今後、不可欠な「自立支援介護」とは?
~リモートでの機能訓練で見える新しい在宅介護~
少子高齢化と介護人材不足が深刻化する中、日本政府は、要支援者・要介護者が自立した生活を営めるよう支援する「自立支援介護」へと軸足を移しつつある。こうした中、NECは、自立支援介護のカギとなる「個別機能訓練」に着目。理学療法士や作業療法士などのリハビリ専門職が、デイサービスなどの介護施設利用者の個別機能訓練を遠隔でサポートする、「リモート機能訓練支援サービス」を提供している。2020年には神奈川県の公募型「ロボット実証実験支援事業」に採択され、同年10月~12月、1回目の実証実験を実施。2022年1月~2月には2回目の実証実験を行い、本サービスを利用した「在宅」での「個別機能訓練」が可能かどうかを検証した。本稿では、そのあらましと成果について紹介する。
デイサービスに通えない高齢者の機能訓練を遠隔でサポート
いかに要支援者・要介護者に自立支援を行うか――。これは最も重要な社会課題の1つだといえるだろう。この解決に向け、ある実証実験が行われた。
その舞台となったのは神奈川県だ。同県では、「さがみロボット産業特区」における取り組みの一環として、生活支援ロボットの実用化に向けた公募型「ロボット実証実験支援事業」を行っている。NECの「リモート機能訓練支援サービス(自宅版)」は、令和3(2022)年度後期の案件として採択されたのだ。
「リモート機能訓練支援サービス」とは、デイサービスなどの介護施設の利用者を対象に、理学療法士や作業療法士などの専門職が、リモートで個別の評価レポートと運動プログラムの提供を行うもの。要支援者・要介護者一人ひとりの状態や生活上の希望に合わせた機能訓練を提供し、生活機能の維持・向上と家族の満足度向上に貢献することを目指している。
1回目の実証実験では、個別機能訓練は県内のデイサービスで行われ有用性を確認した。2回目となる今回は、「利用者の自宅」での個別機能訓練がテーマ。その理由を、NECの新井 良和はこう説明する。
「今回の実証実験に応募したのは、コロナ禍でデイサービスに通えない、あるいは雪国で積雪のためデイサービスに行けないご利用者が、ご自宅でも運動できるような支援ができないか、というご相談を受けたのがきっかけです。また、理学療法士からは、高齢の方が身体機能や生活機能を維持するためには、運動の質だけでなく頻度も重要で、デイサービスに来られず要介護度が上がってしまう例が少なくない、という話も聞きました。さまざまな観点から、『自宅での運動をサポートする仕組みができないか』という要望が寄せられ、神奈川県と一緒に実証実験を行うことになったのです」
それでは、NECの案件がなぜ採択されたのか。神奈川県 産業労働局 産業部 産業振興課の新堀 友真氏は、こう説明する。
「現在、県の取り組みの1つに『未病の改善』があります。健康と病気の境目はグラデーションになっていて、0:100では分けられない。“健康でも病気でもない状態”を、健康な状態にいかに近づけるかが、県が注力する事業の1つとなっています。その意味で、今回のNECさんの提案は、神奈川県のビジョンに非常に近いものがある。それが、採択に至った大きな理由の1つです。もう1つは、今回の提案が、個別にカスタマイズされた在宅のサービスだという点です。インターネットの動画サイトには体操の動画があふれていますが、今回のサービスで提供される動画は、専門家が利用者個人に合わせてカスタマイズしたもの。しかも、自宅でリラックスしながら運動ができて、それが未病の改善につながる。その点が非常に高く評価され、採択に至ったというのが今回の経緯です」
ポイントは「安全性」と「モチベーションの維持」
実証実験は、リフシア鵠沼海岸デイサービス(神奈川県藤沢市)の協力のもと、1カ月にわたって行われた。
リフシア鵠沼海岸 所長の中村 和人氏は、今回の実証実験に協力した理由をこう語る。
「今は自立支援が介護保険の全体的な流れとなっており、リフシアとしても先を見据えた施策を考えておきたいという思いがありました。ちょうど社内にEBC(Evidence-based Care:エビデンスに基づく介護)という部署を立ち上げ、自立支援に向けた取り組みを模索していたときに、今回の実証実験の話を持ちかけられたのです。コロナ禍での新しい試みという点でも大変興味があり、協力することに迷いはありませんでした」
実験の手順は次の通り。まずはデイサービスが、利用者一人ひとりの基本情報と、歩行の様子を撮影した動画をクラウド上に登録。その内容にもとづいて、遠隔の理学療法士が利用者ごとに評価レポートと運動プログラムを作成する。運動プログラムはクラウドから利用者宅のタブレットに配信され、利用者は自宅で動画を見ながら運動を行う。なお、デイサービスの機能訓練指導員は、利用者の運動状況を見て個別にメッセージを送信し、モチベーションの維持・向上を図る。
今回の実証実験で、特に配慮されたのが、「安全性」と「モチベーション維持」の2点であった。まず、「安全性」については、神奈川県立産業技術総合研究所(以下、KISTEC)の「人を対象とするロボット研究開発及び実証実験に関する倫理審査会」で事前に審査を行い、自宅での運動にともなうリスクをチェック。また、NECはリフシアの理学療法士・新村 康子氏らとディスカッションを重ね、安全性に配慮した実験設計を行った。
「要支援者・要介護者に自宅で運動していただくとなると、体調の悪い中運動をしてしまいさらに体調を悪化させてしまうリスクが出てきます。そこで、専門家の知見も入れつつ、運動前の体調チェックリストを作成し、『運動をするときは、家族が事前に体調をチェックし、そばに付き添う』というルールを設定するようお願いしました」とKISTECの櫻井 正己氏は語る。
さらに、自宅での運動を継続してもらうには、「モチベーション維持」も欠かせないポイントとなる。
「ご自宅での運動はラジオ体操やYouTube動画など、方法は存在しますが、なかなか高齢の方に運動を継続して行っていただくのは難しいとさまざまな場面でお聞きします。本サービスの1つのポイントは、専門家が一人ひとりに対して評価レポートと運動提案を行うところにあります。これがご本人の運動のモチベーション維持につながることは 神奈川県との1回目の実証実験でも確認できていました。今回それに加え、どうしたら自宅でも運動を続けることができるのか。そのカギとなるのは“コミュニケーション”だと私たちは考えました。今回は開発上の都合で、双方向ではなく一方通行のコミュニケーションになりましたが、機能訓練指導員からの日々のメッセージをタブレットに表示することで、ご利用者のモチベーションの維持・向上に努めました。また、高齢の方になるべく簡単に使っていただけるよう、運動動画を再生するタブレットのアプリの操作性には配慮しました。加えて、ご利用者が自分の運動状況を確認できるよう、“運動カレンダー”を作成。よく運動できた日には花丸や二重丸などを付け、ご自身の運動状況が一目でわかるようにしました」とNECの奥田 広志は話す。
運動が習慣化して家族とのコミュニケーションも改善
実証実験に参加したのは、80代~90代前半の要介護者(3人)だ。運動は1日1回を基本とし、実証実験は3週間にわたって行われた。終了後は関係者へのインタビューやアンケートを通じて、評価が行われた。
「おかげさまで、ご本人様と特にご家族とケアマネジャーさんからは、大変ご好評をいただいております。家にいると、ご本人は億劫がってなかなか動いてくれないけれど、こういうツールがあれば、運動してくれる。『今後も継続したい』というお話は、すべてのご家族からいただいています」と中村氏は語る。
介護世帯では、家族が本人に「運動しよう」と誘っても、言い合いになってしまうことが少なくない。「でも、こういうツールがあると誘いやすいし、ご本人もすんなり始めてくれる。実験終盤には、ご本人も楽しそうに運動していた、とご家族から伺いました。ツールを使うことで運動が生活の一部となり、習慣化していった。専門的な運動でなくとも、楽しくできる運動だと習慣化されやすいんだな、と感じました」と、機能訓練指導員として実験に参加したリフシアの新村 康子氏も、その効果を認める。
それだけではない。ツールの利用は、当初の想定を超えて、利用者と家族のコミュニケーションにもプラスの効果をもたらした。中村氏はこう語る。
「自立支援では“運動を習慣化させる”ことが大事で、成果はその積み重ねの中から生まれます。運動が習慣化できれば、それが同居するご家族とのコミュニケーションツールとなり、ご家族との関係が改善されて、在宅生活が継続できる。ご家族とギスギスしていたら、同居自体が継続できなくなりますから。このツール1つで、家族のコミュニケーションが広がるきっかけができた。それは小さいようで、実は大きいことだと思うのです」
在宅での機能訓練支援サービスが、高齢者の自立支援のみならず、家族関係の改善にもつながるという事実。この思わぬ発見は、サービスを開発したNECにも、大きな手応えをもたらした。
「ご利用者全員のご家族が、このサービスに大きな価値を見出してくださった。それは当初の想定にはなかったことで、今回の実験で得た新たな発見でした」と奥田は言う。
「エビデンス」で介護保険制度の壁に挑む
とはいえ、今後このサービスを浸透させていくにはさまざまなハードルがある。サービス設計やサービスの質向上は1つだが、最も大きいのが、リモートで機能訓練支援を行うサービスが、現行の介護保険制度の対象外であるという点だ。
「その方に合った運動プログラムや、動画を見る時間帯が選べるというメリットはあると思いますが現行の介護保険制度のもとでは、デイサービスの介護保険での売り上げにはつながらない。ご利用者負担でこのサービスに追加料金がかかるとなると、お客様の経済的負担も増える。また生活相談員や所長などのスタッフがご家庭を訪問してサービスの説明をするとなると、その時間は介護保険上のデイサービスの人員配置基準を満たせなくなってしまう可能性があり、そのあたりが課題だと感じています」(中村氏)
ただし、介護保険制度の問題は一企業の努力で解決できるものではなく、一筋縄ではいかないのも事実だ。とはいえ「それは克服可能な課題でもある」と櫻井氏は指摘する。
「実証実験支援の取り組みでは、医療や介護の分野にロボット技術を導入し、人材不足などの課題解決に役立てようとしていますが、多くのケースでは、新しいテクノロジーを採用するとコストアップにつながります。したがって、コストを確実に上回るようなメリットが確認できないと、医療や介護など保険制度で成り立っている分野で新しいテクノロジーの導入は難しいと感じています。とはいえ、今回の実証実験の目的である介護予防は喫緊の課題です。介護保険の問題を含めて課題は山積していますが、『さがみロボット産業特区』の取り組みを通じて、規制の問題点についても、国との協議の場を活用しながらしっかり伝えていきたい。そのためにも必要なのはエビデンスです。NECさんには実証実験を通じて、このサービスの効果を実証していただきたい」(櫻井氏)
データを蓄積してAIを活用し、介護予防に大きく貢献
今回の実証実験の結果を、旗振り役の神奈川県はどう見ているのだろうか。新堀氏はこう述べる。
「少子高齢化が進めば、介護も施設任せでは成り立たなくなり、自宅でできることは自宅でやっていく必要がある。その意味で、今回のサービスは非常に将来性があると感じています。一方で、今回の実証実験では、たとえよいサービスであっても、現行の介護保険制度のもとではマネタイズが難しい、という課題も見えてきました。NECさんには、介護保険制度の枠組みの中で、施設の事情にマッチした料金体系などを検討していただきたいと思いますし、『さがみロボット産業特区』でもさまざまなご支援ができると思います。一例として、県の実証実験にご参加いただき、特区発商品として認定されれば、県内の施設や個人が商品を購入する場合に限り、県が購入価格の最大3分の1を補助する制度もあります。こうした県の補助金制度も活用しながら、介護保険制度と各施設、NECさんそれぞれのニーズを満たせるような方法を考えていただきたい」
解決すべき課題は山積しているが、今回の実証実験は、自立支援介護の普及に向けて、「リモート機能訓練支援サービス」が有望なソリューションとなりうる可能性を示す結果となった。何より大きいのは、このサービスを通じてデータの集積が図れることだ。
「このサービスの最大の特徴は、すべてがデータ化されるということです。それが、ゆくゆくはビッグデータやAIの活用につながり、介護予防に大きく貢献していくのではないか。その点に大きな可能性を感じますし、NECさんが主体となって進めているという点でも、非常に将来性を感じています」と新堀氏と櫻井氏は口を揃えた。