次世代中国 一歩先の大市場を読む
14億「モンスター国民」のゆくえ ~ 中国社会の「法治」を考える
Text:田中 信彦
SUMMARY サマリー
社会の管理は「偉い人」の仕事
だから中国社会で暮らす人々にとって統治者の存在は水や空気のように当たり前であり、「自分たちで社会を管理する」という発想はほぼない。社会を統制し、「良い」世の中にするのは天から降ってきた「偉い人」の仕事であり、統治者がその仕事をうまくできなければ不満を言う。ただ、あまり強く文句を言うと身に危険が及ぶから、周囲の空気を忖度しながら要求を出したり引っ込めたりする。要は「社会を良くする」「社会正義を実現する」のは民草の責任ではなく、統治者の義務であるという点がポイントである。
そして、そのような状態を中国の普通の人々は、「喜んで」ではないが、受け入れている。それは、そのような状況しか体験したことがないから比較のしようがないこと、さらには統治者に対する不満はあれども、間違いなく「無秩序よりはマシ」だからである。
そして、統治者が仕事の遂行のために作る道具が「法」であり、それを使って世の中の秩序を維持することが「法治」である。人々は、統治者がそれを実行してくれるが故に、嫌々ながらも「税」という名の対価を払う。そういう構造が存在している。
「反日だから」ではない
このように考えれば、海外の空港で「困難に陥った」中国人旅行者が集団で国歌を歌う思考の道筋がご想像いただけると思う。
今年1月、成田空港で日本のLCC(ローコスト航空会社)上海行きの便が到着地の悪天候で出発できず、乗客が成田空港で夜通し足止めされる事態が発生した。航空会社の対応に一部の乗客が反発、係員と小競り合いになり、1人が警察に逮捕された。乗客たちは集団で中国国歌「義勇軍行進曲」を歌って抗議した。ご存じの方も多いと思う。
この出来事を伝える日本国内のニュースでは、中国には根強い反日感情がある。その日本に対する反発から「人民よ、奴隷にならずに立ち上がれ」という内容の国歌を日本の空港で歌ったのだといった趣旨の解説もあった。そういう気分もないとは言わないが、主要な背景ではない。その例証として、日本以外の空港でも似たような構造の抗議事件は起きている。
空港で国歌を歌った中国の人々が言いたかったのは、「われわれ中国国民の安全で快適な旅行を保証するのは中国の統治者の責任である。その中には航空会社や外国の政府に圧力をかけて必要な措置を提供させることも含む。それを直ちに実行せよ」ということである。当然ながら日本を含む議会制民主主義の国にはこんな発想はない。自分の問題は相手との契約に基づいて自分で解決するのが当たり前である。だから「空港でのトラブルに国歌」という行動は何が何だか訳がわからないのである。
そして今回の「国歌斉唱事件」は結果的に、中国政府の出先機関である在日中国領事館が収拾に乗り出し、ローコスト航空会社は領事館の顔を立てたのか、政治問題化することを恐れたのか、その間の事情はわからないが、普段は実施しないような特別待遇を中国人乗客たちに提供し、事は収まった。まさに中国政府は「責任」を果たしたのである。それは、こういう行動をしなければ政府としての威信が保てない統治者の苦しい立場の反映でもある。一方で中国政府は国民に対して「今後、こういう行動をしないように」とクギを刺した。そのことは後で触れる。
日本での中国人女性殺害事件に大きな反響
少し違う文脈になるが、2016年11月、東京都中野区で中国人の女子大学院生が刺殺される事件が発生した。事件自体の構図は、かつての女友達から交際を断られた男が、彼女が住むアパートで刃物を持って待ち伏せし、一緒に帰宅したルームメイトの女性を刺殺してしまったというもので、いわゆる「男女関係のもつれ」である。そのため発生当時、日本国内ではほとんど報道されなかった。しかし、この事件は中国国内では大きな注目を集め、一時期メディアを大いに賑わす話題となった。
その理由は、殺害された女性の母親が「犯人の死刑を求める」と必死の嘆願活動を行い、世論に訴えたことなどもあるが、最も大きな関心を呼んだのは、容疑者の男が「死刑になるかどうか」であった。そして、発生からほぼ1年後の17年12月、東京地裁で言い渡された判決は懲役20年。この結果に中国社会では議論が沸騰し、「軽すぎる。死刑にすべきだ」「中国で裁判をできないのか」「これでは日本は世界の犯罪者の巣窟になってしまうぞ」といった意見がネット上に飛び交った。
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