次世代中国 一歩先の大市場を読む
覚醒する中国人のプライバシー
~デジタル実名社会で揺れる個人の権利意識
Text:田中 信彦
「芝麻信用」に対する認可は事実上、下りず
個人のプライバシーに関する動きはまだ続く。
これも年明けの1月4日、中国人民銀行(中央銀行)は新たな企業横断、全国統一の信用情報調査会社「百行征信有限公司」(略称・信聯)の設立認可を発表した。この「信聯」の構成は業界団体の「中国インターネット金融協会」が36%を出資、アリババ系の「芝麻信用」、テンセント系の「騰訊征信」、平安保険公司系の「深圳前海征信」など民間の信用情報調査会社8社が各8%ずつで計64%、合計9者の出資で設立された会社である。これが何を意味するのかは多少、説明が必要だろう。
もともと今回、この信聯に出資した8社の信用情報調査会社は2015年初め、中国人民銀行から信用情報調査会社としての認可を受けるべく、各社個別に申請し、人民銀行もその線で審査を進めてきた。ところが審査の過程で人民銀行側と申請企業側、とりわけ突出した規模で信用情報サービスを提供しているアリババ系芝麻信用との間で思惑の違いが表面化。認可が保留されたまま3年近くが経過していた。
そして今回、人民銀行はついに決断を下し、8社に対する個別の認可を取りやめ、業界団体と8社をまとめた企業横断、全国統一の民間信用情報調査会社として信聯を設立する方針に転換した。要するに芝麻信用の信用情報調査会社としての認可は事実上、下りなかったことになる。最悪の場合、芝麻信用の業務は現状のまま継続することができなくなる可能性もある。
アリペイVS中央銀行
細かな経緯は省略するが、この問題の根底にあるのは信用情報に対する考え方の違いだ。人民銀行は、個人の信用情報とはあくまで過去の借り入れや返済などの客観的な記録であり、そこに定性的な判断は含まれないとの立場だ。これは中央銀行の姿勢としては当然のものだろう。一方、芝麻信用がすでに提供を開始しているのは、こうした客観的な情報だけでなく、個人の購買履歴や興味関心の領域、お金の使い方の特徴、交友範囲、さらには本人の申告による学歴や資産状況、自動車や不動産の所有といったより幅広い情報を収集、分析したものである。これらは中央銀行から見れば明らかに信用情報の概念を超えており、現行の法律に照らしても違法である可能性がある。人民銀行が事実上、認可を出さなかった理由はここにある。もともと中国の金融業界はアリペイの技術革新によって事業領域を大きく浸蝕されたとの意識が強くあるといわれ、その反感が判断に影響したとの見方もある。
シェア自転車や結婚情報サイトへの情報提供は不可?
今回設立された信聯の業務が具体的にどのようなものになるか、現時点では不明だが、報道によれば信聯が収集する情報は「最低限、適切なもの」で、個人の貸借記録のほか本人確認に必要な情報のみ、その用途も金銭貸借などの経済行為に限られる。収集した情報を結婚や社交(メンバー加入の資格審査)など金銭貸借と関係のない用途に使うことを禁止する。さらに収集した情報の活用には毎回、個別に本人の承諾が必要で、一度の承諾で反復、無期限に使用することはできない。情報は5年ごとに更新し、5年間を超えて保持することはできない――などとかなり厳格に情報の管理を定めるという。
芝麻信用もこの信聯の設立に参画しているのだから、この基準に従わざるを得ないだろう。例えば、芝麻信用が収集した顧客の信用情報を活用して高ポイントの顧客にシェア自転車やホテル宿泊のデポジットを免除するといった現行のサービスは提供できなくなる恐れがある。また現在、芝麻信用は中国の有力な結婚情報サービス会社やビジネスパートナー紹介会社などに個人の信用ポイントの情報を提供し、相手選びの有力な材料になっているが、こうしたサービスも継続が不可能になる可能性がある。
「金融当局のアリペイ潰しが本格的に始まった」とか「アリペイと芝麻信用は政府に首根っこを押さえられた。芝麻信用の命脈は尽きた」との極端な見方も一部にはある。今後の展開をみないと判断は難しいが、アリペイや芝麻信用の活動に一定のタガがはまりそうなことは間違いなさそうだ。
芝麻信用ポイントが低いと結婚できない
いずれにせよ指摘しておかなければならないのは、仮に中央銀行の判断の背景に金融界の「アリペイ憎し」の心情があるにしても、その根底にはプライバシーに対する中国社会の関心の高まりが存在しているということだ。
アリババグループの総帥、ジャック・マー(馬雲)は2017年1月、スイスのダボスで開かれた世界経済フォーラム(通称ダボス会議)でニューヨークタイムスのコラムニストとの対話中、こんな話をしている。
「芝麻信用は恋愛の必要条件になる。彼女のお母さんはあなたに対して『娘と付き合いたいなら芝麻信用のポイントを見せなさい』と言うだろう。レンタカーを借りに行けば芝麻ポイントを見せろと言われるはずだ。借金を返さなければ評価は下がり、アパートを借りることもできなくなる。もしニセモノを売る商売をすれば、すぐ芝麻信用の評価に反映される。これが私のつくり上げたいシステムだ」(訳は筆者)。
メディアはすぐさま「芝麻信用ポイントが低いと結婚もできない、と馬雲が語った」と大きな見出しで伝えた。こうしたわかりやすいモノ言いはジャック・マーの真骨頂で、彼の人気の秘密でもあるのだが、この発言は適切でなかったと思う。
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