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米メガバンクの事例に学ぶ ~なぜChaseはデジタルバンキングサービスを終了するのか~

 2019年6月6日、JP Morgan Chase(以下、Chase)がミレニアル世代をターゲットに展開していたMobile Bankingアプリ「Finn by Chase(以下、Finn)」のサービスを、同年8月10日で終了することを発表しました。(Finnについては、過去記事を参照) 全米展開からわずか1年でのサービス終了については、意思決定のスピードに驚くとともに、米メディアでもその要因についてさまざまな考察がなされています。

 本記事では、主な要因とされている3つの点について考察します。

山口 博司 氏

NEC Corporation of America
Business Development Manager

システムエンジニアとして金融機関向け業務アプリケーション開発・システム企画を経て、2016年6月よりシリコンバレーにて米国発の新技術・サービスの調査、活用の企画・推進に従事。

サービス終了までの経緯

 Finnは2017年10月、当時Chaseの支店網がなかったミズーリ州セントルイスにて試行が始まり、その後2018年6月末に全米でサービスが展開されました。

 Finnは具体的な開発の開始時期を公表していませんが、責任者であるMelissa Feldsher氏は2016年からHead of Finn by Chaseのポジションに就いています。Feldsher氏は今年3月に別のポジションも兼任されていることから、その頃にはFinnのサービス終了が決まっていたのではないかと推測できます。

 つまり、Finnは本格的な全米展開からわずか半年強でサービス終了の判断を下したことになります。Finnはサービス開始当初、スタートアップのような継続的な機能改善を明言しており、まだまだこれからという時期の終了発表に米メディアではさまざまな考察がなされています。

口座保有者への主な影響

 サービス終了に伴い、Finnの口座にあるお金はどうなるのでしょうか?Finnの口座保有者へ送付された公式な通知によると、Finnの運営母体であるChaseに新しい口座が作られ、預金は全てその口座へ移行されるようです。Chaseへの移行にあたっては、利用者への影響が最小限で済むよう配慮されていますが、それでもいくつかの注意点があります。まず、Finnの代わりにChaseのデビットカードが新規で発行されますが、口座番号やPINはFinn利用時のままとなります。公共料金などの支払い口座にFinnを指定している利用者への配慮ですが、セキュリティコードと有効期限が変わっている点は注意です。Chaseのモバイルバンキングアプリを持っていない利用者は新たにダウンロードする必要もあります。が、ログイン情報(ユーザー名&パスワード)はFinnの情報を引き継ぐため、新たに設定する必要はありません。Finn固有の機能の1つであったAutosave(小額貯金)は、Chaseにも同機能が追加されますが、設定情報(独自に作成した貯蓄ルール)は残念ながら引き継がれません。利用する際にはChaseアプリにてルールの再設定が必要となります。その他、ChaseのATMは無料のまま利用できますが、パートナーのATM利用時には手数料がかかるようになってしまう、などが挙げられます。

 サービス終了に至った3つの観点

 なぜFinnは、この短い期間でサービスを閉じることになったのでしょうか。ここでは、「①顧客の支店に対するニーズ」「②既存サービスとの差別化」「③運営母体の戦略」の3つの観点で見ていきます。

①顧客の支店に対するニーズ

 Finnは、Chaseが支店網を展開していなかったミズーリ州セントルイスにて試行が開始された通り、もともと支店がない地域の顧客に提供することが前提の ”Digital First” なサービスでした。特に金融サービスをこれから利用し始める若い世代を早期に取り込み、時間の経過とともにChaseの既存商品へと誘致する、いわゆるマーケティングチャネルとしての役割を担っていたと思われます。

 しかし顧客は、本当に”Digital First”な銀行サービスを求めているのでしょうか?金融サービスを専門とするリサーチファームCELENTの2018年の調査によると、Digital Chanelに対する金融機関と顧客との実際のニーズにはギャップが生じています。支店を利用せず、デジタルな方法(オンラインバンキング・モバイルアプリ)のみで銀行を利用することを好む消費者の割合は6%のみですが、金融機関の幹部の多くはこれを15%と認識しています。また一方で、金融機関側は対面でのやりとりを好む顧客の割合を45%と考えていますが、実際には55%であるということが調査から明らかになりました。金融機関が対面取引を過小評価していることが分かります。

(画像:CELENTの資料を元に筆者作成)

 また、米国とカナダの銀行の顧客4,000人以上を対象にしたAccentureの調査(1)によると、顧客は支店に立地的利便性よりも人との対話を求めていることが分かりました。同調査では、全体で87%(ミレニアル世代の86%)もの人々は、将来的に支店を利用するつもりだと回答しています。オンラインバンキングの普及により、米銀行全体の支店数は2009年の99,550をピークに減少傾向(2)ですが、上述のように顧客の支店に対する期待は依然として高く、”Digital First”なサービスへのニーズは、北米でさえ、まだそれほど高いわけではなかったようです。

②既存サービスとの差別化

 ChaseのMobile Bankingは5,700万人以上のアクティブユーザーを抱え、業界をリードしています。一方のFinnは具体的な数は公表されていませんが、約23万人がアプリをダウンロードしたと推定されています(3)(4)。しかしながら関係者によると、その半分以上はChaseの利用者が占めていたとのことです。新しい顧客を獲得するサービスのはずが、同じ組織内で利用者を取り合う形となってしまっていたのです。

 その要因の1つとして、FinnにはChaseとの差別化を図るような決定的な機能がなかったことが考えられます。Finnが単独で成功するためにはChaseとは異なる機能・サービス、価格設定・ターゲット、そして異なるインフラが必要でした。しかし、実態としてFinnの利用者はChaseの支店窓口を利用できるほか、小切手やATMも利用することが出来ます。これはこの2つのモバイルアプリが同じバックエンド/インフラ上に構築されていたためで、その結果、Finnが提供するサービスはChaseの一般的なサービスと似通っていました。各種利用手数料を抑えたいChaseの利用者が、Finnを「手数料が優遇されるChase」と認識して申し込みをすることは、自然な流れだったと言えるでしょう。

③運営母体の戦略

 最後にFinnの運営母体、つまりChaseの戦略とFinnの役割にズレが生じたことについて考察します。上述の通り、FinnはもともとChaseの支店がない地域をカバーすることを前提に作られたサービスですが、Chaseはその支店網を拡充しています。具体的には、「今後5年間で行う$20Billionの投資の中で、これまで進出していない都市を含む、400の新しい支店を開設する」計画を昨年発表しています(5)。実際に去年から、これまでChaseの支店がなかった地域で支店の新規開設を実施しており、今年3月には最大90支店を年内に追加で開設することを発表しました(6)。その対象地域の中には、Finnの試行を実施したミズーリ州セントルイスも含まれています。

 またChaseは昨年2月に、オンラインで口座開設手続きを完結させる「Digital Account Opening」を開始しました。これにより口座開設にかかる時間を3~5分にまで削減でき、サービス開始から累計で150万もの口座を開設してきました(7)。支店に行かなくても口座開設ができる同サービスは、Finnの特徴の1つでしたが、Chaseが同機能を追加したことによりFinnの独自性が薄れてしまいました。

 Chaseはさらに、今年3月ミレニアル世代やアンバンクト(unbanked)(8)向けと思われる低コストの口座サービス「Chase Secure Banking」を発表しました(9)。月額$4.95の利用料が必要ですが、当座貸越手数料やATM利用料がかからない当座預金口座が提供され、請求書支払い、口座振替、残高確認、電子小切手といった基本的なサービスをモバイルアプリで利用できます。Finnがターゲットとしている顧客層を狙ったChaseの新サービスで、さらにFinnの役割が不明瞭になっていったのです。

 サービス開始から間もないFinnには新たな市場の開拓や独自機能の開発を行っていく選択肢もあったはずですが、Finnは独立組織ではなくChaseが所有しているため、その戦略を支援するためのコストは最終的にはChaseの戦略・予算に左右されます。ChaseはFinn という別ブランドの機能強化ではなく、既存ブランドのサービス拡充を優先させ、Finnのサービス終了を選んだと言えます。

 ここまで見てきた通り、大規模な金融機関が既存ブランドの成長を確保しながら新しいブランドや商品を拡大していくことは、非常に難しいようです。米Goldman Sachsグループが2016年10月より開始したオンライン融資プラットフォームMarcusは150万人以上の利用者を集め(10)、融資額も2年足らずで$40億を超える(11)など、急成長しています。しかしその成果は株価に反映されておらず、CEOのDavid Solomon氏は「投資コミュニティの誰からも、まったく信用を得られてない。」と従業員に語ったほどです(12)。JP Morgan Chaseにおいても、Finnのサービス終了発表日前後でその株価に大きな影響はありませんでした。

 これは、多くの顧客・投資家が、まだDigital Bankingを受け入れる準備が整っていないことの表れかもしれません。それまでには、Chaseが今回の教訓を活かした第二・第三のDigital Bankingを世の中に送り出してくれることを期待しています。