「お世話する」から「自立支援」へ。新しい介護のあり方への挑戦
高齢化が加速する中、介護の世界では高齢者の「自立支援」が大きなテーマとなりつつある。政府も2018年度に介護報酬の改定を行い、「自立支援・重度化防止」に軸足を置いた介護へと政策の舵を切った。しかし、その実現は容易ではない。自立に向けた機能訓練には高い専門性とマンパワーが必要だが、介護現場は慢性的に人手が不足している上、そうした人材を集めることは簡単ではないからだ。ここでは、デイサービス事業者とNECによる共創から生み出された新しい介護への挑戦について紹介したい。
自立支援に必要な専門家が確保できないという悩み
介護における「自立支援」とは、高齢者ができる限り自立した生活を営めるよう、サポートを行うこと。その重要な担い手となっているのが、介護保険サービスとして日帰りで日常生活の支援や機能訓練を提供する「デイサービス(通所介護)」である。
とはいえ、デイサービスが自立支援に取り組むに当たっては、まだまだ課題も多い。その1つが、自立支援の専門知識を持った、理学療法士(PT)や作業療法士(OT)などの人材不足である。
デイサービスでの自立支援サービスの1つが個別機能訓練だ。個別機能訓練とは利用者の生活上の希望に近づくため個別に計画された訓練提供である。こうした機能訓練には高い専門性が求められるが、デイサービスに専門家が在籍しているケースは、わずかなのが実情だ※。
- ※ 出典:第128回社会保障審議会介護給付費分科会 資料1-3
「本来、機能訓練指導員としては、理学療法士や作業療法士などのリハビリ専門職が望ましいのですが、人材不足から看護師が兼務で役割を担うケースも多く、必ずしも要介護者の機能訓練に対するスキルが十分でない場合があります。こうした事情から、リハビリの専門知識が必ずしも十分ではない 指導員が、個別機能訓練を担当しているケースもあります。これは、デイサービスが直面している大きな課題です」と、NECで介護ソリューション事業を手がける新井 良和は説明する。
もう1つの課題は、介護スタッフの人材不足である。デイサービス ヨウコー早稲田(以下、ヨウコー早稲田)で所長を務める、夜野 さやか氏はこう語る。
「デイサービスで個別機能訓練を提供する場合には、お客様やご家族のニーズに対してどのような提案ができるかを考え、個別機能訓練の計画書を作成する必要があります。それに基づいて機能訓練を実行し、定期的に評価して、計画書の見直しと再作成を行います。ところが、お客様の介助はできても、書類の作成や、お客様のニーズの聞き取りまでこなせる人材となると、ごく限られているのが実態です。実際には個別機能訓練を行っているにもかかわらず、書類の作成まで手が回らず、加算が取得できていない事業所も少なくないはずです」
課題を払しょくする新サービスが開発されたきっかけとは
こうした課題を解決するため、NECでは、「リモート機能訓練支援サービス」の開発に着手。数多くの理学療法士やヨウコー早稲田の協力を得て、開発を進めてきた。
リモート機能訓練支援サービスとは、デイサービスの利用者を対象に、理学療法士や作業療法士などの専門職が、リモートで個別機能訓練のサポートを行うクラウドサービス。開発の陣頭指揮をとった新井は、本サービスを開発した経緯をこう語る。
「今回の開発は、新規事業創出プロジェクトとしてスタートしたもの。もともと身近な社会課題に取り組みたいという思いがあり、私の両親がデイサービスを利用し始める時期と重なったこともあって、NECとしては未踏の分野であった介護サービスに取り組みたいと考えました」
リサーチを進める中で、新井は「自立支援」という考え方に深く共感。要介護度の改善につながるようなサービスが提供できないか、と模索を続けたという。ある理学療法士から興味深い話を聞きおよんだのは、そんな折のこと。ベテランの理学療法士は、要介護者が歩く様子を見ただけで、体のどこに問題をかかえており、生活上どのような困りごとがありそうか、どう改善していけばよいかという仮説が頭に浮かんでくることを知ったのだ。
「それなら、ベテランの理学療法士の先生に要介護者の動画を見てもらい、個別に機能訓練のメニューを作っていただくことも可能なのではありませんか」と新井が尋ねると、その理学療法士は「できます」と即答したという。それが、このプロジェクトを立ち上げるきっかけになったのである。
開発に当たっては、100人以上の理学療法士や介護事業者 にインタビューを実施。 本当に遠隔で的確な評価ができるのか、検討と実験を繰り返した。対面で評価するのが理学療法士にとっての基本であり、遠隔で評価するというのは挑戦だが、より多くの人にスキル提供できるという本サービスの取り組みは日本理学療法士協会の方々からも共感され、多種多様な助言をもらえたという。
さらにヨウコー早稲田の協力を得て試験導入を行い、試行錯誤しながら業務プロセスを練り上げていった。リリース前に試験導入を快諾した理由について、夜野氏は次のように振り返る。
「この事業所にいた柔道整復師の機能訓練指導員が休職することになり、このままでは機能訓練が提供できなくなる、と思ったのがきっかけです。以前から、『まだ自分でやれる』という自信と、喜びをお客様に感じてもらう大切さを痛感しており、もっと自分たちにできることはないかという気持ちを抱えていました。そこで是非ご協力させて欲しいと申し入れたのです」
理学療法士が遠隔で評価し、計画書案を自動生成
リモート機能訓練支援サービスの概要はおおよそ以下の通りだ。
まず、デイサービスで利用者の希望や要介護度、日常生活動作などの情報を登録し、歩行動画を撮影する。利用者が椅子に座って肩を回し、立ち上がって3m歩き、ターンして再び椅子に座る――この一連の動作を収めた歩行動画と利用者情報を基に、NECと提携する理学療法士が評価レポートを作成。その上で、利用者ごとに身体目標や生活目標などを実現するための運動プログラムを考え、その動画と評価レポートをデイサービスに提供する。
デイサービスでは、介護スタッフが理学療法士の評価レポートの内容を利用者にフィードバック。利用者は機能訓練指導員の指導のもと、 タブレットで6種類の推奨運動の動画を見ながら、実際に運動を行う。万一、評価レポートで不明点があったときは、理学療法士に質問できることも可能だ。
このサービスの設計に当たっては、以下の3つの点を考慮した、と新井は言う。
1つ目は、専門家のフィードバックを、介護現場や利用者にできるだけわかりやすく伝えるという点だ。
「例えば、評価レポートに運動の内容を写真や文字といった紙で表現したとして、それだけで本当に現場が回るのか。夜野さんと試行錯誤しながら検討を重ねた結果、たどり着いたのが『タブレットで動画を見せる』というアイデアでした。タブレットで運動の動画を見せれば、利用者にも現場のスタッフにもわかりやすいのではないか。そう考え、運動プログラムを、紙ではなく動画で提供することにしたのです」
2つ目は、歩行動画を専門家に送信する際の、個人情報の取り扱いだ。利用者の歩行動画が不用意に第三者の目に触れれば、それは重大なプライバシーの侵害になる。そこで、タブレット上の専用アプリで利用者の顔を撮影し、モザイク処理を施した上で、歩行動画をサービスに登録。それと同時に、タブレットから歩行動画のデータを削除することで、情報漏えいの防止を徹底させることにした。
3つ目は、理学療法士の遠隔評価とレポート作成のスキルを、いかに担保するかという点だ。
「このサービスをうまく機能させるためには、理学療法士としての専門スキルだけでなく、歩行動画を遠隔で見て的確に評価するスキルと、それを平易にわかりやすく伝える遠隔評価ならではのスキル が重要です。しかし、すべての理学療法士がこうしたスキルを備えているとは限りません。そこで、理学療法士の専門学校で教師経験のある理学療法士の先生と、我々のチームとが議論しながら教育プログラムを開発。このプログラムを受講して試験に合格した方が、評価レポートを担当する仕組みをつくりました」(新井)
こうして、医療・介護業界との共創の結果、2020年3月に「リモート機能訓練支援サービス」の提供がスタート。ヨウコー早稲田では、リリースと同時に導入したという。運用開始から1年弱が経過した現在、デイサービスの現場ではどのような効果が得られたのか。
最大の効果は、デイサービスに専門家が在籍していなくとも、利用者一人ひとりの希望に合わせた個別訓練が提供できるようになったことだ。
「やはり、専門家からアドバイスがもらえるメリットは大きいです。お客様は『この動きが日常生活にどう役立つか』をイメージできないと、なかなか運動を続けることができません。理学療法士の先生は、『この運動を続けていけば、こういう動きができるようになるよ』と日常生活の視点からアドバイスしてくださるので、利用者の方も納得して運動を続けることができる。その効果は大きいと感じています」と夜野氏は言う。さらに、理学療法士が提供する訓練の組み立てにも、専門家ならではの知見を感じるという。
「現場のスタッフだけで運動のメニューを考えようとすると、安全面を考慮して、どうしても運動の負荷を減らしてしまいがちです。でも、専門家は、お客様の状態やリスクを考慮した上で、適切な負荷の運動を提案できる。ときには、普段は車椅子での移動が主体のお客様に『立って行う運動』を提案することもありますが、それも理学療法士が、『この人ならここまでできる』と評価したからこそできること。現場のスタッフも自信を持って機能訓練を提供できるようになり、モチベーションアップにもつながりました」(夜野氏)
本サービスのマーケティングを担当するNECの中村 剛も、こう言葉を添える。「このサービスでは、歩行動画を3カ月ごとに撮影して比較するのですが、理学療法士から『前と比べて体の揺れがなくなったよ』『歩くスピードが速くなったね』とコメントをもらうと、利用者の方は自信を持ち、前向きな気持ちを持つことができる。専門家のコメントが、利用者のモチベーションアップにつながっていると実感します」
個別機能訓練の加算取得で、経営上のプラス効果も
現在、同事業所では、要介護度の改善を目指して、理学療法と作業療法を組み合わせた取り組みを行っている。その結果、入所時には大腿骨骨折で車椅子を利用していた利用者が、1日に数キロ歩けるまでに回復するなど、めざましい改善を示した例も出てきているという。
「このサービスだけで改善したかはわかりませんが、本人がモチベーション高く訓練に取り組めたことが大きな要因であることは間違いないと思います」(夜野氏)
利用者だけでない。本サービスの導入は、デイサービスの経営面でもメリットがある。
「まだ実施件数が限られているので、経営上の効果は それほど顕著ではありません。とはいえ、加算を取得するということは、機能訓練がきちんと提供できていることの証でもある。それが対外的にアピールできるという意味では、営業ツールとしても魅力的だと感じています」と夜野氏は続ける。
夜野氏も語る通り、デイサービスに理学療法士が常勤していなくても加算が取れることは大きなポイントだ。理学療法士が作成した評価レポートから個別機能訓練計画書 案を自動生成し、それをベースに機能訓練指導員が計画書をまとめれば、書類作成にかかる時間とコストを大幅に節減することもできる。
こうした特長が着目され、裾野も徐々に広がりつつある。2020年10月、本サービスは、神奈川県の公募型「ロボット実証実験支援事業」に採択された。この実証実験の実施期間は、10月15日~12月31日の2カ月半。横浜市内のデイサービス施設の利用者30人に、本サービスを使って個別機能訓練を行ってもらい、運用上の課題を検証するのが狙いだ。
「神奈川県からは、『介護現場の人材不足が深刻化する中、人員配置を最適化するためのエビデンスにもなるのでは』という期待の声が寄せられています。今後は、ヨウコー早稲田様のフィードバックや、神奈川県の実証実験の成果を基に、高齢者がより楽しく生活できるサービスを強化していきます」と中村は語る。将来的にはデイサービスだけでなく、介護施設や老人ホーム、在宅ケアへの展開も視野に入れているという。
「専門家がいないところにリモートでスキルを提供できる点がこのサービスの本質です。ITを活用すれば、医療・介護の専門家から歯科衛生士や管理栄養士に至るまで、幅広い分野の専門家のスキルを多くの人々に届けることが可能になると考えています」と新井も付け加える。
ITの力で要介護者の自立支援をサポートしたい――。身近な問題をきっかけとした想いが多くの人の喜びを支えるサービスへと発展することになりそうだ。