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2016年06月24日

深層中国 ~巨大市場の底流を読む

よみがえる「小農意識」~平均27歳でマンションを買う理由

再び注目される「小農意識」

 中国で最近「小農意識」という言葉をしばしば耳にする。「小農」は直訳すれば「小さな農家」とか「零細な農民」という意味で、長い歴史の中で「小農」と呼ばれる階層の人たちの間で生まれ、共有されてきた意識の持ち方を指す言葉だ。一般に「視野が狭く、自分や身内の利益しか考えない」といったネガティブな意味で使われる。

 「小農意識」という言葉が使われるのは、例えばこんな時だ。

 ある湖北省の観光地で、地元の住民が高い入場料を取っていることに批判が集まり、メディアなどが「目先の利益しか考えない小農意識だ」と批判、入場料を値下げしたところ観光客が増加し、逆に収入が増えた。

 広東省のある地方都市の幹部が「我が市はすでに外国の一流企業が多数進出する有力な都市になった」などとして、新たな高速道路建設への資金拠出を渋った。その姿勢に対し、「自分たちの地域のささやかな成功に甘んじる小農意識だ」と批判が起こった。

 ある地方都市でスイカを満載したトラックが横転、運転手は運転席に閉じ込められて大怪我を負った。にもかかわらず近隣住民たちは、運転手をそのままに散乱したスイカをかき集めることに狂奔した。「これは自らの利益しか考えない小農意識そのものである」と強い批判を浴びた。

 歴史的に中国は巨大な農業国家で、周縁部には農耕を主たる生業としない民族や地域もあったが、基盤となる産業は農業であった。1978年に改革開放が始まった時点でも中国の国民の8割が農民といわれ、社会の工業化、都市化が進んで都市人口が増え、農村人口と半ば拮抗するようになったのはごく最近のことである。それでも農村人口の比率は先進国に比べればはるかに高い。

 数千年にわたって圧倒的多数を占めていた「小農」的な発想が社会の根幹に根強く残り、旧態依然とした「小農意識」の存在が近代化の阻害要因だという議論は以前からあった。しかし近年、中国社会の社会的、経済的な停滞感が強まるにつれ、この「小農意識」が実は現在の中国の抱える問題の根底に思ったより深く影響しているのではないか――という見方が再びクローズアップされてきている。今回はそのあたりについて考えてみたい。

「狭い視野、自分の利益しか考えない」

 「小農」という言葉をインターネット上の語辞典で調べてみると「わずかな田畑を持ち、家族の労働力だけで農業経営を行う小規模な農業。また、その農民」という定義が出てくる。しかし「小農意識」という言い方をした場合、そこにかなり強い否定的な意味合いが込められているのが普通である。

 例えば、中国共産党機関紙「人民日報」(日本語版)の少し前のウェブにこんな記事があった。一部を抜粋して引用する。

 「中国式道路横断 中国人はなぜルールを守らないのか」

 北京大学社会学部の夏学鑾教授は、「これは社会の発展段階とも関連している。ルールと公共の秩序を求めることは、都市文明の一つの特徴だ。外国人は中国人よりもルールを守るが、それは彼らの都市文明が中国よりも数世代前から発展しているからだ。中国は小農社会から都市文明に移り変わっており、まだ数十年、1-2世代分の時間しか過ぎていない。各地は依然として農村から都市に移り変わる過渡期に当たる。農村は知り合い同士の社会であり、都市のように多くのルールを設けて正常を維持する必要はない。これは多くの人がルールを無視するか、無意識のうちにルールに違反する一因となっている」と分析した。

(「人民日報」日本語版 2012年11月2日)

 この一文を読んだだけで、中国の知識層が「小農意識」にいかに否定的な見方を持っているかが窺えて興味深い。

「小さな富にすぐ慢心する」

 中国社会で「小農意識」がどのように形成されてきたかは歴史研究の領域で、私の手には余るが、一般に「小農意識」という場合、以下の3つの特徴を持つとされる(中国の大手ポータルサイト「百度(Baidu)」の辞典機能「百度百科」などの記述を参考に筆者がまとめた)。

  1. 「小さな富にすぐ慢心する」(小富即安)
     人生の目標が低く、とりあえずの生活に加え、少しの余裕ができるともう金持ちになったように感じる。そのためすぐに危機感が薄れ、汗水たらした勤労をしなくなり、安逸な生活に走る。そして、そのわずかな富を大げさに誇り、自分一人の力でその富を実現したかのように言う。
  2. 「自己を律することができない」(欠乏自律)
     「小農」の生産方式は長く個人単位であり、自家の農地で自家の農機具を用い、働きたい時に働き、作りたい作物を作る。ルールや制度というものに馴染みがなく、束縛もないので、自己を律するという意識が薄い。「小農意識」を持つ人とは、公と私、上と下、内と外などを区別する意識に欠け、行為の主体としての責任感に乏しい。個人と社会の関わりという意識もほとんど持っていない。
  3. 「個人の関係や親族を重視する」(宗派親族)
     商売も個人が中心で、組織力がなく、協調精神に乏しい。互いの利益を慮った共存ができない。そのため自然災害などへの抵抗力も弱い。頼りになるのは友人や親族だけで、「小農意識」を持つ人が信頼するのは同姓か血縁のある「家」だけである。

 要するに視野が狭くて大局的な判断ができず、思いつきで身勝手な行動をし、身内や親しい仲間しか信用しない――。これが「小農意識」であると中国では考えられている。おそらく長く続いた中央集権的な支配の下、過酷な徴税や度重なる天災、戦乱など厳しい生活環境の中で自らの利益を守り、生き抜いていくために「小農」たちが形成した自己保存のための行動形態なのだろう。そして、その影響は現代の中国社会にも脈々と及んでいる。

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