本文へ移動

次世代中国 一歩先の大市場を読む

中国の農村に広がるEコマース
「淘宝(タオバオ)村」は社会を変えるか

リアルの農家とネットショップ

 新河鎮の中心部に入ると、道の両側に真新しい商店街が現れる。「淘宝網」に店を開く農家に商品を卸す市場、発送のための包装資材や農薬、花卉栽培用品などを売る店、宅配便会社の受付店舗などが並び、さながら「タオバオ通り」の様相を呈している。トラクターや電動三輪車などで栽培した植物や盆栽、梱包済みの商品などを運ぶ人が行き交う。

ネットショップで使う包装用品を売る店。梱包用の段ボールや包装用テープ、文具類など
注文が入った商品はトラクターに積んで梱包用の作業所に運び、宅配便会社に引き渡される

 村の中を歩くと、農家の庭先にネットショップの店名とURL、さらに二次元バーコードを記した表示盤が立っている。この二次元バーコードをスマホでスキャンすれば、そのまま「淘宝網」のサイトに飛び、目の前の農家が運営しているネットショップに行ける。現実には庭先からわざわざサイトにアクセスする人はほとんどいないだろうが、リアルの農家とウェブ上の店が目の前で瞬時につながるのはとても不思議な感じがする。

村民が経営する店(ネットショップ)前の案内板。二次元バーコードをスキャンすると淘宝網上の店舗が表示される。実際にこの奥で受注、発送作業を行っている

 一軒の農家を訪ねると、夫婦で室内用の鑑賞植物や肥料などの出荷に追われていた。奥のパソコンは1~2分に1回ぐらいの割合で問い合わせや注文が入ったことを示すチャイムが鳴る。その度に奥さんがチャットで応対し、合間に作業台に戻って梱包作業をするので、結構忙しい。

村民が経営するネットショップの作業場。奥のパソコンで全国の顧客とチャットなどでやり取りし、傍らで発送作業を行っている

 発送先は全国各地だが、やはり南京や蘇州など江蘇省南部や上海などの大都市が多い。平均的単価は30~40元(500~700円)ぐらい、1日数個しか売れない時もあれば、数十個売れる日もある。中国では春節(旧正月)に、小さな果実が無数に実る柑橘系の観葉植物が「多産・繁栄」の象徴として縁起が良いとされ、よく売れる。その時期が書き入れ時で、日本円で一鉢数千円の商品が、まさに「飛ぶように」売れていくという。

 売上高は教えてくれなかったが、データによればこの地域のネットショップ1店あたりの月の平均売上高は1万5000~2万元(25~35万円)程度。ただこの数字には休眠状態の店も含まれているので、実際にはもっと多いだろう。毎月の売上高がだいたい数万元(数十万円)、利益が数千元(同数万円)といったイメージのようだ。

 ささやかな商売ではあるが、少し前まで「食うのがやっと」の状態で、出稼ぎに出るしかなかったことを考えれば、小規模ながらも故郷で「一国一城の主」となり、家族で安定した暮らしができるのは、大きな変化である。冒頭に述べたように、ここ沭阳だけでもこうした零細ネットショップは4万店にも達する。家族や従業員も含めて数十万人の生活が大きく改善したことはインターネット社会の明らかな恩恵である。

撮影用衣装の行商から始まった「タオバオ村」

 もう一つの山東省曹県は前述の沭阳からさらに北西に300㎞ほど。ここも典型的な農村地帯で出稼ぎが頼りの村だった。今では著名な「タオバオ村」の一つとなった丁楼(ていろう)村の人々がネットの商売を始めたのは09年頃から。前述の沭阳より遅いのは、「一村一品」で比較的早くから花卉、盆栽などの栽培を手がけていた沭阳と違い、ここには独自の産品がなく、インターネットで商品を売るという発想が出てきにくかったためだ。

 きっかけは偶然のことだった。当時の記録によると、タオバオ村の「始祖」は村に住む45歳の周さんという人物である。勤めていた紡績工場が経営不振で解雇され収入がなくなったので、裁縫が得意な妻が背広やドレスなどを縫い、町の写真館に撮影用衣装として周さんが売って歩くという商売で生計を立てていた。中国では旧正月やさまざまな記念日などに着飾って写真を撮る習慣が広くあり、写真館がさまざまな衣装を用意しているのである。

 この周さんは新しいもの好きで、研究熱心な人物だった。09年、ある人から「パソコンで商品が売れる」という話を聞きつけ、それまで一度も操作したことがなかったパソコンを購入。見よう見まねで「淘宝網」に店を開き、衣装の写真を撮って載せたところ、ぽつぽつと注文が来るようになった。

 そもそも一軒の写真館で使う衣装の数は知れたものだし、自分で売って歩ける範囲には限りがある。その点ネットショップは家で全国を相手に商売ができる。幸いだったのは撮影用の衣装を一人のお客が着るのは一回限りだから、細部に高いクオリティが要求されないことだ。半ば素人の周さん夫婦でも参入できる余地があった。

 自信を得た周さんは雑誌の切り抜きなどを参考にさまざまな衣装を開発、商品のバラエティを増やすなどの工夫を続けたところ、注文は着実に増加。12年頃には軌道に乗り、村の人を集めて小さな工場をつくるまでになった。

舞台衣装などを生産・販売する店のショーウィンドウ。サンプル商品が並ぶ

村の年間生産高は34億円に

 周さんの成功を見て、村では同じ商売に乗り出す人が続出、今では村の9割におよぶ300戸余りが自身のネットショップを開いている。その後、商品は演劇などステージ用の衣装、幼稚園児や小中学生のマスゲームや各種イベント時のコスチューム、ヨガやダンス用の衣装などへと広がり、現在では同村の年間生産高は2億元(34億円)を超え、村の80%以上の家庭が自家用車を持つまでになった。

 村の通りを歩けば各種コスチュームの生産・販売を手がける個人経営の店が立ち並んでいる。宅配便会社は路上に荷物の引受所を出し、小口事業資金を融通する金融会社、商談にやってくる人のための小旅館、服飾材料を売る店など、さまざまな関連サービスが集まり、波及効果の大きさを感じさせる。

村の通りには舞台用コスチュームなどを生産販売する店舗兼工場が軒をつらねる