのである。
もちろん中国とて大きな流れの中では市場原理で動いていることに間違いはなく、長期的には不動産市況もその例には漏れないだろう。しかし、ここで述べてきた一点は中国の不動産相場の動きを考える際に見落としてはならない視点であると思う。
若者の一生を制約する「小農意識」
ことは不動産の購入には留まらない。一族の後継者としての子供たちや若者を周囲が寄ってたかって「守り、育てる」という観念は、不動産購入以外の場面でもいたるところで目にすることができる。
考えてみれば、中国の苛烈な受験戦争もこの「小農意識」の産物と言えるかもしれない。子供は――これもやや極論すれば――独立した人格を持つ「個人」ではなく、親や一族の共有するいわば「共有物」である。勝手な行動は許されない。一族の担い手となる立派な人になってもらわなければならないのである。
そのために親は子供たちのために過剰とも思えるほどの保護を加え、お金をかける。親は何を我慢してでも巨額の教育費を捻出し、毎日毎日送り迎えし、食事や健康に気を遣い、毎晩毎晩、子供の宿題を一緒になってこなす。傍から見ていて中国の親は本当に大変である。この点で、子供をまず親から独立させることを最優先に考える欧米の教育と鮮明な対照をなす。もちろん子供が可愛いという「情」があるのは当然だが、その背後には中国社会の抗し難い圧力のようなものがあるのも、また否定できない事実である。
かくして中国の子供たちは親や周囲の限りない愛情をふんだんに浴びて育つのだが、その反面、子供たちの肩にはものすごいプレッシャーがかかっている。それは「親や一族の期待に応えなければならない」「この人たちが期待するような人生を送らなければならない」という、これもまた一種の強迫観念のようなものである。
もちろん家庭による差は大きい。子供は自由に道を選ばせるのがいいという親もいるが、少数派に留まる。それはなぜかというと、前述したような「子供は一族を挙げて守り、育てるものだ」という前提の下に社会の仕組みが構築されているからである。教育制度、受験制度、そして不動産の購入、すべてそうである。「子供の自主性に任せて」いたら中国の受験制度で勝つことはまず不可能だし、住むところすら手に入らないのだから。
かくして中国社会では、社会の規格に合った、親の世代の期待に応えようとの意志を持った「良い子」が大量に育っていく。そこには多少なりとも政治の都合も反映されているだろう。反面、子供の頃から自立を半ば強要され、アルバイトやボランティア活動、スポーツ、旅行などで独立した発想を養い続ける欧米の若者たちのような人間が育つ土壌は薄い。
「小農意識」の平和な風景
気になるのは、約40年前の改革開放以来、満ちあふれるチャンスと旺盛な成長意欲のために見えにくくなっていた古来の「小農意識」が、近年の「ささやかな成功」に安んじることで、またぞろ息を吹き返してきたのではないかと思えることである。
今の世の中を見渡すと、中国の経済成長を引っ張ってきた40代後半以降の人たちは、多くは事業の一定の成功や不動産の高騰によって小資産家となり、事業意欲は低下し、ほぼ「上がり」の心境になっている人が目立つ。そして、その子供たちは学生時代から早くも親の資産継承を当然のこととして、勉強も仕事もそこそこに、せっせと親孝行に励んでいる――という平和な光景があちこちにある。
なるほど、これが音に聞こえた「小農意識」か。だとすれば、その将来に与える影響は深刻だと思わざるを得ない。