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次世代中国 一歩先の大市場を読む

なぜ中国の住宅は値上がりするのか
~「家(family)」と「家(house)」をめぐる中国人の大いなる悩み

familyとしての「家」、住むための「家」

 でも中国人の多くが、その状況を理解しつつ、あえてその道を選ぶ。なぜそこまでして家を買うのか。

 日本語で「家」という言葉には2つの意味がある。ひとつは「家族、一族、血統」としての家である。「家柄」とか「お家の大事」とかいう時の「家」だ。もうひとつは具体的な住むための建物としての家、つまり住宅である。中国でもその概念は基本的に同じだが、中国語では後者の住宅は通常「家(jia)」とは言わず、「房子(fangzi)」という。「家」と言えば前者の意味である。

 この連載でも過去に何度か触れてきたように、中国社会は他人に対する信用度の低い社会である。基本的に他人とは利害が衝突する存在であり、「相手がトクをすれば自分が損をする、自分がトクをすれば相手が損をする」というゼロサム的な発想をする傾向が強い。

 加えて世の中のさまざまな「制度」や「仕組み」に対する信頼感が低く、極端に言えば「国」という仕組みは権力者がトクをするように出来ているもので、法律とは為政者が自分の都合に合わせて作るものである。会社も同じで、会社とは経営(所有)者が儲かるように出来ているのが当たり前で、従業員は経営者の都合次第で優遇されることはあっても、要は搾取される存在である。世の中そういうものだという冷めた見方が普通だ。

自分にとって最も重要な砦

 そういう「周囲はすべて競争相手」で、かつ「組織や仕組み、制度に対する信頼感が低い」社会において、人が生活の拠り所とし、安心して心を許し、ヨロイを脱いで寛げる唯一の場所が「家」である。

 もともと「家」という漢字は「うかんむり」が屋根を表し、その下に豚がいる様子を文字にしたものだ。つまり「生活する場所+生活手段」が一緒になっている。自分たちの力で自立して生きていくぞ、という中国人の気概が表れている。中国人にとって、「家」とは単に帰って寝るところではない。そこは人生において最も重要な「場」であり、唯一の帰るべきところであり、何を犠牲にしても守らなければならない砦である。

農村の住まい。中国の「家」の原点がここにある。

 その意味で「家」を大切にするという中国人の価値観は、割り切った言い方をすれば「世の中」というシステムに対する不信感の反映である。中国人は単に住む場所としての住宅を買っているのではない。自分や家族の人生を守る砦としての「家」を買うのである。

なぜ賃貸住宅に住みたがらないか

 中国で賃貸住宅に人が住みたがらないのは、そういう観念があるからだ。賃貸住宅とはあくまで人様の土俵であって、他人の思惑に属するものである。そんなところに身を預けるわけにはいかない。「家」は自分の最も重要な基盤だから、安定した安全なものでなくてはならない。自身や家族の命脈を他人に握られるようなことは許されない。

 実際、中国の賃貸住宅はまことに頼りないものであって、住むほうの権利が著しく弱い。「息子が海外勤務から戻ることになったから来月までに引っ越してくれ」「あんたより高い家賃を払う人が見つかったから出て行ってくれ」などいう話はいくらでもある。これでは「家」にならない。「自分のことは自分と身内で解決する。他人に依存してはならない」。これは中国で生きる上での鉄則である。

結婚の背景には依然として「家」

 「家がないと結婚できない」という話が中国ではしばしばある。家は基本的に男性側が用意するのが慣習で、住宅がないと女性の両親が結婚を許可しないといった話である。そういう現象があるのはその通りだが、それは単に女性側が資産が欲しいとか、お金のある男性でなければ嫌だとか、そういう話ではない。

 中国で「結婚する」ことを「成家(cheng jia)」と呼ぶ。これは文字通り「家を成す」、ひとつの新しい家をつくるということである。この言い方は象徴的だ。結婚とは単に「異性と夫婦になる」ことではない。新たな「家」を成立させることなのである。結婚して「家」を立ち上げ、子供を産む。それには土台となる安定した場所がなければならない。人様の都合に左右される賃貸住宅ではだめなのである。言い方を換えれば、観念としての「家(family)」と実体としての「家(house)」が一体不可分のものとして強く結びついている。これが中国社会の大きな特徴である。

父母の援助は当たり前

 こういう構造だから、「家」の後継者としての子供たちの住宅購入は一族を挙げての一大イベントとなる。購入価格の30~40%になるローンの頭金を両親が払うのは半ば当たり前、というより、用意できない親は冷たい視線で見られかねない。つまり住宅取得の世代間扶助は当然のことと受け止められており、両親は「自分がまだ働けるうちに」と子供のローンの頭金のために、こちらも身を削るようにして貯蓄をし続ける。

 そして、どのような「家(house)」を構えられるかは中国人、特に男性にとっては極めて大きな問題であって、伝統的観念に従えば、万一、家を持てないような事態になれば、家族の人生に責任を持てない人間と見なされかねない。それは耐えがたいことである。

 かくして収入対比では日本人の想像もできない高額な住宅を「無茶を承知で」「苦労を覚悟して」買おうとする人がとめどもなく現れてくる。よって住宅価格は国際比較では理解できない水準へと上がっていく。

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