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変わる教育現場、“自ら学ぶ”子どもを育む驚きのICT活用
──目的はコロナ禍対応ではない「GIGAスクール構想」の真価

業界が変わるビジネストレンド

 全国の小中学生に1人1台の端末を配布して、時代の要請に応える学びを目指す「GIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想」が本格化している。コロナ禍で叫ばれるオンライン授業の必要性だが、教育現場のICT化は単にパンデミックや災害時の対応が目的ではない。これまでとは根本的に異なる“自ら学べる”教育を実現しようとするものだ。今、教育現場ではどのようなデジタルトランスフォーメーションが行われているのだろうか。有識者と先進的な取り組みを行う自治体に話を聞いた。

一人ひとりが社会で活躍できる力を養う

 「日本の教育現場は課題だらけ、特に社会との間に意識の乖離(かいり)がある点が最大の問題です」と語るのは、自治体や学校へのICT活用アドバイザーとしてGIGAスクール構想にも関与する情報通信総合研究所 ICTリサーチ・コンサルティング部 特別研究員の平井聡一郎氏だ。

 明治、大正、昭和の時代には、世界に追いつけ追い越せと、誰もが同じ方向を向いてがむしゃらに走っていた。しかし、平成、そして令和の時代、日本の社会は成熟し、生き方が大きく多様化している。ところが、これまでの教育は、昭和の時代と大きく変わらないまま続いているという。自身も長年、教員、校長、教育委員会の管理職を経験した平井氏は「“1クラス40人以上、単に知識を効率よく教える”高度成長期の教育は時代にそぐわなくなった」と断言する。

 「学校は、子どもが世の中に出て、独り立ちして生きるための力を育む場。社会が大きく変化している今こそ、社会の歯車を作るのではなく、一人ひとりが活躍できる力を養うための教育改革が必要なのです」と指摘する。

情報通信総合研究所
ICTリサーチ・コンサルティング部
特別研究員
平井 聡一郎 氏

 そのために、行われたのが学習指導要領の約10年ぶりの改訂だ。2020年度から小学校を皮切りに新しい学びがスタートしている。

 「新学習指導要領は、小学校での外国語教育やプログラミング教育など目立ちやすい変化に注目が集まりがちです。しかし、その根底には、子どもたち1人ひとりが自ら学びに向かい、生きて働くための知識と技能を自発的に獲得できることがあります。予測困難な未知の状況になっても自ら課題を考えて対応できる思考力、判断力、表現力などを育成する学びを実践するという狙いがあるのです」(平井氏)

 ただし、これを実践するには、少子化といえども今なお大勢の生徒を一人の先生が教える日本の授業形態では限界がある。不可欠になるのがICTの活用なのだ。

 「教育は、医療と似た点があります。医療では、一人ひとりの体質や状態を診断し、それに合わせて処置を施さないと効果的治療ができません。同様に、個々の児童生徒の状態に目配りできないと、多様で効果的な学びは不可能なのです。ところが、これまで教育の分野では診断に当たる部分が欠けていました。ICTの活用によって、児童生徒の今まで見えにくかった姿がありありと見えてきます」(平井氏)

 さらに、ICTを活用することで有利になるのは「共有化」や「コラボレーション」だ。これまでは教室で挙手をして発表するのは人数に限りがあり、紙に書いて黒板に貼るとなると時間もかかった。それが、タブレットなどを使えば、瞬時に画面上に全員の意見を可視化することができ、さらには、集計や、意見の異なる子同士でグルーピングにより、自分と違った発想の共有や知識をより深く理解し、活用できるようになる。

明確なビジョンを描き、焦らずスモールステップで改革を進める

 とはいえ、新しい学習指導要領と、その理念に沿って実践するGIGAスクール構想は、日本の教育界では「100年に一度」と言える大改革。これまでの教育現場の中でスキルを磨いてきた先生方には、少なからず負担と覚悟が求められる。

 平井氏は「どのような教育を目指すのか、今の教育をどのように変えたいのか、ビジョンを描くことが何より大切」と、単なるICTシステムの導入にとどまらず、それを活用する目的を各学校で明確化して取り組むことの重要性を指摘する。

 さらに、「最初から学びをガラリと変えようとしても無理だと思います。闇雲にすべての学びでのICT活用を考えるのではなく、ICTを使った方がよい学びとこれまでも効果的だった学びを、熟慮して使い分ける必要があります。その上で、ビジョンの実現に向けて試行錯誤しながら段階的にスモールステップで改革を進めていけばよいのです。その方がずっと新しい学びへの移行が円滑に進み、効果的で効率的だと思います」と語る。

 加えて、新しい学びに意欲的かつ継続的に取り組むための条件として、「校長や教育委員会のリーダーシップが欠かせません」と平井氏は指摘する。同氏は、ICTをいち早く活用して成果を上げている熊本市において、校長を対象にした研修を行っているそうだ。そこでは校長先生たちが自ら手を動かして動画を作る体験をしてもらっているという。「YouTuberになりたいと考える子がたくさんいる時代ですから、子どもたちは環境さえ揃えればすぐにICTに適応します。逆に、校長や教育委員会のリーダーが、動画でのオンライン授業などが思いのほか簡単で、教育にさまざまな可能性を持つことを実感してもらえれば、学校に戻って先生方をリードするICTの旗振り役になってくれます」と平井氏は説明する。

 また、ICTを効果的に活用した授業を行う際のポイントとして、「これまでのように先生が多くしゃべるようではだめです。子どもたちのアウトプットに重点を起き、自発的に調べ、考えたことを動画を活用して表現する、探究的学びを助ける役割に徹することが大切です」とも語った。

 「ICTの活用は、まずやってみることが何より大切。使い始めれば、先生方も子どもたちも、それが便利で効果的なツールであることに気付きます。そうなれば、どんどん上手な使い方が生まれ広がっていくことでしょう」(平井氏)。

熊本地震で学びの場が破壊、たくましい人材の育成を目指しICTを導入

熊本市教育センター
副所長
本田 裕紀 氏

 GIGAスクール構想が提起される以前からICTを活用した教育環境の整備に取り組み、他の自治体をリードしていると目されているのが熊本市だ。同市でICT教育事業の責任者を務める教育センター 副所長 本田裕紀氏は、「小学校で2020年、中学校で2021年に実施される新学習指導要領の実施の1年前までに、LTE方式のタブレットや電子黒板等のICT環境を整備し、新しい学びに備えました」と振り返る。

 熊本市では、2018年9月から、先行導入校を対象に、生徒3人に1台、教員には1人1台のタブレット端末を導入。2019年4月には全小学校、2020年4月には全中学校に対象を拡大。さらに2021年1月末には全ての小中学校で児童生徒1人1台の体制に移行。これは、日本の中でも飛び抜けて早く、積極的な取り組みだと言えるだろう。

 ただし、今でこそICT活用の先進事例として名前が真っ先に上がる同市ですが、2017年まで、学校のICT環境が政令指定都市の中で下から2番目(19番目)という状態だった。なぜ、熊本市は突然、教育へのICT活用に積極的になったのだろうか。それは、2016年に発生し、同市に甚大な被害をもたらした熊本地震で、それまであたりまえのように思っていた教育現場の日常がすべて機能しなくなる辛い経験をしたからだという。「学校は避難所になり、子どもも、親も、教師も被災し、子どもたちとのつながりが絶たれ、約1カ月にわたって学びが止まってしまいました」と本田氏は当時の様子を語る。

 熊本市が受けた被害と失った時間は大きなものでした。しかし災害の後、元の生活を取り戻すだけに終わらず、教訓を生かして、よりよい地域づくりに取り組んだことが、教育環境を変えるきっかけになる。

 熊本市の大西一史市長(現職)は、「熊本地震からの復興に向けた100年後の未来への礎づくり」という施政のコンセプトを掲げ、復興の担い手となる子どもたちの力を育む教育に積極投資することを決定。そして、その意を受けた同市教育長の遠藤洋路氏は、自分の力で未来を切り拓くたくましい人材の育成を目指し、子どもたちの「深い学び」「深い思考」を後押しする多様な学びの実現に取り組む方針を打ち出した。そのための実現手段として不可欠になると考えたのが、ICT環境の整備だった。

 熊本市が未来に向けて目指した学びは、子ども同士で教え合う、先生同士でも学び合う、場合によっては子どもが先生に教える、そんな生き生きとした学びだった。先生が一方的に教えるこれまでのインプット中心の教育を改め、子どもが主体的に学び、学んだことを表現するアウトプット中心の教育に変えていく(図1)。

 例えば、算数の授業で凹型の面積を求める方法を子どもたちがタブレット上にアウトプットする。次に、みんなの考えを一度に共有する。そして、なぜそのように考えたのかをペアやグループで学び合っていくことで、様々な解き方を子どもたち自身が学びとる。また、理科の化学反応の授業では、実験の様子を動画で撮り、その画面に原子モデルや自分たちの考えを書き込んで共有したり、説明し合ったりして科学的思考を深めていく。

 こうした授業を繰り返していくことで、目的を達成できるというのが熊本市の考え方なのだ。そうした教育環境を実現するためには、子ども、先生、保護者の関係性を深めるコニュニケーションツールが必要であり、それがICTの活用に注力する動機となった。

図1 インプット重視だった学びを、ICTを駆使してアウトプット重視に変える
背景資料の出展:熊本大学 前田康裕准教授資料

コロナ禍で問われた、ICTによる新しい学びの真価

 熊本市が百年の計としてICTを導入している過程で、襲ったのが新型コロナウイルス感染症の流行だ。日本の学校も長期にわたる臨時休校を余儀なくされた。奇しくも、GIGAスクール構想で念頭に置いていた世界の状況、さらには熊本地震での経験に似た状況が、極端な形で現実化したのだ。先行してICT環境を整備していた熊本市の学校は、いきなりその真価を問われることになった。

 熊本市では、いつでも、どこでも子どもと学校がつながっている状態を実現するため、LTE方式の(外でも通信可能な)タブレット端末を導入していたという。ただし、臨時休校が求められた時期にはまだ1人1台の体制にはなっておらず、ネット環境が整っていない家庭に優先配布することで対応した。これにより、熊本地震の際には無力感を覚えたという、子どもたちと学校がつながらない状態を避けることができたという。

 ただし、「ネット環境がある家庭も、オンライン授業ができるような理想的環境が整っているわけではありませんでした。そこで、まずはZoomを使って最低限の朝の健康観察から始め、環境と体制を整えながら徐々にオンラインの授業を進めていきました」と本田氏はいう。それでも、コロナ禍以前からIC Tを活用した学びに取り組んできた経験の蓄積は大きい。「学校によって差はありましたが、単なる授業の放映ではなく、オンライン授業のモデルを作成したことで、コロナ禍でも、子どもたち自らが課題に取り組み、ネットを介して成果を発表したり、学び合ったりしてステップアップできました」と語っている(図2)。

図2 熊本市の学校がコロナ禍で実践したICTを活用した学び

 ICTを活用した学びの可能性は、図らずもコロナ禍によって顕在化し、非常事態の下でも子どもたちの豊かな学びが継続できることを示している。本田氏は、「ICTの活用による効果については今後検証が必要です。しかし、子どもたちがワクワクしながら学びに取り組むようになったのは確かです」と言う。

 GIGAスクール構想により、日本の教育現場には生徒1人1台のデバイス環境とインフラが整った。これから重要になるのは、その活用の仕方だ。そこで平井氏も本田氏も口を揃えるのが、「失敗を許すこと」の重要性だ。生徒にデジタルデバイスを渡すとガバナンスやセキュリティの問題が必ず上がるが、懸念をしすぎて家庭で何もできなくなってはせっかくの1人1台デバイスの意味がない。子どもたちの「深い学び」「深い思考」を後押しするためには、柔軟な対応が必要になってくるのだろう。教育現場のDXは、始まったばかりだ。