次世代中国 一歩先の大市場を読む
なぜ中国の住宅は値上がりするのか
~「家(family)」と「家(house)」をめぐる中国人の大いなる悩み
Text:田中 信彦
SUMMARY サマリー
田中 信彦 氏
BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員 1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
「無謀なまでの無理」をして住宅を買う人たち
中国の住宅価格が高いのはよく知られている。金額の高さもさることながら、私が驚くのは、そういう事態に直面した中国の人たちの行動である。中国の、特に若い層の人たちは「家の値段が年収の何十年分」という現実を前に、それはものすごい無理をして、悲壮なまでの覚悟と共に、10年、20年もの間、文字通り身を削るような思いをして住宅を手に入れようとする。まさに「自分の人生と住宅の取得を引き換えにしている」かのように見える人がたくさんいる。
中国の住宅価格の上昇はさまざまな政治的思惑や腐敗、すべての宅地が国有という制度的事情、投機、戸籍管理による移動の制限など、多くの要因があり、これが原因と言いきるのは難しい。しかし、中国の「普通の人々」が、とんでもない無理をして家を手に入れようとする根底には、単に値上がり期待だけではない、ある種の執念のようなものがある。そしてそれが住宅価格高騰が一向におさまらないどころか、地方に向けて延焼していく背景になっているのではないかと私は感じている。今回はそういう話をしたい。
家を買う「覚悟」
上海にいると、日本の人たちから「一般的な中国人の収入は欧米や日本に比べてまだ低いのに、どうしてこんなにたくさんの人が家を買えるのか」との質問を受けることがある。それに対して、中国では夫婦共稼ぎが普通だとか、メインの勤務先のほかに副業を持っている人が多いとか、リベートや裏金などのグレーな収入がある人も少なくないとか、さまざまな理由を挙げることはとりあえずできる。
しかし、この質問は実はあまり意味がない。それは(住宅を)「買える」「買えない」という言葉の意味が、中国と日本では大きく違っているからである。
例えば「年に1回、海外旅行をし、マイカーを持って、シーズン毎にそれなりの服を買い、週末は友人たちと食事をしたりしつつ、自分たち夫婦の自己資金だけで新居を買う」とすれば、月々ローンに払える金額はおのずと限りがある。それを超える金額の物件は「買えない」。通勤1時間以内といった条件がつけば、「買える」範囲はさらに狭まる。
しかし仮に「頭金は双方の両親や親類などが用意し、旅行などもってのほか、車なし、数着の服を年中着回して、酒・タバコもやらず、会食・外食は避けて、週末は近所の店で販売員のアルバイト」という生活を30年継続する覚悟があれば、同じ収入でもよりランクの高い住宅を「買える」。毎朝5時起きで通勤する覚悟があれば、「買える」物件のハードルは一段と下がる。
つまり「家を買う」ことに、どれだけの覚悟と執念があるかが主要な問題であって、それを考慮せず、収入の額だけを見て「買えるか、買えないか」を議論しても意味がない。問題は「買うか、買わないか」だ。そして現実に中国には、たとえ収入は多くなくても「石にかじりついても家を買う」という人がたくさんいる。
30代の60%が自分の家を持っている
そのため中国では若くして自分の家を持つ人が非常に多い。調査によると、1970年以降生まれ(40代)の78.8%、80年以降生まれ(30代)の61.1%がすでに自分の家を持っている。90年以降生まれ(20代)でも21.1%である。全世代を通じた持ち家率は最近のデータでは90%を超えている(北京大学光華管理学院調査、2017年)とされ、これは日本の全国平均の61.7%(2013年総務省調査)と比べると圧倒的に高い(この数字には計画経済時代の住宅配分政策や土地政策など社会主義中国の影響があるが、ここでは触れない)。
平均レベルの所得しかなくても夫婦の収入の6割、場合によっては7割近くをローン返済に充てているような人が普通にいる。例えばある店の販売員をしている30代の知人の女性は、数年前、上海郊外に買った中古マンションのローン返済が毎月7000元ある。収入は夫婦合わせて1万1000元。残りの4000元から光熱費や交通費、最低限の付き合いなどを除くと、1ヵ月2000元ちょっとしかない。これでは食べるのがやっとだ。
30年続く「人生の機会損失」
独身で市内のワンルームに住んでいた時は海外旅行に行くくらいの余裕があったが、今は身動きが取れない。昨年、子供が生まれて、親に頼らないと生活できなくなった。「家が職場から遠いので帰ってくると疲れて寝るだけ。何か新しいことを勉強するとか、気晴らしをする余裕もないし、これがあと20年続くかと思うと気持ちが沈む」と話す。
この10年ほど、「房奴(fangnu)」という言葉が一種の流行語になっている。これはローンの返済負担が重く、他の用途におカネが使えず、「房子 (住宅)の奴隷」になっているという意味だ。「房奴」になれば確かに家は手に入る。しかしそれによって若い世代が、本来、一定のコストをかければ体験できたであろう多種多様な人生経験ができなくなり、「機会損失の連続」に終わってしまう。人生が一軒の家と引き換えに終わるのでは、これは由々しきことで、社会的に莫大な損失になるだろう。
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