2016年07月29日
深層中国 ~巨大市場の底流を読む
「先払い」の中国、「後払い」の日本~中国人と付き合う法
最近、南シナ海や東シナ海における領有権問題の議論が激しくなっている。政治的な議論をするつもりはないが、中国のあるウェブサイトを読んでいたら、中国政府の幹部が大意において以下のような発言をしたと報じられていた。
「中国外交には以下のような特徴がある。もしあなたが私と良い関係にあり、私のメンツを立ててくれれば、それにふさわしい配慮をして、譲歩することにやぶさかでない。しかし、仮にあなたが私のことを尊重せず、強い態度に出るなら、こちらも強い姿勢で臨む」。
この発言は中国人の思考の脈絡を考えるうえで、とても興味深い。
この発言の根底に流れている論理は「先に相手がこうしてくれれば、私はこうする」という考え方である。まず自分のメンツを立てるのは相手である。まず相手の行動を期待する。くだけた言い方をすれば、相手に「先払い」を求めているのである。
政治の場だけでなく、同様の発想は中国の日常生活に根強く流れている。今回はそんな話をしたい。
他人に冷たい中国人
中国の社会で暮らすと実感することだが、中国の人々は見知らぬ人に対して非常に冷淡である。例えば、マンションでエレベーターに乗る。途中の階で誰かが乗ってきたとする。その人が顔見知りである場合を除き、ほとんど無反応である。日常生活で他人と挨拶を交わすという習慣はほぼない。
お店や飲食店などに行っても基本は同じである。お客が笑顔で歓迎されることは少ない。最近でこそ従業員教育を施した店も増えてきて、客が来ると「歓迎光臨(いらっしゃいませ)」などと声をかける店も増えてはきたが、それでも大方の従業員は義務的にやっている感じで、店主が目を離すとすぐに元に戻ってしまったりする。
だから初めて中国に来た外国人は「中国はサービスが悪い」「中国人は愛想がない」「ぶっきらぼう」などといった印象を持つことが多い。
しかし、実はこの問題を解決する非常に簡単な方法がある。誰でもできる即効性のある方法だ。それは、こちらから先に笑顔で挨拶をすることである。そうすると中国の人たちは多くの場合、途端に花が咲いたような笑顔になり、時には慌てたように挨拶を返し、以後、私に対してにこやかに接してくれるようになる。これは高い確率で有効な方法なので、中国に行く機会があったらぜひ試してみていただきたい。
「自尊心の維持」から出発する中国人
なぜそういうことになるのか、そのメカニズムを分解してみよう。
この行動には、中国社会の面子(メンツ)の問題が大きく影響している。メンツとは「“自分が他人より優れている”ことを周囲に認めさせたい」という意識である――と第33回「面子(メンツ)とは何か ~中国社会を動かすエネルギー源」で書いた。なぜ中国人が、一般に他人に対して愛想がよくないのかといえば、それは中国人の心理の根底に「自分を低く見られたくない」という意識があるからである。
中国社会では「自尊心」が非常に重く考えられており、「自分の本心を覆い隠して他人に迎合する」とか「プライドを省みずに他人に媚びる」といった行為を強く否定する。そしてそういう行動をする人を嫌うし、信用できないと考える。もちろん、自分はそういうことを絶対にやりたくないと思っている。
やや極端に言うと、日常の行動がすべて「自尊心の維持」という観点から出発している。ふだん街を歩いている時でも、「私は私だ。なぜ他人に媚びへつらわなければいけないのだ」と思っている。中国人を見たら「自尊心のかたまり」が歩いていると考えてちょうどいいくらいである。
というようなことだから、中国社会では「自分のほうから他人に笑顔でアプローチしていく」という行動が起きにくい。むしろ、見境なく周囲に愛想を振りまくような人間を低く見る傾向すらある。「あいつは右顧左眄(うこさべん)している。確固たる自分というものがないのか」というわけだ。
多かれ少なかれ、誰にもこういう意識があるから、自分から率先して相手に好意を示そうとする人が少ない。日本人がなんとなく常に曖昧な微笑みを浮かべているのに対し、中国人はあまり人前で笑顔を見せない。常にしかめっ面をして歩いているような印象がある。要するにそれは、自分が見くびられるのが嫌だからである。
「あなたがそうしてくれるなら…」
ところがこういう自尊心の強さは、相手から先に自分に対する好意が示された途端、一瞬にして満足される。自分は自分のままなのに、相手から先に笑顔で挨拶されたということは、自分の存在が相手から認められた、相手から自分が尊重されたことに他ならない(と中国人は受け止める)。こうなると嬉しくて仕方がない。そして突然、満面の笑顔になって、自分を尊重してくれたその相手に、自分も最大限の好意で向き合おうとするのである。
要するに誰もが相手に好意の「先払い」を求めている。これが中国社会の共有されたルールというか、行動のスタンダードになっている。