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Web3時代の新たなデジタルアイデンティティの形を求めて:「The Future of Web 3.0 and the Metaverse」レポート

 あらゆる産業で、DX(デジタル・トランスフォーメーション)が進んでいる。既存のビジネスの効率化・最適化が進んでいるのはもちろんのこと、AIやブロックチェーンといった新たなテクノロジーの導入により、中央集権的な「Web2.0」の時代から自律分散的な「Web3」の時代へ社会が移行しつつあると言えるだろう。その変化は、あらゆる領域に大きな変化を起こしていくはずだ。

 なかでも近年注目されているは、デジタルアイデンティティの問題だ。産業を問わず多くのサービスがデジタル化され利便性が高まる一方で、ユーザからすればサービスごとに自身のIDを管理するコストが高まってもいる。決済や資産運用といった金融領域の活動もデジタル化されていくなかで、よりセキュアで便利なデジタルアイデンティティのあり方が求められていることは間違いないだろう。

 去る7月24日にスタンダードチャータード銀行と同銀行のイノベーション、フィンテック投資、ベンチャー育成部門であるSCベンチャーズが開催したカンファレンス「The Future of Web 3.0 and the Metaverse」のなかでNECが実施したセッション「Why Digital Identity Matters in a Web 3 World」は、まさにこうした問題に応答するものだ。デジタルファイナンスの領域を筆頭にWeb3領域に関わるNECの3名によるセッションは、これからのデジタルアイデンティティのあり方を示すものとなった。

NEC 金融システム統括部 シニアプロフェッショナル デジタルアイデンティティ・エバンジェリスト 宮川 晃一

金融業界をつなぐ新たなエコシステムの構築

 「デジタルファイナンスにE-ガバメント、テレコミュニケーション、スマートシティ――さまざまな分野でデジタルアイデンティティの重要性が高まっていますが、現在は各領域でIDがつくられている状況です。あるレポートによれば大半の人々が日常的に20以上のIDを使い分けていることが明らかになっており、その運用は限界を迎えつつあると言えるでしょう」

 NECでデジタルアイデンティティ施策に取り組む金融システム統括部 シニアプロフェッショナル デジタルアイデンティティ・エバンジェリストの宮川晃一はそう語り、IDのあり方を抜本的に変える必要があると説く。これまでの中央集権的な情報管理は利便性の高いサービスの提供を可能にした一方で、特定の事業者へ権力が集中してしまい私企業の裁量ひとつで人々の活動が制限されてしまうリスクを高めていたことも事実だ。Web3の時代においては、新しいIDの仕組みが求められるだろうと宮川は続ける。

 「Web3の時代ではIssuer(発行者)とWallet Holder(保持者)、Verifier(検証者)という3者がデジタルアイデンティティウォレットを構築し、モバイル端末などでユーザ自身が身元提示や自らの属性情報の提供を管理できるようになるでしょう。これまでは事業者が一元的にユーザのIDを管理していましたが、これからはユーザが自身の判断で開示する情報をコントロールできるようになるのです」

 もっとも、即座に自律分散的な仕組みを採用できるわけではない。宮川は3つの課題を指摘する。まず1つめは「Issuerの信頼をどう担保するか」。どんな機関がIDを発行するかによってその信頼は変わってくる。現代社会においては既存の金融機関がもつ信用を活用できる可能性も高いだろう。2つめは「Walletをどう信用するか」。IDを管理するウォレットも信用できるものでなければ、IDの運用は難しい。宮川はここでも金融機関がもつ信用が活用できるのではと主張する。さらに3つめは「秘密鍵をどう保護するか」。分散的なIDの管理において、人々は他者と共有しえない秘密鍵によって個人情報を管理することになる。今後は単にIDの管理を推進するだけでなく、秘密鍵のよりよい保護方法が問われていくはずだ。

NEC デジタルビジネスプラットフォームユニット ディレクター 樋口 雄哉

企業の壁を超えた新たなマーケティングの可能性

 宮川の提案に続き、生体認証技術やトラストデータサービスを活用し新規事業開発に取り組むデジタルビジネスプラットフォームユニット ディレクターの樋口雄哉は、今後データトラストがますます重要になっていくと主張する。

 「Web3時代への移行が進むなかで、個人や企業を取り巻くデータ活用におけるリスクに対処していくためには、データの信頼性や透明性、トラストが必要です。人やモノの信頼性はもちろんのこと、セキュアな計算環境の確立やセキュアなバーチャル空間も今後は求められていくでしょう」

 樋口によれば、すでにNECはデータトラストに関する多くの取り組みを広げているという。たとえばデータの取得・管理においてはブロックチェーンを活用した証跡管理プラットフォームを構築しており、人のデータについては生体認証技術によるデジタルIDの管理を行っている。さらにデータの利活用においては機密情報を秘匿化する秘密計算ソリューションや、バーチャル空間でのデータ利活用を進めるVRソリューションの提供も進めている。なかでも樋口が現在注目しているのは、マーケティングの領域だ。

 「プラットフォーマーではなく個人がデータを管理するようになると、マーケティングにおいても新たな情報利用・保護のスキームが求められていきます。同時に従来にはなかったマーケティングの可能性も広がっており、多くの事業会社さまとお話するなかでも、新たなマーケティングを求める声があがっています」

 たとえば個人情報の安全な管理・運用においては、NECの保有する生体認証を活用することで本人真正性を向上させると同時にユーザを絞った高精度のマーケティングが可能になり、ロイヤルカスタマーのエンゲージメント向上においてはデジタルウォレットを使うことでNFTコンテンツや参画型サービスの展開が可能になっていくという。

 NECは生体認証やブロックチェーンといった技術を活用すると同時に、世界289拠点を有するグローバルなネットワークや、IT領域にとどまらず外部の企業やスタートアップと連携することで新たなマーケティングエコシステムの構築に取り組んでいる。すでに生体認証技術を使ったチケッティング&プロモーションの施策やファンクラブの運用も進んでおり、さまざまな企業・団体の壁を超えて共創を広げていくべく、2023年4月にはWeb3コミュニティを立ち上げている。これはNECが主体となって企業を囲い込むものではなく、一緒に議論を重ねながら安全・安心・公平なデータ活用を通じて新たな価値創造を生む場となっていくだろう。

NEC デジタルファイナンス統括部 ディレクター 稲垣 将太

これから問われるのはユーザへの提供価値

 続いて宮川は、デジタルアイデンティティは今後さらに社会へ広がっていくはずだと語る。

 「新たなデジタルアイデンティティへの期待としては、AML/CTFへの適用や、プライバシー保護の向上、秘密鍵保管サービス、エンドユーザーエクスペリエンスの向上などがあげられます。金融の領域においても、ひとつの銀行や証券会社といった垣根を超えて、業界コミュニティを立ち上げていく必要があると感じています」

 こうしたコミュニティの必要性を前提としつつ、宮川は企業や業界を越えた取り組みこそがNECの強みだと続ける。NECは証券コンソーシアムによるKYC情報の共有化に取り組んだ実績もあり、近年は多くの金融機関が活用できるAML/CFT業務高度化・共同化を目的とした取引モニタリング等のAIスコアリングサービスのシステム構築ベンダにも選定されている。コンソーシアム型のモデルで多くのサービスをつくってきたNECだからこそ、金融業界全体にまたがるようなエコシステムを構築できる可能性は大いにあるだろう。

 実際に世界で進んでいる事例として、宮川はカナダの「Verified Me」というサービスを紹介する。カナダの主要金融機関やデジタルアイデンティティ認証協会、米国の国土安全保障省など、複数の機関によって開発されたこのサービスは、オンライン身分証明書として機能するもの。複数の金融機関が信用の源泉となり、ユーザはアプリを利用することでさまざまなサービスで安全に本人確認を行えるようになっているという。「日本においても金融庁のように信頼されている機関がトラストアンカーとなることで、新たなトラストサークルを構築できるのではないでしょうか」と宮川は提言した。

 宮川の発言を受け、樋口も複数の企業が連携していく重要性を強調する。

 「金融機関の取り組みだけでなく金融の外側の情報を取り入れてかけ合わせることで、新たな価値を生み出せるはずです。とくにファーストパーティデータをもっている事業会社さまはさまざまなデータを掛け合わせることで従来はリーチできなかったお客さまにもリーチできるようになっていくはずです」

 セッションが終盤を迎えると、司会・進行を務めているNEC デジタルファイナンス統括部の稲垣から「今後デジタルウォレットを巡るエコシステムはどう構築されていくのか?」とふたりへ質問が投げかけられた。

 「しばらくは複数のウォレットをバラバラに使っていただきながら、相互接続が進んでいくのかもしれません。ただし、ずっとウォレットが増えつづけるわけではなく、時間をかけていくつかのサービスに収斂していくのではないかと思っています」

 そう宮川が答えると、樋口も「Web2.0が始まった時代と同じような状況だと思います」と応答する。Web3の黎明期と言える状況だからこそ、現在はさまざまなサービスが勃興している状態にあるのだろう。

 「ユーザから個人情報や行動・趣味嗜好のデータを提供いただくならば、私たちは何らかの対価を提示できなければいけません。便利なUXや快適な検索体験などその種類はさまざまですが、ただサービスをつくればいいわけではなく、どんな体験を提供できるのか考えながらユースケースを増やしていく必要があると思っています」

 樋口はそう言ってセッションを締めくくった。プラットフォーマーから個人へと主権が移っていくことで、多くの企業はこれまで以上にユーザとのつながりや提供価値が問われていくことになると言えるだろう。自分たちのサービスが目の前の人々や社会にどんな価値を提供しているのか――Web3の時代にふさわしい、新たな価値の創出を巡ってNECの挑戦は今後も続いていくはずだ。