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2017年03月07日

次世代中国 一歩先の大市場を読む

「草の根電気自動車」は飛躍できるか~農村から起きる「1マイル革命」

1kmあたりの走行コストは日本円約0.8円

 この種の低速電気自動車の最大の強みはそのシンプルさである。もともと近隣での使用を想定しているので、余計なものがない。

 まず現状では自動車の運転免許がいらない。中国でも免許の取得は教習所に通って試験を受けてと結構な時間とお金がかかる。操作も極めて簡単だから、そのへんでちょっと練習すれば誰でも乗れる。高齢者や女性が中心ユーザーであることを考えると、これは大きな強みだ。もちろん事故など相応の危険はあるが、農村部ではまだ自動車の数もさほど多くないので近所の用事を済ますぐらいなら現実的には使用可能だ。

 コストも安い。車両価格も日本円30万円ぐらいからで、現在、都市部に働きに出る農民の月収が8~10万円程度まで伸びていることを考えると、十分に手が届く価格である。高級な仕様のものは70~80万円と小型ガソリン車と変わらないレベルになるが、税制が未整備で事実上、税金がないこと、村のオートバイや自転車販売店などで修理やメンテナンスに対応できること、自動車ナンバーの登録が不要(一部地域では低速電気自動車向けの登録制度を設けているところもある)など、維持費は安い。

 家庭のコンセントで充電できる点も重要だ。多くの村にはそもそもガソリンスタンドがない。電気はさすがに人家のあるところには来ているから、これで走れるのは便利である。計算によれば、1kmあたりの走行コストは日本円約0.8円程度という。仮にガソリン車の燃費が1リッター15kmとすると、中国のガソリンは1リットル100~110円前後なので、1kmあたりのコストは7円ぐらいかかる。単純に燃料コストだけ見ても低速電気自動車はガソリン車の8~9分の1程度で済むことになる。

かなり高級なグレードの低速電気自動車。なかなか現代的なデザイン

高齢者を「解放」した低速電気自動車

 こうした極めてシンプルな低速電気自動車が普及する背景には、農村部の人々の生活スタイルがある。もともと中国の農村部は所得水準が低かったため、単調で、変化の少ない生活スタイルだった。国から貸し与えられた農地で耕作し、夜は家で食卓を囲み、朝になると子供は集団で登校し、両親は農作業に出る。この繰り返しである。近隣の中小都市ですら年に数回も出ればいい方、というのが普通だった。

 ところが経済成長に伴って、都市部での賃金労働など現金収入を得られる道が増えた。両親とも、もしくはどちらか一方が都会に働きに出るのが普通のことになり、家に働き手は不在、祖父・祖母と母子、孫だけの家庭が多くなった。しかし、一方で所得は着実に伸び、購買力は急速に高まった。こういう家庭環境の中、誰でも簡単に扱えて、気軽に移動できる手段が求められるようになってきた。ここに低速電気自動車のニーズが生まれた。

 現状、低速電気自動車の主要なユーザーは高齢者とお母さんである。農村部の高齢者はこれまで家に閉じこもっているしかなかった。公共交通機関も乏しく、長い道を歩く体力もない高齢者は動く手だてがなかったのである。それが低速電気自動車のおかげで自由な外出が可能になった。村の寄り合いや旧友の家にも行ける。母親に代わって孫の送り迎えにも行ける。これが農村の高齢者にとって、どれだけ嬉しいことかは想像がつく。だいたい電気自動車の運転は遊園地のゴーカートのようなものだから、それ自体が楽しいのである。

村の小学校に低速電気自動車で孫の迎えにきたおじいちゃん

「都市化」「個人化」する農村生活

 お母さんたちの主要な用途はやはり子供の送り迎え、買い物などである。電気自動車なら雨に濡れないし、寒さも防げる。荷物も積める。家族を乗せていくこともできる。往復数十kmは走れるから、たまには近隣の町の商店街やスーパーに遠出もできる。子育て中は自宅から出る機会が少なかった女性たちにとって、たまには「家」を離れて個人で動ける範囲が格段に広がった。

 所得の向上に伴って、旧来の農村の生活は急速に都市化が進んでいる。自宅を改築し、家族の一人ひとりが個室を持つ。一人一台のスマートフォンは当たり前になりつつある。都市化とはどこの国でも「個人化」「核家族化」を伴う。農村部の低速電気自動車は、その象徴である。自分自身の移動手段が欲しい。自分の意志で動きたい。その願望をかなえた低速電気自動車は中国の農村から始まった移動手段の「1マイル革命」と言えるかもしれない。

「国策・新エネルギー車」との鮮明なコントラスト

 このように中国の低速電気自動車は農村の生活環境の変化を基盤に、そのニーズに対応して自然発生的に生まれてきた。いわば中国の大地からニョキニョキ生えてきた雑草のような存在である。これは国策という錦の御旗の下、中央の「官」および大企業主導で進められている「新エネルギー車」の開発・普及政策と鮮明な対比をなしている。

 「草の根電気自動車」は従来型の自動車とは社会的な使命も、ユーザー層も、業界も全く異なる。つまりこれは既存の「自動車」ではなく、電気というインフラを活用した農村部の新たな移動手段である。現状、技術レベルは高くはない。しかし農村の現実に根ざした実需は急速に拡大している。市場は極めて大きい。このまま自律的な成長を遂げ、政府の政策との整合性がうまく取れれば従来型自動車に代わる一大勢力となる可能性を秘めている。

 しかし一方で、そうであるだけに既存の自動車業界、そして関連する主管官庁など既得権益層からの反発、抵抗は大きい。その根底には、「中央VS地方」「国有大企業VS地場民営企業」いう利害対立がある。法的な位置付けの曖昧さ、車体の安全性、無保険状態の横行、税制面など低速電気自動車を取り巻く環境は問題だらけで、このまま野放しでは済まない時期に来ていることも確かだ。

 世論も賛否両論がある。経済官庁や研究者などからは世界に類のない新しいタイプの交通手段の萌芽として積極的に評価する意見が聞かれる一方、交通秩序を管理する立場の公安、交通警察方面は「現状の低速電気自動車は明らかに違法」と言い切っている。事の成り行き次第では法的規制によって市場が一変する可能性もある。

 「草の根」低速電気自動車が大化けする日は果たして来るのか。「民」の力をどこまで活かすことができるのか。その行く末は、何でも中央主導、大手国有企業中心の中国経済を「民」中心に本格的に転換できるか、その試金石と見ることもできる。

田中 信彦(たなか のぶひこ)氏

BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー 亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤) 前リクルート ワークス研究所客員研究員

中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、大手カジュアルウェアチェーン中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。

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