日本のデジタル・ガバメントに必要な「ピース」とは?
~行政デジタル化をもう一歩未来に進める一手~
マイナンバーカードの普及率が人口の約7割に達するなど、デジタル・ガバメントを実現するための基盤が整いつつある日本だが、国連による「世界電子政府ランキング」では14位(2022年)にとどまっている。その理由を探るとともに、同ランキング首位のデンマークの政策の特長を検証。国民の利便性向上と、人員減少に伴い負荷が増す行政職員の業務効率化を両立させる、これからの行政サービスの在るべき姿について、東京工業大学の小尾 高史氏とNECのキーパーソンに話を聞いた。
- ※ 本コンテンツは、NEC Visionary Week 2023「徹底討議 日本のデジタル・ガバメントが目指す未来像」を基に、再編集を加えたものです
SPEAKER 話し手
東京工業大学
小尾 高史 氏
科学技術創成研究院
准教授
NEC
根津 聡
DG統括部
シニアプロフェッショナル
NEC
小松 正人
デジタル・ガバメント推進統括部長
デジタル・ガバメントとは何か?
デジタル・ガバメント(電子政府)とは、デジタル技術の徹底活用と、官民協働を軸として、全体最適を妨げる行政機関の縦割りや、国と地方、官と民という枠を超えて行政サービスを見直すことにより、行政の在り方そのものを変革していくこと、を意味する。住民視点では、デジタル技術を使って行政サービスをより簡単に利用できるようにすることだといえるだろう。コロナ禍で、印鑑や書面での契約、対面手続など、デジタル化のボトルネックも顕在化したことは記憶に新しい。
日本におけるデジタル・ガバメントの取り組みは、1990年代に起きたIT革命を背景に、世界最先端のIT国家となることを目標として2001年に策定された「e-Japan戦略」に端を発する。しかしながら、その後、行政手続きのデジタル化は思うように進展しない時期が続いた。
長期にわたった景気後退や東日本大震災からの復興などを経て、将来の行政のあるべき姿を具体的に示す「デジタル・ガバメント推進方針」が策定されたのは2017年。電子政府の実現はようやく現実味を帯び、2019年に施行されたデジタル手続法では、デジタル・ガバメント推進にあたっての三原則として、個々の手続き・サービスが一貫してデジタルで完結する「デジタルファースト」、一度提出した情報は、二度提出することを不要とする「ワンスオンリー」、民間サービスを含め、複数の手続き・サービスをワンストップで実現する「コネクテッド・ワンストップ」が掲げられている。2021年9月にはデジタル庁が設立され、「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化を。」をミッションに掲げ、デジタル・ガバメントの司令塔として活動している。
行政サービスのデジタル化はなぜ必要なのか
ここにきて、なぜ政府はデジタル・ガバメントへの取り組みを急加速させたのか。東京工業大学の小尾 高史氏はこう説明する。
「自治体窓口で提供されているサービスをオンライン化して住民の利便性を向上させたいのはもちろんですが、2040年頃に団塊ジュニア世代が定年を迎えることで公務員が大幅に減少するという大きな課題に対応できるようにしたいとの思いもあります。地方公務員の充足率は2040年には80%を下回ると見られ、都市部でも窓口業務に携わる正規職員が20%ほど減少することが予測されています」。
そのような状況になれば、現在と同水準の行政サービスを住民に提供することは困難になる。受付や各種手続きをできる限りオンライン化して、少ない職員でも業務を遂行できるようにしなければ、日本の行政は立ち行かなくなってしまう。
デンマークが推進する国民参加型の政策
住民がさまざまな行政サービスをオンラインで受けるための基盤となるのが、すべての国民に固有の番号を割り当てるマイナンバーである。2016年の制度発足と同時に、公的な個人認証手段として用いられるマイナンバーカードの運用も始まった。累計交付枚数は2023年6月末時点で9,000万枚以上に上り、保有率は既に人口の70%を超えている。
日本のデジタル・ガバメントはそろそろインフラ整備の時期を終え、本格的なデジタルサービスを拡充する段階に差しかかりつつあるといえる。既に住民票や印鑑登録などの公的証明書をコンビニで取得したり、マイナンバーカードを健康保険証として利用したりすることができるようになっているが、今後はさらにどのような政策が展開されるべきなのだろうか。
それを考える上で大きな参考になるのが、デジタル先進国として知られるデンマークの取り組みだ。同国最大手のIT企業、KMD社への出向経験を持つNECの根津 聡は次のように話す。
「デンマークでは日本のマイナンバーに相当するCPR(Central Persons Registration)ナンバーが発行されて国と自治体が連携し、行政手続きのほとんどがオンライン化されています。人々がライフイベントに必要な各種手続きをワンストップでスムーズにできるだけでなく、行政機関の内部においても高いレベルでデジタル化が進み、職員の業務負荷が軽減されているのも特長だといえます」。
さらに注目すべきは、政府が国民のデータをどう扱っているかが明瞭に示され、制度に対する国民からの信頼が厚いことだ。もともとデンマークをはじめとする北欧諸国のデジタル・ガバメントは、ヘルスケアや福祉制度の利便性を高める目的でスタートした。
「国民が自身のデータにいつでも手軽にアクセスできるようにするという明確な目標があり、なおかつデジタル化の必要性と効果を国が分かりやすいかたちで説明し、個々のサービスの設計段階から国民の声を採り入れ、国民参加型のデジタル・ガバメントを推進したことが奏功したと考えられます」(根津)。
重要なのは「住民の利便性向上」と「行政の業務効率化」の両立
国連経済社会局が2年ごとに公表する「世界電子政府ランキング」では、2014年に16位だったデンマークは2018年に1位に躍り出たあと、2022年まで3回連続でトップの座を守っている。その一方で、2014年に6位とデンマークより遥かに上位だった日本は2022年に14位へ後退。この違いは何に起因するのだろうか。
NECの小松 正人は、福祉・保健・医療の分野におけるデジタルインフラについて、デンマークと日本を比較する。
「デンマークでは、個人に関係するすべてのデータにCPRという日本のマイナンバーに相当するものがついており、システム同士がCPRナンバーに基づいて情報連携する仕組みができ上がっています。日本ではマイナンバーが使えるところ、使えないところがあり、マイナンバーが使えるところはマイナンバーで情報連携しているが、使えないところは別に情報連携の仕組みが存在したり、情報連携自体ができなかったりします」(小松)。
- ※ マイナンバーの利用範囲は法令で規定されている。また、住基ネット関連訴訟・最高裁判決(H20.3.6)から、個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在できないこととなっている。
小尾氏はシステムの問題に加え、現在の日本のデジタル・ガバメントが抱えるいくつかの課題を指摘する。1つは、日本ではこれまで行政の努力によって手厚いサービスが提供されてきたこと。それが「当然」だったため、デジタルサービスの利用に際して少しでも難しく感じられると、「役所に行って手続きをしてもらった方が楽だ」という意識を抱く住民が出てきてしまうわけだ。
しかし、今後職員が不足するようになれば、住民に対してこれまでのように手厚く対応することは難しい。「国は国民に過度の負担が生じないように配慮する必要がありますが、デジタル化を進めることの意味や目的を丁寧に説明することで理解を得て、自助を高めていくことも重要です」と小尾氏は提言する。
もう1つは、役所の窓口での受付業務などのデジタル化は進んでいても、それに付随する自治体の内部業務の多くにアナログ作業が残っている点だ。つまり、業務にデジタルと紙が混在するため、デジタル化が行政職員の負荷増を招くケースも少なくないという。
「デジタル・ガバメントには『住民の利便性向上』と『行政の業務効率化』の2つの側面があり、これまではもっぱら前者に重きが置かれてきました。しかし行政内部の業務効率化・電子化が進まない状態で住民の利便性向上を図ろうとしても、なかなかうまくいかない。きちんと順序を考えて、どうすれば効率よくデジタル化を進めるかを考えることが必要でしょう」(小尾氏)。
スマホへの電子証明書搭載で、利便性は飛躍的に向上
行政サービスのデジタル化に不可欠なマイナンバー制度をめぐっては、マイナンバーに紐づけられた健康保険証に別人のデータが登録されるといった事態も発生している。日本はマイナンバーを後からつけたため、従来の情報との紐付け作業が発生する。紐付け作業に100%の正確性を求めるのはなかなか難しい。
「デンマークではCPRナンバーが整備された後にシステム整備が始まったため、日本のような紐付け作業はありません。しかし、現在に至るまでデジタル化がトラブルなく一気に進んできたわけではなく、トライ&ラーンを続けてきて、段階的に進められてきた。国民もデジタル化に関して完璧を求めるのではなく、問題があれば改善を要望して、より良いものを行政と国民で一緒に作り上げてきた、というような特長があります」と根津は説明する。
デンマークでデジタル・ガバメントの取り組みが始まったのは2010年頃。2014年の「世界電子政府ランキング」が16位だったことが示すように、トライ&ラーンをしながら一定の時間をかけて制度を充実させていったわけだ。「デジタル・ガバメントをはじめから完璧なものにするのは困難です。国民の声にもしっかり耳をかたむけながら、確実に改善していくことが重要だと思います」と小松は言う。
行政手続きのオンライン化に際しては、「いかに本人確認を行うか」も極めて重要なテーマだ。マイナンバーカードには、JPKI(Japanese Public Key Infrastructure)と呼ばれる公的個人認証の仕組みが搭載されており、パスワードを入力するとICチップに記録された「署名用電子証明書」や「利用者証明用電子証明書」が自治体に送信されるとともに、ICチップ内の電子的な鍵を用いて、他人によるなりすまし申請や、通信途中での電子データ改ざんが行われていないかどうかが確認された上で手続きが行われる。
「これまではスマホでマイナポータルにログインする際に、マイナンバーカードを読み取る必要がありましたが、2023年5月よりAndroidスマホにJPKIを搭載できるようになりました。生体認証を用いてログインすれば4桁PINの入力が不要。マイナンバーカードがあれば利用開始できるため、改めて自治体窓口に出向く必要もありません」(小尾氏)。
JPKIは近い将来、iPhoneにも搭載できるようになる見込みだ。スマホがあればいつでもどこでも手軽に行政サービスが受けられるようになる社会の到来は、すぐそこまで近づいているといえるだろう。
基盤を固めた上で戦略的なデジタル化を
デンマークからの学びや、これまでの取り組みの反省を踏まえ、日本のデジタル・ガバメントは今後どのようなかたちで推進されるべきなのだろうか。
小尾氏が提言するのは、「あるべき姿に向けたステップをきちんと想定すべき」という点だ。「デジタル・ガバメントは、行政と利用者双方の視点に立ち、10年、20年先の日本の未来像をイメージすることが大切です。ただし、目先の利便性を中途半端に追求するのではなく、まずは行政内部のデジタル化をしっかりと進め、堅固な土台をつくった上で、国民向けのデジタルサービスを提供するという道筋を検討することが重要です」(小尾氏)。
一方、根津が強調するのは、デジタル・ガバメントの真のゴールは「行政業務の生産性向上のさらに先にある」という点である。「デンマークでは『いかに電子化して職員の業務負担を減らすか』といった議論は既に終わり、『行政のデジタル化をよりよい社会づくりにどう貢献させられるか』に関心が移っています。そのような視点が私たちにも必要だと思います」(根津)。
これを受け、小松は、「トータルビジョン」と「トータルデザイン」の大切さを口にする。
「デジタル・ガバメントの実現には、クリアすべき課題がたくさんあります。我が国のあるべき姿を国民と合意した上で、何をどんな順番で行うのか優先順位を決め、どこまで進捗しているかを国民に分かりやすいかたちで示すことも重要でしょう」(小松)。
デンマークに限らず電子政府先進国といわれる国々は、いずれもそうしたプロセスを経て取り組みを進めてきた。「トータルビジョン」、「トータルデザイン」の視点で戦略的なデジタル化を推し進めれば、国民からの理解と協力もいっそう得やすくなるはずだ。