ここから本文です。

2016年08月26日

深層中国 ~巨大市場の底流を読む

中国流「中抜き社会」が生まれるワケ~大乱戦の市場をどう生きるか

 中国で暮らしていると、この社会はつくづく「中抜き社会」だなあと思う。

 例えば何か売れている商品があると、その商品を別ルートから独自に入手して中間マージンをカットし、安く売る人がすぐに現れる。時には極端な類似品やニセモノも混入し、それをすごい数の人がやるので市場は乱戦になり、値段はあっと言う間に下がる。こういうことが日常的に発生している社会である。

 ネット社会、デジタル社会になってその傾向は一層強まっている。これは「業界の掟(おきて)」を尊重して集団の利益を守るという戦い方をしてきた日本の伝統的な商業モデルとは相当に異質なものがある。そこには日本人、日本企業にとってチャンスもあれば、困難さもある。今回はそんな話をしたい。

「素人お断り」の看板

 東京・日本橋馬喰町界隈の繊維問屋街を歩くと、そこには店先に今でも「素人お断り」「小売はいたしません」といった看板や張り紙をした店がたくさんある。御徒町の宝石問屋街などでも同様の掲示をみかける。すべての店がそうではないが、多くの店はプロでなければ商品を売りませんという意思表示をしている。

 そこではまず前提として「素人」と「その道のプロ」が別のものとして認識されている。何を基準に素人とプロを分けるのか、正確なところは知らないが、おそらく自分の店舗(実店舗かネットショップ)を持っているか、そしてそこから一定以上の収入を定期的に上げているかといったことが判定基準になるのだろう。

 いずれにしても日本の「卸」でものを買うにはプロとして小売を営んでいるという「身分」のようなものが必要であって、それがなければ取引してもらえない。お金を払えばよいというものではないのである。

 一方、中国で「卸売市場」に行ってみると、そこでは商品を買うのに何の制約もない。工場の仕入れ担当者も来れば、近所のおばさんも来る。「卸売市場」と書いたが、中国語で「卸売」に相当する単語は「批発(發)、pifa」と言う。「批」とは「ひとまとまりの」とか「多くの、多量の」という意味で、一定の数量がまとまっていることを示す。「発」は「送る、出す」といった意味なので、「批発」とは直訳すれば「まとまった数の商品を売る」といった意味になる。

 つまりここで問われているのは「量」である。その人はどれだけの量を買うのか。「批発市場」とは「とりあえず一定数量をまとめて買うことが標準とされている市場」ということであって、その人が「何者であるか」は問われない。量を多く買えば、そのぶん取引条件は良くなり、1個でも買うことはできるが、単位当たりの値段は高くなる。それだけである。だから厳密に言えば、「卸売」と訳すのは正確ではないかもしれない。日本語の「卸」が意味するところの一種の排他性は含んでいないからである。

関連キーワードで検索

さらに読む

本文ここまで。
ページトップ