

「子どもたちをケガから守りたい」C&Cユーザーフォーラム&iEXPO2018より
重症化してからでは遅すぎる。子どもたちをスポーツ嫌いにしない処方箋とは
ケガをおして試合に出場し、痛みに耐え抜き、栄冠を手にする──。これが感動を呼ぶ鉄板のストーリーになったのはいつからだろうか。だが、最近はこうした風潮も少しずつ変わりつつある。「ケガを予防し無理をさせないこと」がスポーツ選手や子どもたちを守ることになるという事実が浸透し始めたからだ。ただし、口で言うほど簡単なことではない。ここでは、C&Cユーザーフォーラム&iEXPO2018で開催されたセミナー、「フィジカルチェックでスポーツのケガを予防する ~新たなスポーツ文化創造への挑戦~」から、ケガの予防に向けた新しい取り組みを紹介したい。
重症化してスポーツから離脱する子どもたち
例年と同様、2018年の夏の甲子園でも、高校球児たちの熱闘に日本中が沸いた。中でも話題をさらったのが、連戦連投でチームを勝利に導いたエースたちの活躍ぶりだ。しかし、スポーツ選手のケガに対する関心の高まりに呼応して、球児たちのオーバーワークに賛否両論が寄せられたのも事実である。
現在、NECと法政大学は、フィジカルチェックシステムの開発に向けて共同研究を行っている。その中心メンバーとしてプロジェクトを牽引するのが、法政大学の佐藤 祐輔氏とNECの織戸 英佑だ。

スポーツ健康学研究科
アスレティックトレーナー、理学療法士
佐藤 祐輔 氏
2人は、フィジカルチェックに関心を持つきっかけとなった、自らの経験を語った。筋金入りの野球少年だった織戸は、少年野球で活躍し、高校時代は4番打者として母校を西東京ベスト8に導いた。高校卒業後は草野球でプレーを続けたが、肩と肘の故障を繰り返し、投球ができないほど肩の痛みが悪化。スポーツ専門整形外科に通って、治療とリハビリを行うことになった。
だが、自身のケガ以上に織戸を苦しめたのは、少年野球チームで指導していた教え子のケガだった。「当時、小学6年生だった選手のA君が、ボールの投げすぎで“野球肘”を発症。6カ月の投球停止となり、野球部を退部してしまったのです。指導者として、なぜA君を守れなかったのか、どうしたら子どもたちをケガから守れるのか、と悶々としていました」(織戸)。

SI・サービス市場開発本部
主任
織戸 英佑
折も折、織戸のリハビリを担当したのが、現在のパートナーである佐藤氏だった。佐藤氏は、日々の治療を通じて、ケガ予防の大切さを痛感。仕事のかたわら、地域のスポーツチームのためにフィジカルチェックを行っていた。
「子どもたちは膝や肘に痛みを感じても、すぐに病院に来るわけではない。スポーツができなくなるほど重症化して初めて、来院する子が多いんですね。そうなると、練習や試合も休まざるをえず、時には手術もしなければならない。なんとか現場でケガを予防できないものかと思い、ボランティアでスポーツチームのフィジカルチェックを始めたのです」(佐藤氏)
とはいえ、従来のフィジカルチェックは、角度計を使い、マッチ箱を蹴って、半日がかりで関節可動域の測定を行うアナログな手法。選手30名の測定をするには、理学療法士など総勢20名のスタッフが必要となる。文字通りの人海戦術で、「年に1回できるかどうか」というのが現実だった。
佐藤氏が織戸と出会ったのは、ボランティアでのフィジカルチェックに限界を感じていた矢先のことである。奇しくも問題意識を共有していた2人は、意気投合。その後、佐藤氏が法政大学大学院に進学したのを機に、プロジェクトは一気に動き出した。ITを活用したフィジカルチェックシステムの開発に向けて、NECと法政大学との共同研究がスタートしたのである。
そもそも、フィジカルチェックにはどのような意義があるのか。
フィジカルチェックとは、一人ひとりの柔軟性や筋力を評価し、ケガの予防とパフォーマンス向上を促す活動である。いわば“スポーツ選手のための健康診断”のようなものであり、「今後ケガをする可能性がある人を、早期発見し、予防を促すための活動です」と佐藤氏は説明する。
「スポーツのケガには、障害と外傷の2つがあります。転倒や衝突などによって起こる外傷とは違い、障害というのは慢性的なもの。肘の靭帯や肩の関節の障害は、特定の部位に、繰り返しストレスが加わることによって発生したものです。そこで、フィジカルチェックでは、“ケガになりやすい体”かどうかを事前にチェックし、ケガを未然に防ぐためのアプローチを行います。十分な筋力や柔軟性を持たない子どもが、プロの打ち方を真似すれば、土台が崩れてケガをしたり、パフォーマンスが頭打ちになったりする。それを予防するために、土台となる身体をしっかり作ることが、フィジカルチェックの目的です」(佐藤氏)
それでは、フィジカルチェックではケガ予防のため、具体的にどのようなアプローチを行うのか。「米国メジャーリーガーを対象とした調査研究では、『肩関節屈曲(腕を上に挙げる角度)の左右差が5度以上あると、次のシーズンでケガをする確率が2.8倍になる』という研究成果が出ています。逆にいえば、ケガをする前に、肩の可動域を上げるトレーニングをすれば、ケガを予防できる可能性が高まるということになるわけです。つまり、ケガの予兆となる柔軟性と筋力の低下を早期に発見し、必要な改善トレーニングを行うことによって、ケガを未然に防ぐ。それがフィジカルチェックの目指すところなのです」と佐藤氏は語る。
世界のトップリーグとは事情が異なる、Jリーグのケガ予防対策
一方、プロスポーツの現場では、ケガ予防の対策はどのように行われているのか。ジェフユナイテッドのチーフトレーナー・山本 純氏は次のように語る。

チーム統括部 医務グループ
チーフアスレティックトレーナー
山本 純 氏
「ジェフユナイテッド市原・千葉では、毎年1月、選手30人のフィジカルチェックを行っています。ここで柔軟性や関節可動域の状態を事前に把握し、ケガのリスクが高い選手がいれば、予防のためのトレーニング・メニューを個別に組んで実施します。しかし、シーズンが始まってしまえば、時間の制約もあり、全員でフィジカルチェックをする機会はない。測定データも、指標としての使い方しかできていないのが実情です」
ジェフユナイテッド市原・千葉の選手は、シーズン中は朝8時からマッサージやストレッチ、トレーニングを行い、10時から2時間ほど練習を行う。その後も、マッサージを受けたりストレッチをしたりしてコンディションを整え、1日を終える。それでも、年間約50件のケガが発生すると山本氏は言う。
フィジカルチェックの回数を増やして、ケガ予防に力を入れたいのはやまやまだが、選手全員のチェックをするには2時間かかる。このため、思うに任せないのが実情だという。
しかも、ジェフユナイテッドが運営するのは、Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉だけではない。下部組織の男子U-18、U-15に加えて、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースとその下部組織である女子U-18、U-15もある。各チームに配置されたトレーナーは、トップチームで4名、その他のチームはわずか1名。全選手に対して十分なケアができているとはとてもいえないのが、日本のプロサッカーチームの現状だ。
「イングランド・プレミアリーグのチームでは、週1回コンディショニング・チェックを行っていると聞きました。スタッフが潤沢で環境も整っているので、朝、選手の体をチェックして、状態がよくない選手に対してはケガ予防の対策を講じているそうです。一方、日本では、J1のトップクラスのチームでも、その段階には達していない。Jリーグは試合が週1回・月4回あり、10試合もすると選手が疲労や痛みを訴え始める。それを考えると、最低でも月1回はフィジカルチェックをやりたい」(山本氏)
山本氏が指摘するように、日本のプロスポーツ界におけるフィジカルチェックへの取り組みは進んでいるとは言い難い。それにも増して厳しい状況なのが、ユースチームや学生スポーツの現状だという。
しかし、フィジカルチェックとは本来、子どもの頃から継続的に行うことによってこそ真価を発揮するものなのだ。
「少年期にケガをすると、成人後にケガが再発するリスクが高くなります。ある調査で、大学野球の選手に野球肘の既往歴を尋ねたところ、『小中学生の時にケガをしたことがありますか』という問いに対して、85.7%がイエスと答えたそうです。子どもの骨には『骨端線』という隙間があり、骨が成長するためのバッファの役割を果たしている。ところが、競技で身体を酷使すると、骨端線がはがれて炎症を引き起こし、将来、ケガの原因となる時限爆弾を抱えてしまう。それが何かの拍子に爆発し、“野球肘”を発症してしまうのです。したがって、子どものうちに“時限爆弾を作らせない”ことが非常に重要です。その領域まで、我々は取り組んでいきたいと考えています」(織戸)
測定データの収集・分析を進め、スポーツ界に警鐘を鳴らしたい
では、フィジカルチェックシステムに求められる要件とは何か。
佐藤氏や山本氏が指摘するように、1回に2時間~半日かかる従来の方法では、スポーツの現場に本格的に導入することは難しい。スポーツチームが日常的にフィジカルコンディションの測定を行うためには、「専門家の立ち合いが不要で、誰もが短時間で正確に測定できるシステム」であることが前提となる。
こうした分析結果を踏まえ、NECは法政大学と連携して、独自にフィジカルチェックシステムを開発した。これは、3Dセンサカメラの前に立ち、測りたい姿勢を取るだけで、関節可動域・距離を簡単に測定できる仕組み。画面で自身の姿勢を確認しながら測定することができるほか、測定後には、画面に測定結果が表示され、自身の可動域の最大値とリアルタイムの測定値を一目で把握することもできる。
このような3Dセンサの活用により、測定と評価がわずか3分で済むようになり、日々の測定を短時間かつ手軽に行うことが可能になったことは非常に大きい。


セミナー終盤では、実際にフィジカルチェックシステムを利用して、参加者代表の動きを測定。両足ジャンプ、片足ジャンプなどの動作を測定し、その分析結果を聴衆に披露した
また、従来の人手による測定方法では、最大25度の誤差が生じていたが、機械測定の導入により誤差が解消。データの正確性が飛躍的に向上したことに加え、従来は1~2週間を要していた評価・分析のフィードバックもスピードアップ。ITとモバイルの活用によって、選手個人の状態に応じた改善トレーニングの情報配信が迅速に行えるようになった。
最後に山本氏と佐藤氏は、それぞれの立場から、フィジカルチェックにかける熱い思いを表明した。
「地域の子どもたちの中からタレントを発掘し、よい選手を育成してトップチームに上げていくことが、日本サッカー界のレベルアップにつながる。このシステムを活用して、選手のケガ予防の指標となる数字を収集・分析し、ケガを理由にサッカーを辞める子どもたちや、引退するサッカー選手を出さないようにしたい。このフィジカルチェックシステムの取り組みを通じて、地域のお役に立てるような仕事をしていきたいと思います」(山本氏)
「甲子園で連戦連投した投手は、果たして投げすぎか、そうではないのか──議論は尽きませんが、このシステムで、ケガのリスクが高い選手のスクリーニングができれば、根拠を持ってスポーツ界に警鐘を鳴らすことができる。選手が疲労や痛みを我慢してプレーすることが美談とされる、今のスポーツ界の風潮を覆すのは簡単ではないかもしれません。それでも、少しでも多くの方が、スポーツによる障害の予防に目を向けてくださることを願っています」(佐藤氏)
「スポーツを楽しむすべての人々を、ケガを理由に、好きなスポーツから絶対に離脱させない」「スポーツ界に“ケガ予防”という、新たな価値観・文化を創る」──。
フィジカルチェックシステムのプロジェクトチームが掲げるのは、この2つのビジョンだ。いつか日本でも、選手や子どもたちが安心していつまでもスポーツを楽しめる日が来るかもしれない。