貯蓄から投資へ
―日本の資産運用サービスが目指すべき姿 ~FIN/SUM 2023レポート
政府が掲げる「資産所得倍増プラン」が、大きな話題を呼んでいる。2024年1月から新しいNISA制度が始まるなど具体策も動きはじめているが、果たしてこれからの資産運用サービスはどのように個人の変革を促し一人ひとりの資産運用を支えていけるのだろうか。
2023年3月に行われた金融とテクノロジーのカンファレンス「FIN/SUM 2023」でも、個人の資産運用はひとつのテーマとなっていた。なかでも3月29日に行われたパネルディスカッション「日本市場における資産運用ビジネス成功の鍵 ~顧客に寄り添う資産運用サービスの提供に向けて」は、金融庁をはじめ異なる立場のプレイヤーが集まりこれからの資産運用サービスのあり方を問うものだ。資産運用市場のトレンドや日本と海外の差異などを押さえながら広がった議論からは、一人ひとりの顧客に寄り添うために必要な対応が見えてきた。
日本には“プロフェッショナル”が足りていない
「家計資産、販売事業者、資産運用業者の3点から資産運用市場を見ていくと、日本が置かれた状況が見えてくるはずです。たとえば日本の家計資産については現預金が50%以上を占めていると言われますが、日本人はリスクに対して投資意欲が低い傾向にあり、また欧米と教育レベルが変わらないのに金融知識に自信がないといった特徴もあり、投資に対して消極的な方が非常に多いです。他方で、販売事業者ではさまざまな商品が増えている一方で、リスクの複雑化によるトラブルも増えているほか、資産運用業者においてはきちんとお客さまのライフスタイルに寄り添って適切な選択肢を提示できるプロフェッショナルが少ないことが懸念されています」
金融庁 総合政策局 政策立案総括官の堀本善雄氏はそう語り、政府は30年ほど前から「貯蓄から投資へ」というスローガンを掲げているにも関わらず、実際には投資へのシフトが進んでいない状況を明かす。堀本氏の指摘を受けてAvaloq APAC マネージングディレクターのパスカル ウェンギ氏もうなずき、「日本の場合は3〜5年で人事異動が起きるため、顧客対会社との関係性になりやすい。顧客とアドバイザー個人の関係性がベースになる欧米の方が銀行のネームバリューなどに関わらず長期に渡ってお客さまへ寄り添うことが可能ですね」と語る。こうした状況を受けて、金融機関や政府はどのような役割を果たすべきなのか。
「今回政府が実施するNISA制度の拡充はメディアでも取り上げていただいていますが、それだけでなく金融教育の拡大や販売事業者・資産運用業者のサービス向上も進めていかなければ大きな変化は生まれないでしょう。新しいNISAが注目され国民のみなさまの投資への関心が高まっている状況をチャンスと捉えて、総合的な政策を進めていかなければいけません」
堀本氏がそう語ると、20年に渡って大手銀行や証券会社のトランスフォーメーションを手掛けてきたアクセンチュアの武藤惣一郎氏も、これまで以上に高い解像度で顧客へ寄り添い、テクノロジーの活用も進めていく必要性を指摘する。
「多様な顧客の多様なニーズに対応する必要があります。たとえば日本企業の幹部や外資系企業の社員は給与が伸びており投資への関心が高まっている一方で、6割程度の方々は忙しくて相談する時間がないという悩みを抱えていますし、スタートアップの経営者の方にはビジネス面での支援も含めて総合的な対応が必要だと感じます。あるいは近年注目されているAIについても、アドバイザーの支援として活用することは十分ありうると思っています」
さらに武藤氏は「これからは資産運用を担う担当者のマーケット理解と思考力がより重要になるはずです」と続ける。日々変わりゆく社会や経済の状況を理解しながら、家族構成も資産形成も異なる一人ひとりの顧客に合わせていかに最適な提案を行えるか。そのためには、単なる知識に頼るのではなく総合的な思考力や応用力が必要になっていくのだろう。
グローバルと日本の金融機関の間には大きなギャップがある
武藤氏の発言を受け、パスカル ウェンギ氏はバリューチェーンが多様化しひとりの顧客が信託銀行や証券会社など多くの機関とつながっていくなかで金融機関はどのように顧客をサポートできるのかと問いを投げかける。
「日本でもチャレンジが必要な問題ですね。たとえばリテールとホールセールで担当が異なることも多いですが、実際にはどちらも理解していないとより具体的なアドバイスはできないでしょう。領域によって担当者が変わるのではなくお客様のことを深く理解している担当者が適切な専門家を連れてくるような体制がこれからは重要になるはずです」
武藤氏がそう返すと、パスカル ウェンギ氏は「欧米にはユニバーサルバンクといった商業的な業務と投資的な業務の双方を行える形態が普及していて、フェーズを問わず顧客のためのバリューチェーンをカバーすることが出来る」と語る。
「国際的な金融ビジネスと日本の間にはまだギャップがあるのかもしれません。たとえばアドバイザーモデルを考えてみても、日本・アメリカ・イギリスそれぞれ異なっています。日本の投資アドバイスは個別金融商品の提案が中心で、ほかの国では顧客の資産ポートフォリオ全体を踏まえた提案が普通です。従業員のインセンティブについても日本と米英では異なっていますね。」
そうパスカル ウェンギ氏が語るように、日本と欧米とでは金融機関の区分やアドバイザーの関わり方に至るまで差異は大きいのだろう。アメリカやイギリスではどのようにアドバイザーを教育しているのか尋ねられた同氏は、次のように語った。
「非常に難しいですね。英米の場合はアドバイザーが組織を離れる際に顧客も連れていくなど、日本のモデルとは本質的に異なっているのです。単に教育だけでなく顧客とのつながりを通じ、顧客の資産の成長とともにアドバイザーに必要な知識と経験が備わっていくことが重要になってきます」
武藤氏やパスカル ウェンギ氏が指摘したような課題に対し、日本はどのように対応していくべきなのか。堀本氏によれば、こうした問題に対する議論は以前からあったのだという。
「とくにアドバイザーのフィー設計については金融庁でも議論されており、日本ではアドバイスそのものにフィーを支払う感覚が醸成されていないことが問題だと言えます。ただ、改善の兆しも見えてきています。たとえば今回導入される積立NISAは販売手数料がゼロのため、必然的にアドバイスベースのビジネスへ変わっていくことを期待しています。」
日本における資産運用ビジネス拡大のヒント
日本の資産運用サービスをよりよくしていくにあたって、どんなことが課題となっていくのだろうか。堀本氏は「すべてのプレイヤーのレベルが上がらないと日本の資産運用ビジネス全体の底上げはできない」と指摘する。
「資産運用会社はもちろんのこと、信託銀行や生命保険会社などアセットオーナーが高いプロフェッショナリズムをもってよりよい運用をする必要があります。現状のような取引手数料を前提とすると顧客の利益を最大化することが自分たちのフィーを最大化することにつながらない可能性もありますよね。資産所得倍増プランにおいてもこうした問題を同時に解決しなければいけないため、金融庁としては民間の方々ともコミュニケーションをもっと増やしていく必要を感じています」
堀本氏の発言を受け、武藤氏は日本企業の変わるべき点として「株式報酬」の存在を指摘する。
「日本企業の株式報酬は先進国最低水準だと言われていて、たとえばアメリカだと本部長クラスの半数は株式で報酬をもらっていますが、日本だと10%程度だと言われています。もちろん給与水準を上げることも投資の加速には重要ですが、父母の世代が当たり前に自社株式で報酬をもらって、アロケーションの観点でほかのアセットにも投資するようになれば、子どもの世代にとっては投資がより当たり前になっていくのではないかと感じます」
さらに武藤氏は今後オンラインで資産運用する顧客が増えていくだろうと語り、マスリテール層やマスアフルエント層はもとより、富裕層の市場はさらに激戦化していくはずだと続ける。もはや単純な商品販売だけでは価値を提供できなくなり、高度なリスク分析やポートフォリオ構築などに対するより高度なアドバイス機能を備えたシステムプラットフォームの整備も重要になっていくのだ、と。
アンケートによれば、実際に顧客は金融機関の取組み姿勢に不満を感じている一方で、自身の資産や人生に対する包括的なアドバイスや多様のソリューションに期待を寄せているのだという。こうした問題を解消する上で、システムの改革は必要不可欠なはずだ。システム改革を通じ、従来の対面型営業モデルを変え、営業担当者と顧客のコミュニケーションの在り方を変えていくとともに、社内の教育や営業推進方針の見直し、さらには評価・人事制度も含めて本社機能を見直していくことが求められていくのだろう。
貯蓄から投資へ、日本市場の発展に求められるものとは
ここまでの議論を受け、パスカル ウェンギ氏は資産運用ビジネスにおいて重要な要素として「顧客セグメント戦略」「組織体制」「デジタルソリューション」「顧客体験の向上」「資産の継続的成長」「市場の展望」の6点を挙げる。
たとえば資産運用市場のセグメンテーションにおいては、より数の多いマスリテール層向けのサービスの標準化を進めると同時に、数の少ない富裕層に対してはパーソナライズされたアドバイスが求められる。パスカル ウェンギ氏によれば、実際にAvaloqでは金融機関の資産運用ビジネスの成熟度によって最適なソリューションを提供しているのだという。
「私たちはオペレーション、セールス、エンゲージメントという3つの柱を設定しています。まず金融機関が資産運用ビジネスに参画するのであれば、オペレーションは効率的で効果的でなければいけませんし、オペレーションが適切に設計されたならばセールスの加速を考えていく必要があります。さらにその先にエンゲージメントがあります。顧客との関係性を高めていく上では、LINEやWhatsAppなどSNSを活用しながらアドバイスを提供していくことも大いに重要になっていくでしょう」
さらにパスカル ウェンギ氏は、金融機関がこれからテクノロジーなどを活用しながら自らのオペレーションを拡張していく重要性を強調する。現にAvaloqはグローバル規模でさまざまな金融機関をサポートしており、アジア太平洋地域においても活動を拡大しているという。たとえばシンガポールのDBS銀行では成長のための基盤として多様な商品をひとつのプラットフォームで提供し、幅広い顧客をカバーするシステムを提供している。さらに台湾の国泰世華銀行ではシンガポールや香港といったサービス提供地域の拡大を担い、HSBCではグローバルで複数拠点での事業展開のサポートを行っている。
こうした議論を振り返り、武藤氏は「アドバイスの価値をどうやって上げていくかを突きつめていかなければいけません。弊社としても業界の変化を後押ししながら、日本における貯蓄から投資への移行を推進していきたいと考えています」と語る。パスカル ウェンギ氏もうなずき、「私たちは今まさにこの状況を変えるタイミングにあると思います。今後も資産運用ビジネスのプロセス改善やアドバイザー教育がどんどん重要になっていくでしょう」と応答した。
ふたりの発言を受け、堀本氏も「可能な限りトライをつづけていきたいです」と語る。
「政府は30年にわたって貯蓄から投資への移行に取り組んできましたが、ひとつの要因だけで社会は動かないことを実感しています。レギュレーションのような観点はもちろんのこと、インセンティブの設計や民間企業の動き、さらには家計の動きを見ながら、個人投資家による投資の裾野拡大や顧客とのコミュニケーションをもっと充実させていかなければいけないでしょう」
貯蓄から投資への移行は一朝一夕で実現するものではないかもしれない。しかしデジタルプラットフォームやAIなどさまざまなテクノロジーが充実してきた今こそ、日本市場は変革へ向けて一歩踏み出さなければいけないのかもしれない。