2021年02月05日
成長と持続性を両立させる“New Commons”という新たな価値基準
~NEC未来創造会議講演レポート
実現すべき未来像と解決すべき課題、そしてその解決方法を構想するプロジェクト「NEC未来創造会議」は4年目を迎え、今年度はCOVID-19以降の社会のあり方を問うべく成長と持続性を両立させる可能性を論じてきた。去る2020年11月に行われた「NEC Visionary Week」で開かれた特別セッションにおいては、今年度の有識者会議に参加したゲストらが集結し“New Commons”という新たな社会の価値基準を提示。この価値基準を巡って展開されたトークからは、いまわたしたちが考えるべき問題の姿が見えてきた。
コモンズから社会をつくる
「人新世と呼ばれる時代を生きるわたしたちは、人が豊かに生きる社会を実現するために、地球の持続可能性と社会の成長を両立させる基盤をつくらなければいけないはずです」
NEC未来創造会議の始動時から本プロジェクトを牽引してきたNECフェロー・江村克己はそう語り、トークセッションの口火を切った。「持続可能な未来に向けた人と社会の新たな価値基準“New Commons”」というセッションタイトルに表れているように、江村が語る基盤をつくるうえで重要となるのが“New Commons”なる概念だ。
本セッションに先立って行われた文明評論家のジェレミー・リフキン氏による基調講演においても、限界費用がゼロに近づき第三次産業革命によって文明の変化が起きた先にコモンズ(共有材・公共財)を通じて新たな社会をつくっていく必要性が説かれている。同氏によれば、数多ある国のなかでもとりわけ自然との共生が文化に根付いている日本は新たなコモンズをつくりだせるはずだという。
リフキン氏の講演を下敷きにしながら行われたトークセッションでは、日本で生きるわたしたちが実際に“New Commons”をつくっていく可能性を論じるべく、今年度の有識者会議に参加した有識者らが集まった。第1回に参加したジャズピアニスト/数学研究者の中島さち子氏に、第2回に参加した経済思想家の斎藤幸平氏、第3回に参加した建築家の藤村龍至氏が登壇。昨年度に引き続き『WIRED』日本版編集長の松島倫明によるモデレートのもと、“New Commons”をめぐる議論は始まった。

日本的な価値観が可能にするもの
今年度3回にわたって行われた有識者会議は、成長と持続可能性の両立というテーマをめぐって「INDIVIDUAL」「SOCIETY」「TECHNOLOGY」というキーワードが各回に設定されていた。すべてに参加した江村が「議論の内容はすべてつながっていました」と振り返るとおり、それぞれの会議は異なった対象について議論しながらも、同時にCOVID-19を経て社会が大きく変わっていくなかで考えるべき新たな価値軸を見つけ出そうとするものだっただろう。
とりわけ今回のテーマとなる“New Commons”と親和性が高い議論を展開したのは、「SOCIETY」をキーワードとして「経済成長と地球の持続性を両立する社会の在り方」と題された第2回の有識者会議に登壇した斎藤氏だ。同氏は昨年刊行した著書『人新世の「資本論」』のなかで「脱成長コミュニズム」なる考え方を提示しているが、それはまさにリフキン氏やNEC未来創造会議の目指す未来像と共鳴していることを明かす。

マルクス『資本論』の再読を中心にして展開される同氏の『人新世の「資本論」』は昨年多くの人々に注目された
「コミュニズムと聞くとギョッとされる方も多いかもしれませんが、コモン社会とはリフキン氏の言うコモンズを広げていく考え方そのものです。同時に彼は失われた自然をもっと取り戻さなければいけないと語っていましたが、そのためには現代社会を覆う無限の大量生産・大量消費のサイクルを止めて脱成長の道に進まなければいけないでしょう」
他方の藤村氏も、公共空間の設計を通じてコモンズの形成に携わってきたといえよう。藤村氏は「日本最大のコモンズは日本列島だと思うんです」と語った。
「田中角栄は1972年に日本列島改造論を発表し、日本中を橋とトンネルでつなぐことで経済成長の原動力を生み出しました。建築をネットワークすると都市が生まれ、都市をネットワークすると国土ができる。そうしてできた国土がいまの日本人にとっての最大のコモンズであり、リフキン氏が語るビジョンを日本で実現するためには日本列島というコモンズをどう活かしていくかが切り口になるはずです」
かように藤村氏が建築や都市の観点からコモンズを捉えるとすれば、中島氏は人に着目する。中島氏によれば、日本と海外では人間観に違いがあるという。
「欧米の方が人と自然を分けて考えるのに対して、日本は少しプリミティブな感覚が残っていますよね。自分と他者が融合していたり、自然との境界線も曖昧だったりする。ただ、他方では海外の方がさまざまな価値観を前提に議論できるのに対し、日本は社会が分断されているのもたしかだと思います。まさにいま変革のタイミングを迎えようとしているのかなと」
松島が「コモンズといっても同質的な集団をつくるわけではなく、異質なものをつなげていくことにこそ価値があるわけですよね」と応じるとおり、コモンズとは人々を等しくつなぐものであると同時に多様性を豊かにしていくものでなければならないだろう。

藤村氏は建築や都市計画の観点から日本がつくってきた文化の価値を再評価する
大きな目標を共有する重要性
ただし、ひとくちにコモンズをつくるといってもそう簡単にできるわけではない。環境問題への対策には決まった正解がないように、とりわけ地球環境を基盤にコモンズをつくることは難しい。斎藤氏はこうした現実を踏まえながらも、いま若年層を中心に新たな価値観が生まれているのではと指摘する。
「グレタ・トゥーンベリの登場が顕著ですが、いま若い世代は気候変動をはじめとする世界の変化に恐怖や不安を感じながらも、これまでの資本主義システムに対する強い怒りをもっている。経済成長に対する批判が若い世代のなかでは支持を集めるようになっていて、われわれとはまったく異なる新しい価値観が生まれていると思うんです。人間を自然の一部と捉えなおしてべつの豊かさを考える動きは強まっているし、今後は目先の利益に囚われない動きが増えていくんじゃないでしょうか」
人々の価値観が変わりつつあるタイミングだからこそ、豊かな多様性を担保しながらも同じ目標を設定していくことが重要だと江村は語る。
「もともと日本にはコモンの文化があったものの、俯瞰で物事を見ることが苦手でもある。だからこそ、現代の日本列島改造論をつくるように、どこに向かうのか、それをどうつくるのか、共通の目標を定義することから具体的なアクションに落とし込んでいくべきだと思います」

江村の発言を受け、藤村も目標の共有は重要だと応じる。藤村が専門とする建築や都市計画の領域においては市民参加が進んだことでかつてのように建築家がトップダウンで意思決定を行なうことが難しくなっており、合意形成がより重要になっているという。
「わかりやすいビジョンが見えないと合意形成が難しくなりやすい。丹下健三が活躍していたころは「太平洋をベルト状に結ぶ」とわかりやすい目標が設定されていたし、先程挙げた田中角栄も「太平洋側と日本海側をつなぐ」と社会課題を空間に置き換えることで目標設定を行なっていました。現代は再び社会の課題を空間など具体的なものに置き換えてわかりやすく目標を設定できるアーキテクトが求められているように思います」
松島は「いま世界で論じられているグリーンニューディールやスーパーインターネットはまさに現代版の列島改造計画であり、ある種のテラフォーミングともいえると思います」と言うように、藤村氏が指摘したような目標設定を可能にするテクノロジーはすでに登場しているはずだ。しかしテクノロジーだけでは駄目なのだと江村は指摘する。
「テクノロジーを筆頭にツールはすでにあるけれど、誰もがイメージしやすい世界を描くナラティブがないんですよね。ナラティブがなければテクノロジー中心主義に陥ってしまうため、空間だけでなく人間の側がどう変わっていくかも示していく必要があるはずです」

ジャズや数学、教育など分野を問わず活躍する中島氏は、豊かな多様性を体現する存在でもある
プレイフルという新たな豊かさ
人間の変化を考えていくうえで、中島氏は新たな学びの在り方を提示する。中島氏はSTEAM教育に取り組んでおり、 Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、 Arts(アート・人文科学) 、Mathematics(数学)、を統合的に学べる環境をつくっているが、同時に「プレイフル・ラーニング」が重要なのだと語る。
「高い視座やメタ視点を獲得し共通の目標を設定するうえで、同志社女子大学の上田信行先生がよく使われているプレイフル・ラーニングという概念は示唆に富んでいます。プレイフルとはみんなで楽しくやることではなく、真剣であること柔軟であることを意味しています。現代のように社会が分断された状況で共創を目指すと必ず意見が異なる人々の衝突が生まれますが、真剣かつ柔軟であることでその衝突もプレイフル・クラッシュになるというか。プレイフルな精神をもつことで、分断を乗り越えていけるのではと考えています」
社会課題や環境問題の解決は容易ではなくこれまで享受してきた豊かな生活を否定する側面もあるが、プレイフルとはこれまでとは異なる豊かさの提示でもあるのかもしれない。斎藤氏は経済成長やGDPに基づかない豊かさの可能性を問う。
「脱成長を主張すると貧しくなると思われがちなのですが、GDPでは測れない豊かさを取り戻すことでもある。むしろこれまでわたしたちはGDPに駆り立てられるあまり、プレイフルに生きる余裕を失い、競争型でストレスに満ちた社会のなかで生きなければいけなかった。だからこそ経済的には豊かなのに自殺する人も多く、幸福度が低い社会が生まれてしまった。わたしたちはいまこそもう一度、何のために社会があるのか、何のために企業があるのか考えなければいけない。価値観を問い直す分岐点にわたしたちは立っているんじゃないでしょうか」

NEC未来創造会議始動時から同プロジェクトに携わってきた江村は、NECの立場からこれからの技術開発のあり方について語った
そう語る斎藤氏に対し、江村は「ウェルビーイング(well-being)」という概念を挙げながら多様な評価軸の重要性を提示する。
「GDPだけで物事を判断するとウェルビーイングのような多様な豊かさは実現できないでしょう。過去のNEC未来創造会議でも多様な評価軸の重要性について議論されましたが、みんながこれまでの尺度を疑っていく必要がある。たとえばCOVID-19を経てフランスの経済学者ジャック・アタリが『命の経済(Economy of Life)』という概念を提唱しエッセンシャルワーカーの重要性を問うたように、命や文化、教育など、わたしたちにとって本当に重要なものをもう一度考えなおしていかなければ次の社会は描けないのだと思います」
江村の発言は、中島氏が取り組むSTEAM教育の実践とも繋がっている。中島氏は「とくに日本ではSTEAMのArtsが重要で、現代のように問いそのものが揺らいでいくなかではArtsを通じて問いをつくっていかなければいけないはずです」と語り、多角的な視点の重要性を説く。
「もはや20世紀のようにわかりやすい課題が転がっている時代ではないですし、単にテクノロジーで効率を上げるだけでは解決できない問題が増えています。視座を高くし本質を追い求めることで、ただ自分の楽しさを追求するだけではプレイフルになれないことに気づけますし、誰かのことを想う利他的な心や共創の精神が育まれていくのではないかと思うんです」

昨年に引き続きモデレーターを担当した松島氏が編集長を務める『WIRED』日本版でも、コモンの概念は取り上げられている
テクノロジーとの向き合い方を見直す
ここまでの議論では単なる技術による課題解決ではなく豊かさや人間観の再定義が問われてきたが、言うまでもなく技術との向き合い方も問われなければならない。もはや技術とは無色透明なものではなく、扱う側の倫理観や世界観が反映されるものでもあるからだ。建築という領域で技術と社会、技術と環境の交点に身をおいてきた藤村氏は次のように語る。
「多様化・多元化を目指さなければいけない一方で、いまの日本は環境問題を解決しようとゼロエネルギー原理主義に向かって議論が単純化されつつある。つねに自己批判の回路を担保する必要があるはずです。そうでないと文化的な価値やアクセシビリティが軽視されてしまう恐れもある。環境負荷を低減させながら、テクノロジー偏重に陥らないような考え方をつくっていく必要があるのではないでしょうか」
テクノロジーの発展によってその効力が増大するのと同時に、わたしたちはつねにテクノロジーを疑いつづけなければいけないだろう。斎藤氏もダークネットやプラットフォーマー寡占の問題を指摘する。
「新たな技術が生まれると自動的に新たな社会が生まれるようにも思えますが、現にいまGAFAのようなプラットフォーマーによる独占も生まれていますし、ものすごい格差社会がつくられていく危険性もある。テクノロジーはあくまでもツールにすぎないわけで、市民が企業の動向を批判し、法律の規制を求めていく動きも今後は重要になるはずです」

斎藤氏の指摘は、NECのように先端的な技術を扱う企業にとって避けて通ることのできないものだろう。江村は「これまでNECは技術を提供することに価値を見出してきたけれども、本当は次の社会をつくる役割を担わなければいけないし、テクノロジーをオープンなものにしていかなければなりません」と語り、コモンズをつくっていくために企業が変わっていく必要性を強調する。
「技術を開発するだけでなく、技術によってつくりたいものを明確にしなければいけない。それはNECだけでできることではなく、さまざまなパートナーと一緒に開かれたエコシステムをつくることで実践へとつながるのだと思います。社会課題が深刻化しているからこそ、これからは今日議論したことをより具体的な行動に変えていきたいと思っています」
NEC未来創造会議が数年かけて議論してきた社会変革の方策は、気候変動の加速やCOVID-19のようなパンデミックによって、ますます重要なものとなっている。多様な有識者を交えた議論の末に生まれた“New Commons”という新たな価値基準の実践やその拡充に向かって、これからNEC未来創造会議はより一層社会実装を進めていくことになるだろう。