2017年03月30日
地方創生現場を徹底取材「IT風土記」
兵庫発 神戸ビーフに続け…灘の酒、世界ブランドに挑む
復活へ知恵を絞る全国随一の酒どころ
灘五郷は、兵庫県西宮市から神戸市灘区大石まで沿岸約12キロメートルにわたる地域を指す。灘という地名は、江戸時代から使われており、当時は今より広い範囲を指していたが、明治中期以降は、東から順に、今津郷、西宮郷、魚崎郷、御影郷、西郷の5つの郷を灘五郷と呼ぶようになった。灘地方は、宮水と呼ばれる良質な水を持ち、厳しい冬の寒気など、清酒醸造に適した気候条件を備えている。この地域には、丹波杜氏の伝統の技が古くから受け継がれており、全国でも随一の酒どころとして栄えてきた。
しかし、日本酒を取り巻く環境は厳しい。国内市場も他のアルコール飲料との競合などにより、縮小傾向にある。日本酒の国内出荷量はピーク時には170万キロリットルを超えていたが、現在は60万キロリットルを割り込む水準にまで低迷している。灘五郷酒造組合の壱岐正志常務理事は「日本酒を好んで飲んでもらっていた世代が、高齢化する一方で、働き盛りの世代の好みが多様化している」と話し、新たな顧客層の開拓が欠かせないとの考えを示す。とくに、灘地方については、1995年1月17日に発生した阪神大震災で被害を受けており、灘五郷酒造組合の藤井篤事務局次長は「この地域には中小蔵元が多く、廃業に追い込まれるケースも見られた」と振り返る。
インバウンド需要の増加は、灘の酒の復活に道を開くかもしれないチャンスといえる。神戸市は2014年11月に「神戸灘の酒による乾杯を推進する条例」を施行するなど、灘の酒の普及促進をバックアップ。灘五郷酒造組合も、「灘のお酒でカンパーイ!」と題したキャンペーンを展開したり、海外での普及イベントで灘五郷のブースを出展するなど、さまざまな活動を展開している。
日本の食文化や伝統を海外に発信
「インバウンド需要の取り込みも大切だが、日本の伝統や文化、日本の良さを世界に伝えるため、輸出にも力を入れていきたい」。菊正宗の嘉納逸人副社長は力を込める。2013年12月、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録された効果を見越した同社の海外戦略は、清酒の最大の輸出先である米国を中心に、コメ文化を持つ東南アジアや中国などの開拓を目指している。日本料理店のほか、贈答用や家庭で楽しむための小売店での販売など多面的に展開する方針だ。
具体的には、現地のパートナー企業と連携し、日本酒文化の普及に力を入れる。嘉納副社長は「食べ合わせや飲み合わせ、純米酒や吟醸酒といった種類、どんな器を使うかといった飲み方まで、講師としてレクチャーするなど地道に情報を提供している。ウェブサイトの多言語対応はもちろん、能動的にフェイス・トゥー・フェイスでつながるような場所を少しずつ作っていきたい」という。

鏡開きのセレモニーも海外で広めたい考えだ。嘉納副社長は「樽の酒を升で乾杯すると、味わい、雰囲気が違う。徳川4代将軍の家綱が、戦に出る前に景気づけに大名の前で舞を舞ったというのが鏡開きの始まりという説もあり、集まった人たちとの一体感も出てくる。シャンパンでの乾杯とは違った趣がある」と話す。もっとも、釘もノリも使わない樽詰めの輸出は、輸送中に漏れるというリスクがある。このため、樽の中にステンレスを入れておいて、樽酒の瓶詰商品と一緒に輸送し、ステンレスの中に酒を入れてもらって仮蓋を割るという雰囲気を楽しむようなやり方を採用しているという。
財務省の貿易統計によると、日本酒の国内出荷量は減少傾向にある一方で、輸出量は近年増加傾向にあり、2015年の輸出数量は1万8180キロリットルと10年で倍増している。輸出金額も、2013年に初めて100億円を突破し、2015年には140億円となっている。
ただ、菊正宗の嘉納副社長は「和食のユネスコ無形文化遺産の登録で世界の視線が日本酒にも注がれるなどムーブメントが先行する一方で、日本酒に関する情報を伝えていく取り組みが追いついていない」と日本酒のブランド化に関する課題を指摘する。日本酒メーカーは中小企業が多いため、単独での海外マーケティングには限界がある。国や産地、業界が機動的に連携し、日本を訪れるインバウンド向けに日本酒を紹介する一方で、海外市場に向けての情報発信を強化するなど両面での取り組みを進めていけるかが問われている。