聴くだけで個人を特定する「耳音響認証」で仕事や生活をスマートに
コロナ禍による感染防止策への関心が高まる中、モノとのタッチレス、人とのコンタクトレスなど、非接触で個人を特定できる生体認証の普及が加速している。そんな中、新たな生体認証の仕組みとして注目されているのが、「耳音響認証」である。既にNECでは2020年2月、この技術を活用した「ヒアラブルソリューション」のトライアルサービスを開始し、本格的な展開に向けて第一歩を踏み出している。ここでは「耳音響認証とは何か」、「どんなメリットや活用例があるのか」について紹介したい。
いつでもどこでも「聴く」だけで個人認証が可能に
近年、生体認証に対する注目が高まっている。生体認証とは、人間の身体的・行動的特徴を用いて、個人認証を行う仕組みのこと。人によって異なる身体的特徴をカギとしているため、なりすましや偽造が難しく、鍵の紛失・盗難といったリスクもない。
古くから政府機関や空港などを中心に利用が進み、近年はマンション、ホテル、エンタテインメント施設や店舗決済、スマートフォン、オンラインでの本人確認など、幅広い分野で利用が拡大している。最近は新型コロナウイルスの流行で、人との接触を避ける動きが拡大する中、顔や虹彩をはじめとした「非接触型」の生体認証の普及が加速している。
その中でも、新しい生体認証の仕組みとして期待を集めているのが、「耳音響認証」だ。耳音響認証とは、その名の通り「耳」を活用した生体認証のこと。耳の穴(外耳道)を含む頭部の空間構造は、人によって大きく異なるため、可聴音を送信し、「耳の中で音がどのように響くか」を解析することで、個人を特定できるというわけだ。しかも耳穴の内部の形状を利用していることで、他人によるなりすましが極めて難しいといわれている。
耳音響認証の最大のメリットは、イヤホン型の機器(ヒアラブルデバイス)を利用することで、いつでもどこでも「音を聴く」だけで個人認証ができるという点にある。「例えば、顔認証は光や明暗によって影響を受けますが、耳音響ではその心配はありません。また、顔認証や指紋認証をするには、認証装置の前まで行く必要がありますが、耳音響認証はイヤホンを装着すれば済むので、場所の制約を受けません。それが、耳音響認証の大きな特長です」とNECの青木 規至は説明する。
さらには、ノールック・ハンズフリーで個人認証ができることも、耳音響認証の大きなメリットの1つだ。作業の手を止めることなく個人認証ができるので、工場の生産ラインや医療現場での入退室、コールセンターなど、さまざまな場面での活用が可能だ。
長年の歳月をかけ「ヒアラブルソリューション」を製品化
こうした利点に着目し、NECは耳音響認証の研究開発を続けてきた。そのきっかけについて、同社の中島 由貴はこう語る。
「当時、NECの研究所では、長岡技術科学大学と連携して耳音響認証の研究を始めていました。折も折、AIをテーマとした新規事業を探索していた当事業部の開発メンバーが、研究所主催の展示会に参加した際に、耳をUIとしている耳音響認証の説明を聞き、開発メンバーが考えていた常時認証方式とマッチしていたことで、ビジネスの検討が始まったのです」
携帯電話の草創期から開発に取り組んできたNECは、もともと、音声処理の領域では高い技術力を誇る。そうした長年の蓄積と新しい技術を組み合わせることで、2016年、ついに耳音響認証技術を確立。さらに2018年には耳音響認証と独自の「通話アクティブノイズキャンセリング機能」をヒアラブルデバイスに搭載することに成功した。
通話アクティブノイズキャンセリング機能とは、発話音声(自分が話す声)は内部マイクで拾い、周囲の騒音は外部マイクで拾って打ち消し処理を行う技術のこと。これにより、騒音の中でもクリアな発話を実現。工場や作業現場、駅のホームでも、通話や音声UIを使った機器の操作、作業記録などができるようになり、一気にその可能性が拡大した。耳音響認証は、「ヒアラブルソリューション」として、大きな一歩を踏み出したのである。
さらに、NECでは実証実験用のプロトタイプとして、ネックバンド型のヒアラブルデバイスを開発。その後も改良を重ね、2020年2月、「NEC ヒアラブルデバイストライアルキット」として市場に投入。耳音響認証技術で個人を特定し、さまざまなセンシングデータを連携させて一括管理・分析を行うトライアルサービスを打ち出した。
このトライアルキットサービスには、ヒアラブルデバイス本体とクラウドを接続するスマートフォンのアプリ、本体で収集した音声データや活動量などのデータを利用者ごとにリアルタイムに可視化・分析するツールも含まれている。このトライアルキットサービスを使えば、騒音が激しい環境でもクリアな音質で音声メモが残せるだけでなく、利用者の温度変化や活動量などをヒアラブルデバイスに搭載されたセンサーで検知し、装着者の状態などを把握。さらに、ヒアラブルデバイス本体で収集したデータと、企業独自のデータや天気などのオープンデータを組み合わせることで、業務上の課題を分析し、その解決に役立てることも可能だ。
工場の生産ラインからオンライン会議まで、幅広い分野で活用
2月のリリース以来、多くの企業がトライアルを実施。さまざまな目的での活用が始まっている。
音声メモを活用した工場ライン作業の効率化はその1つ。これは、作業員が作業中に気付いた改善点を音声でメモすることによって、作業記録を残し、ラインの効率化に役立てようとの試みだ。
「工場では日々、さまざまな理由でラインが停止します。ところが、現場は目の前の作業に追われているため、作業記録をとれないことが多い。このため、工場ラインの作業効率がなぜこんなに落ちているのか知りたくても、記録がないため分析できないことが多いのです。そこで、ヒアラブルデバイスの音声メモを使い、作業内容をデジタルで記録することによって、作業効率の分析に役立てようという取り組みが行われています。これであれば、手を止めずに現場は作業を行える上、「いつ」「誰が」「どのラインで」問題が起きたのか、後で追跡することも容易です」(青木)
遠隔での作業員の安全管理にも利用されている。例えば、1人で屋外作業をしていると、万が一、作業中に倒れた場合、発見までに時間を要することが多い。そこでヒアラブルデバイスに搭載されたセンサーで温度変化や加速度の変化を検知し、それらのデータをクラウド上でチェックすれば、管理者はリアルタイムに作業員の状態の変化を把握し、必要な策を講じることができる。
「例えば、ある作業員が装着しているヒアラブルデバイスの加速度センサーが、突然動かなくなったとすれば、その作業員が倒れた可能性がある。そんなときは、まず作業員に連絡を入れて、何も反応がなければ現場に急行するなど、迅速に対処することが可能です」(中島)
トライアルを実施した企業の中には、ヒアラブルによる社員の見守りを、社内報で詳しく紹介した例もあるという。労働力不足が深刻化する中、こうした取り組みは、「人を大切にする企業」としてのイメージアップと採用力強化にもつながるといえそうだ。
ヒアラブルソリューションの可能性は、現場向けだけではない。NECではヒアラブルの利用拡大に向けて、潜在的なニーズの掘り起こしも積極的に行っている。
その一環として、マクアケが運営する応援購入サービス「Makuake」を活用。2020年10月中旬、フォスター電機との共同開発による「トゥルーワイヤレス型ヒアラブルデバイス」の先行予約販売をスタートさせた。これは、従来のネックバンド型の技術を継承し、より多くのビジネスパーソンがさまざまなシーンで利用できる商品として開発したもの。街中でも使いやすい、スタイリッシュなデザインが特長だ。
「今はコロナ禍の影響で在宅ワークが普及していますが、自宅に最適なワークスペースがなく、浴室や廊下、車の中でオンライン会議をしている人も少なくありません。また、オフィスの自席でオンライン会議を行う場合も、同僚同士の社外秘の会話がお客様に聞こえてしまうなど、情報漏えいのリスクもあるのが実情です」と青木は述べる。
そこで、応援購入サービス「Makuake」での販売においては、オンラインコミュニケーション用のツールにフォーカス。通話アクティブノイズキャンセリング機能により、在宅ワーク中も家庭の生活音や周囲の雑音を気にせずオンラインでのコミュニケーションが可能である点をアピールした。
10月中旬にMakuakeで500台限定での先行予約販売を始めたところ、1カ月で約9割を販売。「コロナ禍の今、まさに必要なものですね」というコメントも数多く寄せられ、反響の大きさをあらためて実感しているという。
もちろん、トゥルーワイヤレス型ヒアラブルデバイスの可能性はオンラインコミュニケーションだけにとどまらない。耳音響認証を利用することで、さまざまなオフィスシーンで活用することが可能だという。「例えば、社員証の代わりにヒアラブルデバイスで入退室管理を行うことも可能ですし、パソコンのロックを解除したり、オンライン会議にログインしたりとさまざまな用途が考えられます」(中島)
「耳」を通じてさまざまな可能性が広がっていく
既にさまざまな用途で裾野が広がりつつあるヒアラブルソリューションだが、他の技術との組み合わせによって、将来的にはさらなる可能性を秘めている。「例えば、個人認証としてヒアラブルデバイスを飛行機の搭乗チケットの代わりに使ったり、自動翻訳機能と組み合わせて外国語でコミュニケーションしたり、旅先で自分の嗜好に合った店を探すための情報収集に活用したり――。このデバイスをパーソナル・アシスタントとして活用することで、出国から始まる海外旅行の一連の流れを楽しみながら、さまざまな体験を提供できたらと考えています」と中島は話す。
一方、青木は、「例えば、世界的なスポーツイベントや万博などの国際イベントでは、ヒアラブルソリューションの世界観をグローバルに伝えたい。例えば、来日前に耳音響で認証を済ませ、現金やクレジットカードを持たずにハンズフリーで来ていただき、究極のおもてなしを体験できる――そんな世界を作れるのではないかと思います」と期待を込める。
「今後も耳音響認証の活用領域を広げるため、世の中のニーズやシーズにアンテナをさらに探っていきながら、さまざまなパートナーと共創を進めていきたい」(青木)。耳音響認証を活用したヒアラブルソリューションが仕事や生活をスマートに支える未来はそれほど遠くないのかもしれない。
生体認証資料ダウンロード:NECの生体認証について